睡蓮の書 一、太陽の章
不安。それは、心の奥底から湧き出すもの。形のない、漠然とした、けれど決して振り払うことのできないもの。
カムアはすこし落ち着かなくなって、隣のラアをそっと映した。
蛇の姿になり、ゆったりと木陰に寝そべるラアは、その視線に応えるように、こちらを見上げる。
その、つややかな漆黒の瞳。奥にちかりと灯る、黄金――。
言いようのない感覚にとらわれ、カムアはそっと身震いした。
あるときラアは、カムアに新しい術を披露した。
緑の葉を二枚、手にとって、彼が念じると、それは美しい緑の小鳥となって飛び立つ。
鳥はカムアの肩にとまった。その羽ばたきは風を生み、カムアの頬をなでた。その重みは、まるで木の葉のものでなく、一羽の小鳥、その命を乗せた重み。その、ぬくもりだった。
目を欺くだけの幻ではない。それはほんとうに、存在を作り出す、力。
「すごい、本物の鳥みたいですね……!」
ラアにはやはり、ただひとつきりの、特別な力がある。――カムアは称えるように目を細め、彼の友人を見た。
ラアの手に小鳥が戻る。と、その姿はたちまち、元の木の葉に戻ってゆく。
「あはは! 簡単だよ、こんなの!」
ラアはいつものように無邪気に笑うと、ぽい、と木の葉を地面に投げ捨てた。
すると、地に落ちた木の葉は、瑞々しい緑の色をたちまち土色に変え、ぼろぼろに朽ち果ててしまった。
カムアはどきりとした。
そのとき、ラアの瞳の奥の黄金が、闇の奥でじりじりと輝きを増したように見えたのだ。
――それは吉星か、凶星か。
じんわりと胸をゆする、「予感」。
光が闇を切り裂くか、闇が光を呑み込むか。
どちらであるのか、けれど今の彼には、わからない。
胸のうちをかき乱すその星に、ただ、今は、惹きつけられてやまない。
手を伸ばし、求めずにはいられない。
何よりも、誰よりも強く、もっと、強く――と。
序・終わり
作品名:睡蓮の書 一、太陽の章 作家名:文目ゆうき