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LOVE FOOL・中編

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美しい紫色の双眸は灰色にくすみ、微笑みもどこか狂気を匂わす。
(天才とか言うわりにあっさりと操られやがって!
バカヴァルツめ!)
過去に起こした自らの失態を再現されてる様で気分が悪い。ユプシロンは心の中で密かに悪態を吐いた。
「いやいや。僕なんか使いパシリですよ、黒幕は今頃
優雅にお茶会してます」
軽く笑い飛ばす謙遜の言葉も不釣り合いで不愉快。
部屋の空気をも浸蝕する薔薇の香りに呑まれまいと腕を組み、その下で手の甲に爪を立てた。
再び椅子にどかりと座って足までも組む。
「大体黒い薔薇なんておかしいと思ったんだ、一番メジャーな白と赤を差し置いて何でいきなり「黒」なんだって。
やっぱり薔薇の名前を借りた「集団」か。俺が脅して黙るとでも?」
「脅すなんてとんでもない、異大陸の賢者様。
森の美しい精霊と貴方には敬意を払って此方側の問題に立ち入らないで欲しい、と丁重にお願いしているんです」
すやすやと眠りに堕ちるエルライを抱え、ユプシロンの膝に横たえるとヴィヴィアンの姿をした呪術士は胸に手を当て慇懃に囁く。表情一つでこうも印象が違う物か。
整った面貌が醜悪に唇を吊り上げる様は見た者を凍てつかせるほどの迫力がある。この男なら、罪の無い娘を生きたまま焼き殺す事も平気なのだろう。
自分は何一つ手を汚さず、多くの命を殺し合わせようとも痛む心が無い。
腕に収まった精霊は穏やかで、苦痛を感じている風も無く。髪を梳くと露わに成る白い首筋にも、棘は牙を向いては居なかった。
黒薔薇の言葉は、とりあえず真実だ。
この場に「アルファ」が居なくて幸運だったな。
燃える様な紅い髪をした最愛の女性ならきっと赦しはしないだろうが、とエルライに咲く黒い花弁を毟りながら応えた。
「わかった。手を引く」

「嫌というなら…って、え?あ、あぁ。
そう、です?それは予想外な反応でした」
通常の流れから、当然一度は断られるだろうと予期していたが、あさりと受け入れる賢者の選択に黒薔薇は却って動揺に喉を詰まらせる。瞬き首を傾けるヴィヴィアンを威圧的に一瞥し、ふんと鼻を鳴らす。
「確かにお前の言う通り、あいつ等がどうなろうと俺には関係ない。
エルライも傷つけられてはいない様だし、この世界の人間に誰も手出ししないというなら好きにしろ。
朝までには解けよ、さもないとガラ空きになってる本体の処に乗り込んで黙らせる」
これは本心。術の裏側までバレていたとは。
黒薔薇は平静を装い、屈していた足を伸ばすと灰色のマントを翻す。
「承知しました賢者様。
やっぱり直接来なくて良かった〜、お二人にはどうも勝てる気がしなかったんですよ」
先程から感じる「森」からの敵意に耐えるのもそろそろ限界か。用は済んだ。
両手を掲げ降参のポーズをして見せ、逃げる様に身を翻す。本物の居る街の宿に繋がる路へ歩調を早め、招かれざる客が扉の向こうに消えて行くのを見届けると青の賢者はがくりと首を垂れた。怪我をしていないとはいえ、エルライをこんな目に合わせる自分に憤りも含む。
―良いんですの?
身体は眠ったまま。話せないが二人には別の繋がりがある。
耳膜の奥に流れ込むエルライの心配そうな声にユプシロンは顔を顰めた。
「こんな処でやられるレベルじゃ先に進むのは到底無理。これは「アイツ」が自力で乗り越えるべき最初の試練だと思うよ」
―心を鬼にして崖から突き落とすのですわね。親切ですこと。
「でもエルライが嫌なら力ずくででも…」
―いいえ?お伽噺のプリンセスみたいで助けを待つのも楽しいですわ。
自分の置かれた状況ですら、楽しいと。
二人があの邪悪な意志に打ち勝つと信じて疑わない精霊にひと握りの嫉妬も込めて。
「でもヴィヴィアンとキスはさせないからね?眠り姫」
―くすくす。
ユプシロンはこつりとエルライの額に額を突き合わせ、瞼を閉じた。
いつしか荊は本に描かれた挿絵の様に、二人の身体を囲い包んでゆく。甘い薔薇の香は部屋を充満し、全てを沈黙に塗り変え妖艶に咲き誇る。命まで取る事はしないが、奪われる事は容易い。黒薔薇の持つ「茨姫」―ブラックバカラはゆっくりと、その意識を奪い取る神経毒なのだ。
++
「バカ!前を見ろっ」
「はっ!?」
湯気の中で揺らめく、ほぼ全裸姿のヴィヴィアンヴァルツから矢継ぎ早に怒鳴られ背筋を正す。
目の前の光景から沸くリビドーを振り払い、只ならぬこの状況に応じるのが数秒でも遅れていたならラームジェルグの躰は縦に引き裂かれていたかも知れない。
咄嗟に抜いた仕込み杖の刀剣が奇襲の一撃を防ぎ、脳天から振り下ろされた刃は軌道を逸れた。
「おや、魔法使いのくせに物騒な」
魔法剣士の肩を数ミリ霞め取るだけに留まった。
自身の刃を引き戻し、霞む湯気の奥から嘲りの口調が返る。僅かに首を傾げ、爪先がタイルの床を叩いて現れたのはもう一人のヴィヴィアンヴァルツ。
灰色のフードを被った内からでも艶美さは変わらないが、違いを挙げるとすれば黒薔薇の装飾が施された物々しい凶器を手にしている点か。
櫂…鎌??
どちらにしろ、まともに打ち合えば剣の方が先に折れる事だけは明白。美貌の魔法使いを背に庇いながら、ラームジェルグは飾りのついた柄を強く握り直した。
「術士が杖しか持てないと思うなよ、偽物」
若い強気な瞳に戸惑いは浮かばず、白銀の剣先を不躾な姿の刺客に突きつける。
そもそもイエソドの術師は殆どが何も持たないか書を扱う。 
錫や杖を持つのは師から弟子に引き継がれ、魔力を得た古典的な手法を使う者だけだが。それを説明してやる必要も無い。
「偽物、か。迷わないね?」
(嫌な感じ)
一目で自分を敵と見なす、純粋で善良な魂に黒薔薇は嫌悪と呆れた微笑を浮かべた。たとえ同じ姿をしていてもヴィヴィアンヴァルツが危機に遭うなら後者を護るのが役目だし。何よりも彼がその手に武器を掴む事などありえない!
「当然」と応える魔法剣士へ、先端に鉤状の刃を向け空いた片手はその背に乗せる。
「でもちょっと違うな。体は正真正銘ヴィヴィアンヴァルツだから」
「!?」
五本の指から流れ出る、蠢く蛍光色の火花に初めて動揺が浮かぶ。それは後ろで小さくバスタオルに包まる本人も例外ではなかった。むしろ驚きはラームジェルグ以上。
(何であいつは「それ」を呼び出せる!?)
魔法は使えない筈なのに!
ーそう叫びかけた台詞を呑み込む。
「改めて見ると、壮観。壮美。壮絶。
道具も言葉も使わずどんな術式で生み出してるんだ」
「どうせ言ってもお前には出来な…じゃなくてっ!
避けるか防ぐか跳ね返すとかしないと!」
言う間にも閃光は小さな雷と成り、平な刃先を鋭利な三日月型に変えて行く。眩い光のデスサイズは術士の身丈を軽く越え、抱えきれない力が禍々しい雷鳴を落とし床の水溜りに滴らせていた。
丸い小さな電子はジュ、と音を立て水面の上を放電する。
部屋一面に範囲を広げるのも時間の問題だった。
「レベル違いの俺に出来ると思う?」
防ぐ、だなんて簡単に言ってくれるな。
内心で毒付く。対等の雷撃なら多少自信はあった。
けれど、これは複数の上級属性を配合して造り出したオリジナルの魔術。
雷公「ヴォ―ダン」は四大元素の境界を越えた生命体と噂に聞く。
威力と能力は未知数。―規格外。
作品名:LOVE FOOL・中編 作家名:弥彦 亨