LOVE FOOL・中編
飲酒中は煙草を吸うのも禁じられているほどの火気厳禁で、ふりかければ一瞬で害虫を死に至らしめる。実際其処までの知識は無いアストだったがレベルに表記された情報でおおよその見当がつく。
「二人共、それは立派な犯罪だ」
「…。」
冷めた眼差しと声音で良からぬ企てを始める船主に釘を刺すとアストライアは世話の掛る同行者を背負う。
意識の飛んだヴィヴィアンは確かに大人しい。
けれど気が付いた時にその分増して暴れる事を彼等は知らないのだ。
「お前は日頃の行いが悪すぎる」
向けられる好意と親愛に対し少しでも感謝を持って接していれば、弱みに付け込む様な友人ばかりが集まる筈もない。長い睫毛を震わせ、眉間を険しく寄せる我儘極まりない、けれどどこか放ってはおけない友人を備え付けの簡易ベッドに寝かせ荷を下ろす。まさかとは思うが念の為に、と剣で閂代わりに扉を押さえ、横たわるヴィヴィアンの傍に自分も座った。
いつの間にか眠っていたのかもしれない。
ドアノブがくるりと一度回転した物音で、組んだ膝上に額を乗せていたアストは意識を浮上させた。
「ヴィヴィアンヴァルツはどうしている?」
内側から押さえた剣に気が付き、手を止めた声は密室のドア一枚を隔てた向こう側から暗く沈んだ調子で呼び掛ける。
部屋を見回すが目の着く場所に時計は無く、すやすやと傍らで寝息を立てる魔法使いの色白い頬に絡む銀髪を指で払う。
「まだ目を覚まさない。今度は二日酔いだとかで騒ぎ出さなきゃ良いが」
半ば溜息混じりに言い、甲板に顔を出すと扉に貼り付き聞き耳を立てている主が此方を見ていた。
床に膝を着きしょんぼりと眉を下げたラームジェルグは少し幼い。年下だとは思っていたが、よく見ればまだ15〜7くらいの少年だ。
「何処で、どういう経緯でヴィヴィアンヴァルツと知り合った?何で二人旅なんか」
そう尖らす言葉端にはヤキモチも含まれる。
アストは背後で扉を静かに閉じ、立ったままぼんやりと視線を海上に移す。
「何故だろうな。数日前に出会ったばかりで、今も一緒に居るのが不思議なくらいだ」
思い返せばヴィヴィアンヴァルツと出会ってからのアストライアは自分の意志ではなく、振り回された成り行きで此処まで来た様なものだった。
自身にかけられた呪いを調べたくて知識の箱舟と呼ばれる魔都「イエソド」に着き、天才魔術師と言われるヴィヴィアンヴァルツと出会う。話を聞いたら直ぐに発つ筈が、師弟の怨恨や王国の暗殺容疑に巻き込まれ行動を共にしてきたがお互いに二人旅をするという意思表示の確認はしていない。
どこか似た境遇が暗黙のうち別れ難くさせているのだろうか。
―まさか。
ふいに依存し始めている自身の甘さに眉を寄せる。
「…羨ましい」
「今回で最後だ。俺は他にも行く処がある」
何やら思い詰めた口ぶりにラームジェルグは関心無く「ふーん」と応える。それから徐に立ち上がり、船の縁に片肘を乗せた。
景色は青い空と透き通る海原から一面の濃紺色の闇に帳を下ろす。月も星も遮られた静かで重い夜と船の速度から生じるモーター音。
冷えた強風に煽られたマントの襟元を押さえながら軽口で返すと、ラームジェルグはキッ、とアストを睨む。
「俺がヴィヴィアンヴァルツとまともに会話出来るまで何年掛ったことか。容姿も能力も、属性クラスで最も秀でていなければ声をかける事も赦されない、カカベルもルギニスも皆そうやって前の取り巻き達を蹴落としながら取り入ってきたのに」
どういう訳かブリジットだけには幼馴染とかで特別扱いだけど。
ああ。と、イエソドで見かけた気弱そうな青年を浮かべ頷く。作り物の様な薄っぺらい絆の中、彼とヴィヴィアンの間にだけはアストも良く知る「友情」が存在していた風に映った。
「それは友と呼べるのか?」
「友なんてステータスの一つだ、利害の一致で成り立っている暗黙の契約。ヴィヴィアンヴァルツと並んでさえいればイエソドでは何だって…」
益々苦い表情に変わるアストを正面に見据え、ふとある矛盾に言葉が途切れた。
「―ヴィヴィアンヴァルツは旧世界を渡れるほどの空間操作が出来るのに、何故たかだか異大陸まで船を使う必要があるんだ?そもそも銀杯と材料さえ揃えば「青の賢者」と通信だって可能な筈…」
(マズイな)
呟きに素っ気なく耳を傾けたふりをしながら、騎士は内心警戒を強める。厄介な事にこのラームジェルグはこれまでの輩と違いヴィヴィアンの能力をよく熟知している様だった。
彼の憶測が真実に到達するまで時間の問題か。
「お前達、何を隠してる?」
じり、と距離を詰めた。
海面に影を落としていたアストライアに威圧的な声音で問い、反応を窺う。
―何と言い逃れようか。
本人の知らない処で「隠している」件を暴露させる訳にはいかない。
まして彼の友情論を聞いた後では尚更。
魔法を使えないと知れば、彼はきっとヴィヴィアンに良からぬ事を考える。
自身の焼けた腕を左手で擦り、うん?と涼しい表情の裏で思考をフル回転させ口実を組み立てていた。追われているから。全て呪いのせいだと云えば納得するだろうか?
「まさか…」
一層瞳を細め、必死で言い訳を考え閉口するアストライアを下から覗き込む。勘の良い魔法使いは低く訊ねた後、はっと弾かれた様に後ろに大きく飛び退いた。
「あいつ、まさかヴィヴィアンのそっくりさん!?
だから胸元に変な痣があったのか??」
「―は?
そっくり?…や、まあ…うん」
幸い推理は回答の軌道から外れた。ほう、胸を撫で下ろし、一息着く。
が、今度は変わって此方から詰め寄った。
「待て。胸元に変な痣?見たのか!?どんな痣だ」
「見た、というか…あれは故意ではなくて」
風呂場を覗いたとは言える筈もないラームジェルグは、うって変わったアストの剣幕に非難されたと感じたのか落ち着きを欠く。
「もしかして黒薔薇の形では無かったか!?」
くるりと背を向き口ごもった青年の肩を掴み、尚喰い下がる。今にもヴィヴィアンを引ん剥いて確かめかねない、訳ありな過剰反応に掴まれた手を退かし「そう言われればそう見えなくも…」と観念した。
「く…!」
短く息を吐き、寝室のドアノブに手を掛けた。
とたん。
船がぐらりと真横に大きく傾いた。
甲板にいた二人は床を転がり、危うく海に振り落とされそうになりながらも船の柱に手を伸ばす。
「何 だ、今のは?!」
外部からの強い衝撃に思わず声が裏返った。
ラームジェルグとアストライアが揃って海面を覗き込むとグングニルの数倍はあろう巨体が黒影を浮かべ船の真下を不規則に揺らめく。
背ヒレの無い滑らかなフォルム。群青色の躰に赤眼の様な斑点模様。
クジラにしては細く、体長が有り過ぎるしウツボにしては大き過ぎる。そして何よりも百足を彷彿とさせる、躰の横から生える幾本もの揺らめく足。
海月に在る触手にも見えるし、植物に在る棘にも見え「異様」だ。
「ま、まあ。海は宇宙よりも解明されてない部分が多いからな。宵に紛れて古代の生き物が海面に上がってくる事も稀には、ある」
半ば自身に言い聞かせているのか。
口許を不敵に歪めながらもラームジェルグの額にはうっすらと冷汗が一筋。
「これはどう見ても自然の生態系じゃないだろ!」
作品名:LOVE FOOL・中編 作家名:弥彦 亨