LOVE FOOL・中編
自分で手を下すのが嫌だから手出しの出来ない仲間を操って殺す様な男だ。戦う気なら怪我人に取り憑いたりしない。
はっ、と厭らしく嘲る意味を理解しがばりと半身を起こす。
わざわざラームジェルグを選んだのは勿論ヴィヴィアンから情報を聞き出す為。
そして自分を出し抜いた男への報復―。
「違う……!目的は俺じゃない!」
「!?」
推し留める腕を振り切り、叫ぶ口内に血の飛沫が落ちた。
良く出来ました。とでも言う仕草で人差し指を此方に向けると、まるでバイオリンでも奏でるかの佇まいで黒薔薇は手にしていた剣を真横に引く。
「死ねない彼の呪いってどこまで有効なのか知りたくないかい?」
まさか、と見返すヴィヴィアンの横顔を黒薔薇とを見やり、剣を鞘に収めながら強く踏み込む。
一度は聞き腕を掴むものの、ユプシロンを捕えていた茨が主の命で壁となり押し戻された。
「僕はとても興味がある」
無力な偽善者共。思い知るが良い。
何を犠牲にしても成し遂げる強い「意志」が最終的には勝つ。善悪なんて何の意味も無いー。
告げると黒薔薇は押し当てた刃をラームジェルグの半身に柄まで捻じ込んだ。
「―――――!!」
生温かい鉄の味が喉を流れる。
それが血だと頭では理解していても、悲鳴は留まらない。正常な判断力を失っている身を案じて伸ばしたアストの手を振り切って、
ヴィヴィアンは血溜りに膝を沈めるラームジェルグを受け止めた。
「ラームジェルグ…!」
呼びかけに一瞬微かな光が灯る。
抱きしめられている、という事はヴィヴィアンヴァルツが無事だという事だ。
この状況で彼にまだ思考する力が残っているとは思えないが、少なくとも魔法使いはそう感じ首を縦に振る。
『それではお義兄さん。次は直にお逢いしましょう』
部屋を這い回っていた薔薇の一群は、黒薔薇の声に呼ばれるかの様背後の黒い影に呑みこまれていった。
そして賢者の書斎は花弁の一片も残さず、元の様相に静まり返る。残されたのは壁一面に飛び散った血痕と血海。
尚も出血を続ける身体と、全身を真っ赤に染め上げるヴィヴィアンヴァルツの姿だ。
「お前達、助けに来るのが遅…」
「きゃ…!」
檻が解けパチリと目が覚めた屋敷の主と精霊が
惨状に言葉を失う。
アストライアにも何も欠ける言葉が浮かばない。
ただ、汚れても尚、妖艶に紫色の瞳から零れる一滴の嘆きが頬を伝う面貌を眺めていた。
少し眠っていた間、気が付けばなにやら頭に黒い薔薇の生えていた若葉に目を細めエルライは優しく抱き寄せる。甘えた様に鼻を擦り胸に顔を埋める姿は姉妹の様だと口端を緩め、ユプシロンはいつの間にか日付が変わっていた薄明かりの朝空を見上げた。
言葉通り、黒薔薇はザニアの者には傷ひとつ付けては居ない。やろうと思えば出来るけれど。とでも言いたげなラームジェルグへ与えた反動がとても不快で、気に障る。
口約束など守らない、分別無い悪党なら良かったのに。それなら此方も相応の反撃が出来た。
些細な処で拘りのある賢者はぶつぶつと不満を
零す。
「異大陸は血生臭いなー。発展した機械の数々を見てみたいと思っていたが、俺はここが一番良い」
リビングの長いソファに浅く腰を下ろし、肘を着いた姿勢で誰にともなく皮肉を込める。書斎での惨状は元通りに浄化したが、稀に見た血量はしっかりと脳裏に焼き付いていた。
この時ばかりは自分の記憶力を怨むほど。
「いつかザニアにもそんな日が来るんだろうけど」
「…。」
賢者に森の精霊は応えない。
穏やかな微笑を向けるだけ。
手摺越しから見える二階の書斎は閉め切られたまま。腕の中の少女が潤んだ瞳を拭い、祈る様な眼差しで青い扉を見上げていた。
部屋の半分を占める程の大きな木製机に置かれたランプの仄かな灯と、北向きの窓から微かに漏れる陽光。壁が埋もれるほどびっしり天井まで並べられた本の棚。
日焼けしない方角を心得た造りは流石、賢者といった処か。
「意識が戻るかどうかは医者にも解らないそうだ」
「…。」
「むしろ、今まで意識があった事の方が不思議なくらいだとー」
沈黙を続ける応えにアストライアは一旦、口を閉ざす。呪術からの起きぬけであるにも関わらず、冷静に対応してくれたユプシロンの御蔭でラームジェルグはザニアで最も優秀と云われる医者へ引き渡す事が出来た。
深紅に染まる躰を抱いたまま呆然としいているヴィヴィアンから引き剥がすのには苦労したが。
残された者にそれ以上してやれる事は無い。
青白い顔と冷え切った指先には赤味が戻り、乾いた銀髪を梳く。簡易なバスルームでシャワーを浴び全身の血を洗い流した後のヴィヴィアンヴァルツは周囲が思うほど。
主にアストライアが案じるよりも。
至って平然な様相で書斎に籠り、積み上げた本の影から頁を捲る紙の音だけが其処に居る事を示す。
血痕が剥がれ落ち、下から現れた肌はこちらの心情などお構いなしに機嫌が良い。まるで数時間前に起きた出来事など覚えていない、といった態度の魔法使いに低く呟いた。
「これは、謝って済む問題じゃないがお前も、ラームジェルグも。俺と関わらなければ、こんな事には」
「…。」
返事はやはり返らない。
聞こえていないのか?と思わず裏に回り込む。
本の山を越え覗き込むと、頬杖を着いて数冊の古めかしい魔術書を広げたヴィヴィアンが振り返りもせず紙面に爪をかけていた。
「死なないって言ったくせに。
それじゃ生きているとも言えないじゃないか」
正常なのは心臓の鼓動だけ。
それも自然の摂理じゃない。
彼の血統を怨む死者と生者が呼び出した死神の意志で「死」が先延ばしに成っているだけの命。
あの時アストライアが部屋で助け起こしたラームジェルグの中に本人は居なかったのだ。
「明日の昼には此処を発つ。あいつはシェステールに
連れて帰る」
「いや、直ぐには動かさない方が」
唐突な話に思わず見開く。
アストライアは反論しながら、ヴィヴィアンの座る椅子に手を掛けた。背もたれを浅く掴み、横顔を覗くが視線は文字の上を滑らせたまま。
面倒臭いと今にも呟きそうな緩い口調であったが頑なで、これを譲る気は無い様だ。
「屋敷に連れて帰る。
あのメイドに預けておけば死ぬ事はない」
「ゲーデに?」
シャノアールの屋敷で遭った可憐な姿でとてつもなく怪力だった使用人を脳裏に浮かべる。
女性に一撃で気絶させられたのはあれが初めてだ。
苦顔を見せるアストに振り返り、後ろの本棚を指差す。
「あれが一族に取り憑いた死神の正体だ」
「?―そうだったのか!?」
「多分。あくまでも俺の予想」
会話を続けながら、指の動きに合わせ次の本を山の更なる頂に積み上げる。いつの間にか仕草だけでヴィヴィアンと理解し合える様になっていたとは自分自身驚きの順応だ。
されて当然だと思っている魔法使いからの返礼は無く、机上に開きっぱなしの冊数が増える。
背中越しに作業の一部始終を盗み視ていたアストライアは見慣れない文字に首を傾げ、ぱらぱらと消化され床に放り投げられた書物を拾った。
(まさか同時に読んで?)
必要箇所の文面だけに目を通し、解読と引用は頭の中で照合する。器用な頭だなと感心し、それから「こいつは「天才」だった」と思い出す。
作品名:LOVE FOOL・中編 作家名:弥彦 亨