LOVE FOOL・中編
蒼穹にも劣らない澄んだ海を一望する白壁のシェステール城から離れ、影の様に佇む黒の館。港を一つ貸切り、場違いにも見える色彩の洋館の裏口では日夜厳つい男達が得体の知れない木箱を運び込む。…が。しかし今日に限っての死館はリボンや花で包まれた煌びやかなプレゼントの山が犇めく。
「どう思う?」
風が薙ぐ度、香水が匂う色取り取りの包みを満足気に眺め、黒衣を肩に羽織った青年がメッシュの入った黒髪を指で弄ぶ。買い付けた贈品リストに目を細め彼は深く椅子に身を預けながら、傍らに立つ館唯一の女従者へ意見を求めた。
控えめな声音と眠気を帯びた風な伏し目。肌を晒せばそれなりに男が寄ってくるであろうルックスの彼女はゲーデ。
ボディガードも含むゲーデはラームジェルグが幼い時から一族に仕えている棲み込みメイドだった。
「私の立場でしたら、少々迷惑な量かと」
「お前の価値観とヴィヴィアンヴァルツを一緒にするな、身の程をわきまえろ!」
「申し訳御座いません、旦那様」
ラームジェルグが手にしていた杖で彼女を小突くと、周囲から非難の眼差しが向けられる。日常的にくり返される理不尽な暴力にも決して不満一つ零さない。献身的で従順な彼女は同情の的。メイドは主人に深く頭を下げ、逃げる様に身を退いた。
「やはり、量より「質」か?」
周りに人が居なくなったのを見計らいぼそりと一つ呟く。青年は思案深く深紅の石がはめ込まれた杖に顎を乗せ溜息を吐いた。
そう。
これは全てイエソドに帰る際ヴィヴィアンヴァルツ一人の為に誂えた世界各国からの土産品なのだ。
広い屋敷は各国に点在するも、やはり落ちつく場所はイエソドしか無い。あの研究者の中に居る時だけは一族の檻を忘れられる。いつか突然訪れる死に際なら傍にはヴィヴィアンヴァルツに。
仲間に居て欲しいと思う。
最も、そんな素振りを見せる事は決してしないだろうが。
「しかしヴィヴィアンヴァルツの審美眼に叶う物なんてこの世の中に存在するのか?」
そもそもそれは「物」ですらあるのだろうか。
「まあ、要らないとなればカカベル達に押しつけてやるか」
悩み出せばきりが無い憂いに終止符を打ち、ラームジェルグは椅子から立ち上がる。荷物は先に送り出し、自身の帰還は明朝。私室に戻り支度を始めよう、と港に面した裏口から屋敷の中に戻ると顔を見るなりゲーデが此方に歩み寄って来た。
「旦那様。おかしな格好の二人組が至急旦那様にお逢いしたいと」
如何致しましょう?と珍しく困惑した表情で首を傾ける。
足を掛けた階段の手摺から身を逸らし、エントランスを覗くと少し開いた扉の隙間から確かに二つの人影が映り込む。長年仕える彼女にも見覚えが無い来客の様だ。
「おかしな格好?どうせまた何かの愛護団体とか悔い改めろとかいう宗教の連中だろう。
二度とそんな気が起きない様、手荒く追い返してやれ」
「畏まりました」
掌を気だるく振り返し、指図すると深く頭を下げ頷く。メイドの格好をしていても戦闘力は歴戦の傭兵に引けを取らない。ゲーデは気配の消えた足取りで再び玄関に舞い戻ると腰を低く落とし拳を構える。
扉の裏ではこれから降りかかる己の災難など知りもせず、彼等は尚も入口で何かを訴え続けていた。
「改心なんて、もう手遅れなんだよ」
誰も、何にも救えない。
半ば自嘲する口調で小さく呟き、ラームジェルグは留めた足を踏み出す。注いでいた客人から意識を前方に戻す刹那、視界の端に射し込む黄金色の太陽に白銀の髪が潮風に舞った。
見覚えのある指先がドアを押し開け、その声が自分を探し、名を呼ぶ。
間違える筈が無い。
――あ れ は。
頭で理解するよりも顔色が一瞬で蒼白にすとんと落ちた。勢い良く振り返り、肩に掛けていた上着が剥がれるのも気にならない。
手摺を飛び越え、大声で叫ぶ。
「止せ、馬鹿女!
それはヴィヴィアンヴァルツだーーっ!?」
主の只ならぬ叫びと覚えのある名に鋭い光の灯った瞳がはっ、と色を取り戻す。
自身の放った真っ直ぐな拳を見送りながら、正面を見据えれば確かに類まれな美貌がそこにあった。
「え?…ヴィヴィアン…あ!未来の奥様っ!?」
「は?」
誰がだ。そう言い返すべく開いた口がぽかりと空いたまま固まる。唯でさえ避けられた経験が無い一撃を、危機感の欠片もない魔法使いに避けられる筈も無い。
両脚に力を込め、威力は落としたが寸前で留めるには距離が短すぎた。
「ごめんなさい!」
とっさに零れる謝罪。
背後から聞こえるラームジェルグの怒声と悲鳴を聞きながらこれは過去五本指に入る失態だ、と瞳をぐっと閉じる。
ドアを開けた途端、何の宣告もなく仕掛けてきたメイド服の女にヴィヴィアンヴァルツの瞳孔が小さく収縮した。
確実に顔面を狙い、ブレのない垂直に打ち出された拳は鈍い音を立てて深く獲物にヒットする。
立ち尽くすヴィヴィアンを庇い、二人の間に割って入ったアストライアが地面から脚を浮かせ庭先の花壇の中まで。
発する声も無く意識もろとも吹き飛んだ。
++
磨き上げられた六角形のジェットバスに熱めの湯とミントグリーンの泡が注がれている。
煌びやかではあるが絵画や宗教的なモチーフは一切無い幾何学文様。現実から切り離された様な造りは無新論者のラームジェルグが好む仕様で、イエソドに居ると錯覚させた。心地良さに全身の緊張が解れ、旅の疲れと眠気と酔いが一度に襲う。
ラモナでも出来うる限りの優遇は受けたが、国が半ば崩壊しかけた有様では十分な休息に至らない。
加えて何の不自由もせず傍若無人に振舞ってきた我儘魔法使いが一切の魔法を使えなくなった一夜を境に見舞われる危機と掌を返す知人達の応酬。
それを自業自得と思わないのも恨みを買う由縁であるが、人は劣等感を抱かせる対象を崇拝し同時に妬む生き物でもあると。これまで一度も見せた事のない師の豹変ぶりは本人も知らない胸の底で、密かな影を落としていた。
(こういうの、落ちつくな…)
ゆったりとした白磁の縁に頬杖をつき、上等な白ワインで喉を潤すヴィヴィアンヴァルツは湯気の中で瞼を閉じ、身を沈めた。
鏡の前に並べられた石鹸、湯上りのヘアミストやボディバターの瓶に目を通すとどれもヴィヴィアンがイエソドで愛用していた品。ラームジェルグが用意させたのだろう。そう、この待遇こそがいつもの「日常」。あって当然の生活。
これまで身に起こった全ての出来事がとても些細にさえ感じる。もう魔力なんか戻らなくたって…と、うっかり頷きかけ慌てて首を大きく真横に振った。
(それは大いに困るっ!)
ぶくりと勢い良く立ち上がった湯の気配に、すかさずドアの隙間から友人が着替えを手に身を乗り出す。
「この国は美しいが潮風は美容に悪い…と、ヴィヴィアンヴァルツ、左胸に痣があるな、どうした?」
「―え?あ…!」
薄く開いた曇り硝子の扉を脚で押し閉め、肌触りの良いバスタオルと服を素早く掴む。身の丈にぴたりと合ったサイズのそれに腕を通しながら襟に圧された髪を両手で払う、鏡に映った自身の胸元には確かにコイン程の小さな痕が出来ていた。
指で押してみても痛みは感じない。
ラモナのユースティティア邸で入浴した時には無かった気がするが…。
ヴィヴィアンは眉間を寄せる。
作品名:LOVE FOOL・中編 作家名:弥彦 亨