LOVE FOOL・中編
同時に五感も戻る。
両肩を抱き、着替えを探しに辺りを一周させると
ラ―ムジェルグを肩に背負ったアストライアが扉を開けた。
「解決したみたいだな」
二人の異変に気が付き、アストは笑う。
「黒薔薇は?」
「逃げられた」
眉間を険しく寄せ、腕を組む。
他人の身体を操り自分は戦わない。嫌な相手だ。
「ヴィヴィアンヴァルツの石像、勿体なかったな〜。
屋敷に在っても良いのに」
「止めろ、気持ち悪い!」
アストに担がれたまま、後ろでラームジェルグが悪戯っぽく口許を曲げた。
「―っていうか、思ってたより元気そうだなっ」
「痛たたたっ!」
冷ややかな眼差しで鼻を鳴らし、焦げた肩を抓ると叫ぶ。改めて眺める友人の身は、火傷が赤く皮膚を
裂き高級なシャツは見る影も無く破れた有様だった。
背中越しでも伝わる生温かい感触から出血量が知れる。
通常の熱傷と違い、落雷による人体のダメージは表面では測れない。
こうして話が出来る事が不思議なほど。
自力では立つ事もままならない怪我人を背負い直し、部屋を見渡すと視界に飛び込む黒薔薇の生えた少女に一瞬、ぎくりと驚いた。
ヴィヴィアンに視線で問えば「気にするな」と答が返る。
(説明が面倒臭いんだな)
この悪癖だけは少しも改善される様子が無い。
アストは諦めた素振りでラームジェルグを手身近な椅子に預けた。
「何にせよ、黒薔薇も居ない。
身体が戻ったなら医者を探す方が先か…」
部屋の隅々にまで触手を伸ばした茨の蔓は、目的の二人を捕獲する以上此方に危害を加える
意志は持たないらしく成長を止めていた。
硬い葉を払いのけ、重厚な装飾が彫られた背もたれに滑り込む。痛みに表情が歪むがそれはすぐに自嘲へと変わった。
「日頃の行いが良いせいだな」
「よく言う。良い人間なら死者に祟られたりしない」
「あはは」
笑い声にさえ安堵する。
いつもの口調にいつもの態度。
白く血色を欠いていたヴィヴィアンの肌も明るさを取り戻していた。
アストライアの提案に頷く面は柔らかい。
「そうか。今回はあいつ等が居ないから…」
整った顎先に人差し指を当て呟く。
あいつ等。とは勿論、何故か自分を敵視している
魔法使いの「彼女」とその僕。
肌を露出した華美な装いの反面、得意な分野は治癒術と僕による「蘇生」。「他に命を分け与える」という特殊能力。
はた迷惑な連中ではあるが居ないとなればそれはそれで少し不便だ。
「『あいつ等』?」
照らされる室内の灯が眩しいのか、床に足を投げ
出し天井を仰ぐ額に当てた手の隙間から冷えた視線を投げる。
傍らで膝を着いていたヴィヴィアンが首を捻った。
「ええと、毒キノコみたいな衣装センスの、声の煩い痛い女…アスト、名前何だっけ?」
「ティターニアとイシュタム。お前の知り合いだろ」
後ろで再び薔薇と格闘し始めたアストは乱雑に薔薇を引き千切り唖然と言う。
「そう、それ!その二人」
手を打って、身を乗り出す魔法使いにラームジェルグも僅かに身を起こす。
「実はお前に話したい事が」
「何だい?改まって」
額が重なるくらい距離を詰めている事に気が付いているのだろうか?
二人の表情は見えない。見ない。
決意した風な呟きと、真摯に耳を傾ける友人としての在るべき姿。ヴィヴィアンが何を言おうとしているのか予想はついていた。
(何だろう、このはっきりしない気持ちは?)
自身を盾にしてヴィヴィアンヴァルツを守った彼なら協力してくれるだろう。
それを喜べないのか?俺は。
「――。」
斬り落とされた花は水分を断たれ茶色く変色し枯れてゆく。
断末魔の奇声を発し蠢くそれを足で踏みにじり、不快感を露わに見下ろす。足許に積み重なる残骸を踏み越え、アストライアは眠る賢者に指を伸ばした。
囲っていた枝が朽ち、彼等に手が届くまであと少し。
くぐもった告白がやがて全てを吐露する。
ラームジェルグの仕込み杖を指に絡ませ、深呼吸をすると魔法使いは思いきって打ち明けた。
「実は、魔法が使えなくなって、い る。
あの偽物だけどうして使えたのか解らないが、それで賢者に何とかして貰おうと此処に…」
―だから、傷が癒えたら、協力してくれないだろうか?
こんな台詞を他人に言う日がくるなんて。
返事を窺う様に怖々と見上げた銀色の髪から透ける双眸はしょぼんとメランコリックに満ちている。
けれど何処かで期待していたのも事実。
『俺は君の役に立つ為だけに居る』公然と述べる彼の言葉にこれまで嘘は無かったからだ。
「―何、だと? 使えない?いつから!?」
勢い良く身を起こすと、乾いた血で汚れた髪をぐしゃりと梳いた。痛みの感じていない動きは裂けた傷をさらに引き裂く。
真新しい傷口から鮮血が椅子から滴り、足を伝って床に水溜りを広げていてもまるで他人事の様な仕草に声がうわずった。
「アステリオスを「蘇生」してないってのは本当なのか」
「え」
何かが、いつもと違う。
いつもの芝居がかった仕草で嘆き、秘密を明かした歓喜で抱きすくめられると思っていたが友の反応はその真逆。
酷く冷静な言葉と違和感。
らしからぬ粗暴な態度に眉を潜めた。
「ラームジェルグ。どうしてそれを知っている」
「ラモナ」の王国を救った事は話したが、王子アステリオスを生き返らせたとまでは言ってない。
加えて、自分が「やっていない」と話したのは一人だけ。理由を聞きたくないと思うのに訊ねずにはいられないのは探究者の性だろうか。
「そいつから離れろ、ヴィヴィアン」
子供の様に床にぺたりと座り込み、中身の変わった友人を見上げるヴィヴィアンの背後で柄を握り直す金属質な物音がした。
騎士が剣を構え、牽制の声と呼応して熱の上がる室内の邪気。精霊の少女はエルライの影に回りこんで身を隠す。
「お前は 黒 薔 薇…… !」
崩れ落ちる様な叫びに血痕の残る唇が悪質な笑みを生む。ラームジェルグはヴィヴィアンが手にしていた杖から細剣を引き抜き旋回させる。
刃は円を描いて彼の頭上で輝いた。
「ああ、全く。君のナイトにはしてやられたよ、まさか石化で足止めされるとは思わなかった。おまけにこんな遠くまで追いかけて来たのにハズレだったなんて、随分と時間を無駄にしたな〜」
黒薔薇は術が全身に回るより早くヴィヴィアンヴァルツの身体から乗り換えたのだ。至近距離で、満身創痍で、一点の事に集中している人間を支配するなんて容易い。
これはその仕返しとでも言おうか。
囁かれた耳元で空気が裂ける。刹那。
美しい銀色の髪を数本散らし、腰を引き寄せられた体躯が床に転がった。
「どこまで無関係な者を巻き込むつもりだ!」
「そんな事気にならないからこうして大勢を巻き込んでいるんですよ、「お義兄さん」?」
死者の様な白い顔で、滴り落ちる滴も拭わず。筋力の緩んだ腕で切っ先をアストに向ける。
身体が意志に追い付いていない。
「この…っ」
憎しみは膨れ上がる一方、剣を振るう事は出来ない。ヴィヴィアンを庇いながら間合いを取ってじりじりと足を運ぶ。今も彼の身は悲鳴を上げていると云うのに、その最愛の人間まで殺させようというのか
何も手だてがないまま時間だけが過ぎて行く。
床に腰を落とした状態のヴィヴィアンは判り易い黒薔薇の挑発に怒りを込め、視線を向けた。
作品名:LOVE FOOL・中編 作家名:弥彦 亨