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LOVE FOOL・中編

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丁度良い機会だし、あいつの言う事は正しい。お前は他の信頼出来る人間と行動すべきだ」
すれ違う横顔に向け、口を尖らす。
何か思いつめた様に唇を結び屋敷の裏口に向かう後を追うべきか、否か。
決めかねるヴィヴィアンの腕をしっかりと捕え、ラームジェルグは離さない。
「ふ、決まりだな」
手にした杖で床をコツンと打ち、すれ違い様赤い短髪に一瞥を注いだ。
「…。」
どこか勝ち誇った風な緩む眼差しと、見返す瞳とに小さな火花が散る。―気がするのは見る者に特別な憶測があるせいだろうか。
「まぁ、素敵。一人と奪い合う者同士の二人が命と愛を賭けて危険な航海に旅立つのですわね」

二人の言い分と内容にわくわくと胸中を躍らせていたゲーデが高揚した頬の両手を乗せ熱っぽく呟いた。
「何か…聞き捨てならない事を言われている気がするんだが…」
「気にするな。昔からシャノアール家に仕えるメイドだが少し頭がおかしいんだ」
納得のいかない表情で眉を寄せる想い人に一転し、緊迫の解けた面差しで笑う。
「ああ、ヴィヴィアンヴァルツ!この旅はきっと生涯忘れない。最良の思い出になるだろう」
「いちいち大袈裟だな、これが最期じゃあるまいし…」
砕けた満面の笑顔で抱きつく自分よりも大柄な若者から身を捩り、振り解こうともがいて、ふと動きを止める。以前なら迷わず蹴り倒していただろうに。

不思議と今はそんな気が起こらなかったのだ。
アストが部屋を去り、ゲーデも後を追って姿を消した屋敷の螺旋階段で少しの間、ヴィヴィアンは大人しく腕の中に収まっていた。
「旅行じゃないんだからザニアの『青の賢者』とやらに逢ったら直ぐに帰る。聞きたい事があるだけだ」
両手でラームジェルグの黒髪をくしゃくしゃに梳き、呆れた口調で見下ろせば「青の賢者?」と繰り返す。
そこまでは知らないのか、険しく瞳を細めると抱きついていた腕を離した。
「それでヴィヴィアンヴァルツがザニアへ?あんな奴の為に?」
「うん」
「人が良いな」
そう苦笑を浮かべ、頷く佳人の一歩手前に進みエスコートしながら階段を下りる。快く先導する言葉の影に密やかな翳りを含ませ、手にした杖でドアを乱暴に押し開くシャノアール邸の裏庭は小さな港になっていた。
停泊している船は殆どが貨物用で、太い体躯に汗の光る男達が大掛かりな木箱を運び込む。火気厳禁。そう表示されている処を見ると食糧では無い。
シェステールは軍事国家ではないから、恐らくこれは敵国への輸出品。
「まだ武器とか人殺しの戦争道具売ってたのか」
潮の香りと扉の向こうに広がる船着き場を眺め、空と海の蒼さに目を細めながら問う。
世界平和や国の争いに特別な倫理観念は持っていないが、これが彼の寿命を大きく左右しているのは周知の事実。今更止めた処で死者の怒りが軽減するとも考えにくい。それでも、とヴィヴィアンはふいに口数の減った若き実業家に声をかけた。
「代々の家業だから仕方ない。
人間風情が我が物顔で国だの境界だの、勝手に世界を仕切るから面倒な事になる。
低俗過ぎるんだ。世界も人も。
御蔭で随分儲けさせて貰っているけどな」
肩に掛けた漆黒の衣を風に踊らせ自嘲気味に応える。
振り返り、此方に向けて笑む姿に伝えたい今の気持ちを言葉で上手く表せないヴィヴィアンは無意識に視線を逸らす。
これで何度目だっただろうか、こんな歯痒い気持ちになるのは。きっとアストライアなら自分の事の様に同情して、慰めの一つでも云えるのだろうけど。

屋敷から離れた岩場の影、白い砂浜の桟橋に一隻の大型クルーザーが泊まっていた。
クルーザーとしてはかなり豪華で広い造りではあるが、四人で乗り込むとなると重量オーバーな気もしてくる。何かと文句の多い魔法使いが直前になって狭いと我儘を言い出さなければ良いが…。
「成り行きとはいえ無関係な君の主を巻き込んでしまってすまない。必ず、無傷で此処に返す」
ふう、と短く溜息を吐き、戦艦の様な鋭い船首からぐるりと一周する。付き従う様、後ろからひたひたとついて来たメイドに詫びるとアストライアは船体に描かれた「グングニル」の文字を指でなぞった。
金持ちの豪遊船にしては随分物騒な船名だ。
「お言葉ですが人の心配をしている余裕が御有りなのかしら?
貴方の方こそとても質の悪い死神に片腕を掴まれているとお見受け致しますけれど」
貞淑に下ろした両手を組み、焦点の定まらない瞳でゲーデがふいに喉を鳴らす。
部屋で感じた彼女の言い知れない不気味さを再び思い起こさせる、儚げな風貌と漏れる低い笑い声の対比にびくりと背筋が浮いた。
「何故、判る。お前も奴等の仲間か」
瞳孔が収縮する。
じりじりと熱を孕む右手を押さえながら、気が付けばアストライアは彼女の細い首筋に剣を突きつけていた。自身に向けられた冷たい白銀の切っ先と、腕の緩んだ包帯の隙間からのぞく火傷痕から視線を上げさほど気分を害する様子も無くゲーデは笑む。
「アスト様は本当に愉快な方!」
一歩踏み出す度、構えた剣が一歩退く。
疑わしいだけで人を刺す筈が無いと判っているかの様に。彼女は当惑を浮かべながら次第に逃げ場を無くす男の両脇に手を着くと、船の外装が軋みを上げた。
「そうして見境なく殺気を向けていては此方が見つけるよりも早く、敵に気付かれますわ」
「…!」
正論。
主の前とは別人の豹変を見せる不可解なメイドにアストは呻くしか出来ない。睨みつける視線をじっと冷淡に見返し、ゲーデは徐に壁に着いていた手を拳に変えた。
「キャプテン・ジャーロ。旦那様が直ぐに船を出せをとの御命令です」
波の音が静かに打ち寄せる中、突如けたたましく装甲の壁を激しくノックし始める。
いや、ノックとはもっと控えめな物では無かったか?
今にも破壊しかねない勢いの殴打に船全体が傾く。
べこりと歪む船の側面に、制止の声を上げようとアストライアが口を開いた、その時。悲鳴にも似た男の野太い叫び声が船の底から返って来た。
「おいおいおい!馬鹿力で船体を叩くな!ヘコむと何度言えば解るんだ!?」
「申し訳御座いません」
全くそうは思っていない態度で、怪力メイドは深くお辞儀をしてみせる。
クルーザーの寝室部から顔を覗かせ、躰を這いだす暗い金色をした髪の男は欠伸を噛み殺し眠そうに瞼を擦っていた。
「相変わらず人使いの荒い…と、客人の前で愚痴っても仕方が無いな」
陽に焼けた肌と鍛え抜かれた体躯は歳を重ねた故の逞しさがある。クルーザーの操縦、よりは軍艦を操っていたとしても頷けるほど。
「ああ、いえ。無理を言ったのは此方ですから」
(ジャーロ?)
「黄色」を意味する単語に空と地を駆る暴走姉妹ルージュとシアンの端整な面影が被る。そう見ればなんとなく目元が似ている様な。危険に赴くのが楽しくて仕方が無い、と世界中を駆け回る眼差しを思い浮かべ
アストライアは遠くから自分を呼ぶヴィヴィアンヴァルツの声にゆっくりと振り返った。

「グングニル」は水中翼船である。
船の腹部に「翼」と称する構造物を持たせ本来なら沈む船体を水面から僅かに浮かせる事で
作品名:LOVE FOOL・中編 作家名:弥彦 亨