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文目ゆうき
文目ゆうき
novelistID. 59247
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睡蓮の書 一、太陽の章

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中・かがやき・5、会えない。



木を打ち合う乾いた音。
中央神殿の中庭、木の棒を手に、カナスとラアが向かいあう。
カナスが傷を負った、あの夜から四日後。学習指導のためケオルがやってきた二日後に、カナスは肩の治療を終え中央に戻ってきた。そして早速、ラアの戦技の指導にあたる。
(訓練、サボっていなかったようね)
打ち込み、つづけて繰り出すカナスの攻撃を受け流したラアは、すばやくその身を翻す。 
四日動かなければ体は鈍る。しかしそれはラアよりも、自分に対する警告のようだ。
少し、意外だった。時間をとり、監視しなければ、取り組まないものと思っていた。
しかし、驚くのはそれだけではなかった。
攻撃をかわしたラアは、すぐに地を蹴り、今度は自分から仕掛けてくる。カナスの棒がそれを受け止めると、弾かれ体をひねったラアは、その体勢で蹴りをくりだしてきた。カナスが手にした棒をすばやく回し、ラアの脚部を打ち払う。
「っ!」
ラアは体勢を崩し、すぐに距離をとると、打たれた左足に手をあて傷を癒す。その間も、彼の両眼は油断なくこちらを捉えていた。
 いつもと違う。はっきりと、カナスは感じた。
 そうだ、いつもはこちらが“動かして”いた。このように積極的に攻撃することなど、あったろうか。
 それに、治癒とは。打ち身の症状はそれほど重くはないはずだ。けれどこの一瞬で治療しなければ後の動きに関わる。――理にかなっていた。ただ治癒は、ラアの最も苦手とする術のはず。今まで訓練の中でそれを用いたことなどなかったのに。
 こちらを見据えるラアの眼。奥にぎらぎらとたぎるもの。
 ラアがふたたび地を蹴る。棒を打ち付けるその力は、訓練であることを忘れているかのようだった。
 圧倒される。カナスは激しい勢いをもって振り下ろされる力に、押されるように一歩身を引いた。受け止める棒の振動がたえまなく腕に伝う。傷を負った肩に針のような痛みがはしり、カナスは顔をゆがめた。
 そのとき、ラアの瞳がするどい輝きを消し、動きにためらいが混じる。
 その隙をとらえ、カナスは手にした棒を突き出す。腹を一突き――けれど寸でのところでラアは体をねじり、その一撃は横腹を掠めた。
 地に足を着いたラアは、体勢を崩しかけ、あわててまた距離をとる。肩が大きく上下している。
「やみくもに攻撃してはだめ。体力を無駄に消耗するだけよ」
 ラアがうなずいて応える。カナスもまた、荒い息をしていた。
(何かがあった……? あの日、人間界に降りてから――?)
 たった数日で変わったように感じるのはなぜか。それに、ラアのあの眼――何かに必死で喰らいつこうとしているような――。一体、何に? カナスのうちに湧き上がる困惑。それが、次の動きをとどまらせていた。
「……悪いけれど、今日は、ここまでにするわ」
 彼女の勘のようなものが、警戒を促す。また、自身の体調も万全とはいえなかった。
 カナスが終了を伝えると、ラアはいつものようにすぐに中庭を去らず、しばらくぼんやりとそこに立ち尽くしていた。激しい動きに疲労を感じていたのかもしれない、だが、本当にそれだけだろうか? カナスは注意深くラアの様子を伺っていた。
 するとラアは突然、あっと声をあげ、慌てて中庭を走り去る。
 長い黒髪を肩に払って、カナスは神殿奥へと駆けるラアの後姿を見つめると、ふっと息をついた。――気のせいだったのだろうか。しかし、あの、眼……。
「カナス、これ」
 息を切らせて戻ったラアの手には、カナスの槍が握られていた。
 断たれたはずの槍が、元のとおりに戻っている。受け取ったそれをながめ、驚いたふうにラアを見つめると、
「おれが直したんじゃないんだけど」ラアがあわてて返す。「でも、良かったねカナス」
 猫のように目を細める、いつものラアの笑顔。
「……ありがとう」
 ただ自然に、ひとこと。カナスはそれがラアに対してはじめて口にする言葉だと、気付いていなかった。
 この手に戻された、すらりと長い細身の槍。輝きは褪せてはいない、しかし、それをみつめるカナスの瞳はどこか、労うような色を浮かべていた。
 この槍は、既に不在となっていた王に代わり、その補佐ヒキイから、力を与えられたものだ。ラアが王座に就けば、新たに、王となる彼の加護を受けることになるだろう。
 ラアの即位。それを考えるとき、これまでは幼い王子への不満、そして不安ばかりが頭をもたげてきた。――それが、今は不思議と湧かなかった。
 変わってゆくのだ、と、カナスは思った。あと、ひと月で。

      *

 三日目だ。
 ラアはその日も、カムアを待った。静寂の闇にただひとりで。
 カナスが戻り、久々の訓練、集中していたのは、意識が変わったためだけではない。少しでも油断すると、カムアのことを考えてしまうから――必死で、訓練のことだけを考えようとしていた。
 昨日はまだ、きっと会えると信じていた。
 そうして、魔法陣を通ってたどり着いた洞窟でみつけた、ひとひらの紙片。黒いインクで走らせた文字。
 カムアからだった。しばらく会えないとだけ、書いてあった。理由はなかった。彼らしい整った文字は、急いで書いたのだろうか、ところどころ曲がっていたり、綴りを間違えたりして、インクで塗りつぶしてある。
 いつもだったら、うっかりなその間違いを笑っただろう。けれど、今はまったくそんな気になれない。
 何の根拠もなく、こんなものは嘘だと考えた。ただ、信じたくなかった。
 そうして今日、祈るような気持ちで待ち続けた。わけなんか話してくれなくてもいい、ただ会いたかった。当たり前の時間を、取り戻したかった。
 そうして待つあいだ、何かを急かすように、また どうしてという気持ちを募らせるように、鼓動が高まってゆく。けれどそれも、時間が経つにつれ次第に収まり、代わりにとても惨めな思いが湧きあがって、心のうちを蝕み溶かしていくように感じた。
 あふれそうになったものを抑えるように、ラアはぎゅっと唇を噛んだ。何度も首を振ってみたけれど、深呼吸をしてみたけれど、いつものように、暗い気持ちがどこかに逃げてくれない。
 手のひらに包み込めるほどの紙片を握りしめて、ラアは重い心を引きずり、自室に戻った。
 ……ひとりだった。
 こんな気持ち、ずっと忘れていた。
 ずっと一緒で、それが当たり前になっていた。心を支えていた大きなものが、ぽきりと折れたよう。
 会っていなければ、こんな思い、しなくてすんだのだろうか。
 過去を否定したりしたくなかった。だから、もう悲しいことを考えるのも、頑張って自分を元気付けるのもやめて、ただぽかんと、昨日の手紙が置かれた机を、眺めていた。
「昼寝してたんですか?」
 時間が過ぎてしばらくしてもやって来ないからと、ケオルがわざわざ呼びにきた。
 時間が経っていることに、気付かないくらい、ぼんやりしている。昨日もそうだった。
「ごめんごめん。だって眠いんだもん」
 嘘と笑顔で繕う。――誰にも、話せない。秘密のともだちのこと。知っているのは、眠り続ける姉だけだ。
 いつもの自分を取り戻せないラアをよそに、ケオルは、即位式の説明をしている。