LOVE FOOL・中編
言葉少なに交わしながらも脳裏で対策を挙げ、効果の薄い結果に消去法を繰り返す。
「判らない」
ヴィヴィアンヴァルツは小さく唇を動かし、後退した。
天才魔法使い、とは言え探究だけが目的の自己満足型で、良くも悪くも人に向けて使った試しが無いのだ。
「だよな」
身体は本物。実体が向こうであるなら、攻撃はそのままヴィヴィアンへのダメージに成るのだろう。黒薔薇の言葉を思い出し伸ばした指は案の定滑らかな肌には触れず、すり抜ける。
ふう、と剣を鞘に収め、羽織っていた黒衣をヴィヴィアンの身体にふわりと被せた。
裏側に魔除の紋章が縫い込まれていたコートには、姿無き者を護る効果もあるらしい。
「逃げろ」
本当に便利…。そう言い掛けコートを掴む指先が震えた。
「お前も、だろう?」
恐怖の出所が何で在るかは判らなかったが、避ける風もない友人の背中に身体の芯が凍てつく。ぴちゃり、と濡れた水音に俯くと浴槽に浸されていた湯は溢れて足許にまで広がっていた。ウォーターリリー香る術衣に護られ、そろそろと訊ねる声は酷く擦れて他人の様。
「抱きかかえられない以上一緒には行けない。
どちらかが逃げ遅れる」
(「どちらか」じゃなくて俺だって言えば良いのに!)
瞬いていた瞳が曇る。
こんな時ですら余裕の演技を崩さないラームジェルグの腕を掴み取ろうとするも宙を泳ぐばかりだ。
「住人には何もしない約束だったから、逃げられると困るな」
最大値まで伸びた鎌を真横に振るうと、刃の残像が大気を裂く。
「っ!?」
同時。室内を眩く照らす雷光と、影に呑まれる青年の姿を焼き付けたままヴィヴィアンヴァルツは飛ばされ廊下に吹き飛んだ。
コロコロと廊下の壁まで転がり、顔を起こすも既に扉は閉じている。霊体のおかげで物理的ダメージは負わない身を床から起こし、飛びつくが自力ではノブを回す事もままならない。
「ラームジェルグっ!!」
物を掴めないならドアも抜けられそうな物なのに、そう都合良くは出来て居ないのか。額を擦りつけ一枚隔てた裏側で起こっているだろう一方的な攻撃に歯噛みする。
まさか自分を庇って直撃…。
「アストライアと賢者の処へ行くんだ」
衝撃音と閃光の間を置き、返って来た応えに瞑っていた双眸を開く。
「アスト!?部屋は?」
「下階の角部屋」
「何でそんなに離れてるんだ!?」
非難する声にラームジェルグは軽く笑う。
「あはは、今それを酷く後悔している処…」
ドアの向こう側が重く打ち震える。
それでも大破しないのは大地を従える魔法使いが壁を作っているせいだ。激しいぶつかり合いの音を聞きながら、ヴィヴィアンは数歩後ろに下がる。
残された指輪を掌で包み、視線を落とす。
使えば、黒薔薇を倒せる。―かもしれない。
しかしその後、自分はどうなる?
身体が戻る保障は無いのではないか?
―力を誇示したいが為の馬鹿で安易な行いで。
『軽はずみに悪魔を呼び出して何の代償も払わずに済むと思ったのか!』
かつてお人好しの「悪魔」にそう怒鳴られた台詞を思い出す。
「死んだり、しないよな?」
「勿論、俺の最期は代々無様な事故死と決まっている」
シャノアール家の呪いがこんな形で役に立つとは。
皮肉なものだな。
「直ぐに戻る!」
言い残し、遠のく佳人の気配に安堵の微笑を浮かべ、ラームジェルグは口端から苦痛を零す。
防具でもあったコートから露わになった薄手のシャツは焼け焦げ、立っているのが不思議な程。それでも盾であろうとする男の姿勢に黒薔薇は忌々しいと刃を振り上げた。
「生き物であるなら己が一番の筈なのに。人ひとり犠牲に出来ない愚か者が、他人の命を何とも思わない僕の様な悪党に勝てる道理が無い」
「知能指数が上なら、そうでも、無い」
仕込み杖で正面から受け止め、重い一撃に膝が屈する。
「脇役の分際で出しゃばり過ぎ。
君ごときに僕を追い出す事なんて出来やしない」
「賢者とヴィヴィアンが術を見つける」
武器を交え、吐息が重なるほど近くにヴィヴィアンの麗しい顔が、不釣り合いに歪む。
長い睫毛、薄く艶めく唇も本物と違わず美しい。のに。
言動が醜いだけでこうも印象が変わるものか。
「叫べよ、死に損ない!」
左手に留めたヴォーダンの球体を側頭骨に押し当て、こめかみに放つ。黒薔薇の凶刃はじりじりと肉を裂き、心臓を目指していた。屈強に殺していた悲鳴が喉から響く。
「良い声…う、!?」
とたん、重力が増した。
全身に掛る圧に思わず足許を見やると靴底から
這い上がる水銀色の粒子に瞳孔が収縮する。
ラークジェルグの挑発に乗って、勝ちに酔ったあまり気が付かなかったのだ。
腕を引き寄せられ反射的に身を捩るが両脚は硬直を終え、術は最終段階に向かう。
「このっ!よくも…こんな!」
毒を吐く舌の根までもが次第に硬化。
―石化する。手から離れた雷が躰を貫き、身を切り裂こうともラームジェルグは離さない。
避けられない。攻撃も出来ないなら、時間を稼ぐしかないのだ。
「取りあえず…、お前は、此処から動くな」
あのヴィヴィアンヴァルツ同等の力と対決した。そう言ったらカカベルはきっと悔しがるに違いない。
静まり返った部屋の中、大きく肩で呼吸を繰り返し崩れ落ちる。まさか室内で落雷に遭うとは思わなかった。煙と鮮血を吐く口許を指で拭い、石化した黒薔薇を見上げ満足だと笑む。
ラームジェルグは冷え切ったバスルームから流れる水溜りは赤く、排水溝に渦を描く。水面に頬を沈め、彼の意識と視界は暗転した。
関わり合いを避けているのか争う騒音にも誰一人、部屋から顔を出さない。正義感の強い者が駆け付けてくれても良さそうなのに。
ヴィヴィアンは己の安易な発想に眉を寄せた。同じ立場ならば「そう」する。他人にだけ求めるのは勝手な話か。
息の上がった胸を押さえ、階段を転がる様に駆け下りると木扉が狭い間隔で並ぶ通路に辿り着く。
一階の客室では上の出来事を知る由も無い宿泊客が軽い足取りで往来し、ある者はこれからの食事に、ある者は街中で繰り広げられる歌と踊りに心行かす。
首筋に纏わりついた洗い髪を払う事も、素足でいた事も忘れていた。実体の無いヴィヴィアンは抵抗なく人壁をすり抜けるも、姿は霊よりも鮮明だ。
羽織る黒衣から覗いた白肌に二度振り返っては瞬く、が理由を問う者は居ない。重厚な装飾の手摺の横で左右を見渡し、指を口許に当て決めかねる。
角だと言っていた、アストライアの部屋はどちらだろう?
二分の一の確率に賭け片足を踏み出す、と。
蛍光色に裂けた空間から突然に現れる少女と目が合った。
(何だ?)
新緑色の髪は踝まで長く、双眸は天空を映した様な青。
「人」じゃない。
一目で判る造形の彼女はヴィヴィアンを見つけるなりその胸にずしりと飛び込んできた。
「〜〜〜!」
体躯の軽さに反し、勢いは重厚。
思わず息が断たれよろめく魔法使いに泣き出しそうな表情を埋め、手を引く。何処かに連れて行こうと両手を大きく振り、懸命に何かを伝えようとしてはいても全くの不可解。
言葉よりも行動が先に立つ。この雰囲気、感覚、どこかで覚えがある。
人差し指を鼻先に押し当て問うた。
「お前。もしかしてカーラの森に居た…?」
精霊だから触れられるのだろう。
作品名:LOVE FOOL・中編 作家名:弥彦 亨