LOVE FOOL・中編
匂いをも吸い込む様大きく呼吸をし、乙女は満面の笑顔で頷いた。
「先にアストライアを探さないと」
「!」
くいっくいっと浅く指先を握って急く森の精霊に切り出すと顔色が驚くほど青ざめる。
「居場所は感知出来ているんだろ?」
ここまで危険視しているのなら、と訊ねるが少女は激しく首を振った。名前を聞くだけで露骨に嫌な顔をする森の精霊の手を引き剥がし、右側の通路を示せば嫌々をして座り込む少女に思わず深い溜息が漏れる。
このままでは埒があかない。
「じゃあこっちは?」
「…。」
左側に踵を返すと先刻までは頑なに拒否していた精霊の顔が明るく晴れた。
(判りやすい)
「…右か」
「!!」
属性上、火を恐れるのは仕方が無い。しかもあれは自然の物ではないのだから、社会経験の乏しい若葉にはとてつもなく邪悪な存在に映るのだろう。
しかし。ヴィヴィアンヴァルツには相手がどれほど怯えようが、知った事では無いのだ。
引き留める手を無慈悲に払い退け、床に膝を擦る少女を引き摺りながら真っ直ぐに突きあたりの一室へと向かう。
扉の前で腕を組み、大声で名前を呼ぶと腹立たしいほど呑気な口調でアストライアが顔を出した。
「…ヴィヴィアンヴァルツ?どうした、その格好…
それに、彼女は?」
マントも武具も解き、寝支度をしていたアストはヴィヴィアンの影で震える少女を覗き込む。
それからラームジェルグのコート一枚を羽織るバスタオル姿のヴィヴィアンに面食らう。
「こいつの事は良い。それよりも俺の身体が!お前の、厄介な敵の所為で酷い目に在っているんだ!」
文字通り透き通った掌を突き出すと、素早く事態を悟る。自分だけが被害者。そんないつもの主張も今回は軽くあしらえないほど深刻。
「黒薔薇か!」
ヴィヴィアンに何かしているとは思っていたが。
操るだけでは無かった、という事か。険しく歪む陽色の瞳に黒い影が一滴滲む。
直ぐにでも向かおうとベッドに立てかけた剣を掴み、部屋を飛び出すアストの動きがピタリと止まった。
何処かに連れようとしていた森の精霊がアストライアへの恐怖と、一向に応じてくれないヴィヴィアンヴァルツへ。
とうとう大声で泣き出したのだ。
「…参ったな。泣かれるのは、困る」
魔法使いに助けを求める表情はいつもの騎士。
涙を拭おうと近寄る仕草も逆効果だ。
「俺は全く困らないが…煩い!!」
容赦無い佳人の一喝に少女は「ぴゃ!?」と短く
鳴いた。
悪しき事態はユプシロン邸にも及んでいた。
カーラの精霊はこれを伝えようとヴィヴィアンを探して来たのか。えぐえぐ、と喉を詰まらせる彼女を宥めすかし、二人は書斎で黒薔薇の一群に包まれた屋敷の主に駆け寄る。
「関係の無い二人にまで」
幾重にも伸びた茨の檻を見上げ、咲き誇る禍々しい華を
一つ握り潰す。これが唯の観賞に留まる物ならば神秘的で美しいと称賛も出来るが。
術士の意のままに人を操る鎖だと知れば不気味でしか無い。
部屋を取り囲む大きな薔薇の園に囚われたユプシロンとエルライ。手を伸ばせど、彼等に到底届く距離ではなかった。
「刺さってはいないな。怪我も無い様だし、眠っているだけみたいだが…」
部屋も荒れた様子が無い処から、戦闘には成らなかったのだろう。中を覗きながらアストライアは言う。
焼くのは問題外。地道に斬り払うしかないのか。
「それじゃ時間が掛かり過ぎる」
待っていられない。
「むやみにそれを使うなと…」
制止を聞き入れず指輪を口許に寄せたヴィヴィアンヴァルツの指が唇をすり抜ける。剣で闇雲に薙ぎ払いながら、魔法使いの手元を見た。
透けているのは指だけではなく、指輪までも。
実体は此処には無い。となれば、当然物質も黒薔薇の手の内なのだ。
「何処に行く」
顔を伏せ、脱力気味に腕を下ろす。出て行こうとするヴィヴィアンの前に若葉色の精霊が塞がり、泣き腫らした顔を向けていた。
「此処に居ても何も出来ない、だったら引き返す」
「戻っても同じだ。黒薔薇の目的がお前だというなら此処に居た方が良い」
「それでも!ラームジェルグが「俺」に一人で敵う筈が無いんだ。死なないと言ってもそんなの判らないじゃないか!」
「ヴィヴィアン…」
何も出来ないのは自分の方。
これまで一度も口にしなかった友人の台詞に、アストライアは己の無力さを呪う。
彼等には何の関わりも無い。此処に来なければ出会わなかった二人の筈だ。
自分よりも若い少年を巻き込んで。彼に従うゲーデにも無傷で返すと約束したのに。
「判った。俺が連れて戻るから、此処を頼む」
雑草を刈る勢いで振るっていた剣を鞘に納め、屋敷と宿の接続口に手を伸ばす。
振り返るヴィヴィアンの横をするりと通り、止める間も無く扉の向こうに姿を消すアストに物言いたげな指が宙を掻いた。
「…。」
重苦しい沈黙の後、床に直接腰を落とし座り込む。
元々細身ではあったが膝を抱える姿勢のヴィヴィアンは殊更小さく、険悪な二人の言い合いを不安そうに見ていた少女は、ぎゅ、と組んで両手を胸元に寄せ隣に並ぶ。見よう見まねで膝を抱えると長い髪が絨毯に流れる。
ちらりと紫瞳が窺い見た。
「…。」
「…。」
慰めているつもりなのだろうか。
同じ格好で肩を擦りつけ揃って帰りを待つ。
ぼんやりと囚われたユプシロンの姿を眺めていたヴィヴィアンが不快そうに顔を背けた。
「悪かったな。何も出来ない魔法使いで」
「…。」
話しかけられた言葉に耳を澄まし、何の事かと首を傾げる。皮肉の意味は解らない。ただ声音が心地良いと、森の乙女は笑顔を返す。
「普通の人間よりも使えない、役立たず。
けど元に戻れば賢者に頼らなくたって全部丸ごと解決出来る、筈なんだ」
悔し気に呟く青年に、少女は一瞬身を乗り出した。
「…。」
「お前、っ!?」
ふいに感じる柔らかい温もりに肩が跳ね上がる。
瞼を閉じ数分間祈りの様な動作をした後、頬に当てた唇の感触だ。
「〜〜〜〜〜!」
何事かと面食らうヴィヴィアンにしがみつき頬を真っ赤に力んで額を胸元、鎖骨に押し当てる。
悲しそうな彼を元気つけたい、精一杯の励まし。
それは未だ自身の能力さえ開花していない精霊に強く発芽を促したのか。
吸精時の様な気の流れを受け取り、少女の頭に
黒い薔薇がぽこんと大きく一輪咲いた。
「うあぁっ!?何か咲いたぞ!!」
「??」
声を挙げるヴィヴィアンヴァルツに驚き、両手で探ると目を大きく見開く。生まれたばかりの鮮やかな緑髪から、確かにそれは生えていた。
訴える眼差しで見返すもヴィヴィアンですら解らない。けれど。
慌て掲げた手の甲が手首から徐々に血の気を纏う。
刻印が消えた事で霊体は実体を得、姿の持たない
空の器は石化が解けると同時、砂礫に還ったのだ。
悪しき黒薔薇は精霊の中で浄化され、ただの麗しい薔薇へと変わっていた。
「戻った…?これの御蔭で?」
噛みつかれでもするかのように。
怖々と花弁を一枚指でなぞると精霊の感情に合わせて揺れる。
面白い格好になった。
「頭に花なんてバカっぽいな。後で俺が見栄え良く飾り付けしてやる」
よほど嬉しかったのかヴィヴィアンに微笑を向けられ、万歳をして跳ね上がり舞う。ヴィヴィアンはバスタオルを解き羽織った黒衣に袖通しながら、くしゃみを一つした。
(寒…!)
作品名:LOVE FOOL・中編 作家名:弥彦 亨