LOVE FOOL・中編
恋敵とまでは言わないが、面白くないのも事実である。
気がつくと窓から射し込む光は月の物へと変化を始める。背丈のある長窓を見上げ、ユプシロンは少し空気の冷えた自身の館を訝しんだ。賑やかな招かれざる客のせい、か。
三人が三様、それぞれ問題を抱えている。
見立てではラームジェルグ、アストライア。跳んでヴィヴィアンヴァルツの順位であるが依頼は後者の二人。
何が出てきても、起きても。絶対に外に漏れない円形魔方陣を描き、その中で解除を行う。
今回は特に頑丈に。
ひと仕事終え、どっかりとシングルソファに沈むユプシロンは並んで座る二人から離れた後ろで書棚の希少本を眺める若者に声をかけた。
「ついでだ、ラームジェルグ・アルトアイゼン・シャノアール。お前の問題も謎解きしてやろうか?」
「ありがたい申し出だが家督の恥を晒す訳にはいかない。相手が賢者様でもね」
未成年らしからぬ丁重さで断られ賢者は口を尖らす。エルライに勧められ他の書庫に案内される若き魔法使いの後ろ姿を眺め、それから今にも黒煙を吐きだしそうに燻るオーラを纏う右腕にサファイア色の瞳を細める。肘かけに腕を乗せ、指先で火傷の痕を見せろと促した。
「じゃあ次はお前だな。解呪」
「俺は!?」
ユプシロンの言葉にヴィヴィアンが身体を乗り出し立ち上がった。んべっと舌を出す、大人げない同レベルな賢者の返しにアストライアも面喰らう。
「お前なんか一番最後だ。出直して来い、バーカ!」
「!!」
はっきりと面と向かって愚者呼ばわりされた魔法使いは頬を真っ赤に膨らませた。
「誰がバカだ!」
「お前」
つい、と人差し指を向けられ益々憤慨す。
涼しい顔で視線を逸らすユプシロンと、立ち上がったままのヴィヴィアンヴァルツ。
子供の喧嘩じみたやりとりにアストは双方を見比べ、賢者の指先をそっと下ろした。
脱線しかけた本題をやんわり軌道修正しながら深い溜息を吐く。
「俺の方は後でも…と、そういう訳にもいかないんだな」
「火気厳禁」の立て札は大袈裟な警告文句では無く、物理的な森林へと精霊達への配慮も含まれている。ここは素直に順番を受け、解呪して貰った方が良いと考えた。
(本当にそれでいいのか?)
これから先それで黒薔薇を、その奥に居るまだ見えない敵を討てるのか。早く捨て去りたいと思う反面、依存しているのも事実。
そんな自分が嫌だ。
「判れば良い。では精細を。どうせお前も触れなくて良い物に触れて怒りを買った口だろう」
居るんだ、そうやって好奇心から自分の首を絞める奴が。賢者は軽い口調で頬杖をついた。
本心の読めない涼し気な表情と、澄んだ青眼に見据えられ内面の葛藤を悟られた気さえしてくる。
アストライアは動きの鈍った手を握り直し、包帯を解き始めた。
「元々は妹の首にかかっていたメダルで、火傷の痕は俺が引き千切った時に着いたものなんだが」
事の始まりは妹の婚礼。黒い薔薇の飾りを身に着けた男と掌に焼き付いたメダルのレリーフ。
忘れた事など一時も無い。悲鳴も焦げる臭いも、全て覚えている。
何度繰り返しても同じ事をするだろう、と。
「焼付いた…なら、こうして見るのが正解か」
「痕」だった火傷の皮膚は、医者も術師も原因が判らず、治せないまま数年の経過。難しい表情で観察していたユプシロンが徐に縁の無い長方形の鏡を取り出すと隣から「あ…!」と声が上がった。
今までこんな単純な事に気がつかなかったなんて!
ありありとそう浮かぶ端整な容貌にぷぷっ、と失笑が向けられる。
「バカヴァルツ、天才とかいうわりに…」
「煩い、バカバカ言うな。忙しくて其処まで気が回らなかっただけ…」
喧嘩腰の語尾が文字を追う動きと共に途切れた。
「…。」
「…。」
双方言葉を詰まらせきり、沈黙が部屋を重く満たす。
「おい?」
とっさに声をかけるも返事はどちらからも無かった。不貞腐れた風に腕を組んでどっかりと隣に座る不遜な魔法使いですら口を閉ざしたまま。
凝視しているユプシロンも晴れやかとは言い難い。
何かを言い渋っている風な二人の態度に耐えかね、アストライアは自分から切り出した。
「悪い知らせでもはっきり言ってくれ、余計な希望を持たずに済む」
ふわりと微笑を浮かべたつもりだったが、それは口許を歪めただけかも知れない。アストは二人を黙らせた己の掌をしげしげと見やる。
―鏡文字。
露わになった醜いケロイド状の傷痕は肘を越え、肩にまで着く勢いで悪化していた。
見慣れた醜い焼印の文字に一体何が記されているのだろう。
見事な装飾技法で造られた呪詛?言霊?魔法陣と魔術的暗号の組み換え?
映して初めて解読出来る左右対称の一編は、驚く事に鏡の中と合わせて見開きの書の様にも見えた。
何かを召喚する為の呪文の様だったが自身に読み解ける筈も無く。身を前屈みに倒し食い入る賢者と魔法使いとの間で唯視線を彷徨わす。
「この旅は、するべきじゃなかった」
身を少しだけ椅子から乗り出し、鏡に映る文字の羅列を眺めていたヴィヴィアンヴァルツが足を組み換えぼそりと呟く。
「何だと?」
突き刺すような眼差しが魔法使いを振り返る。
露骨にムッと聞き返すアストにソファから魔方陣の外へと小走りに逃げ出し、書棚の傍らに置かれた椅子の高い背もたれを抱きかかえ叫んだ。
「理由を知ってて、よくもそんな…」
一番言われたくない否定案を向けられ、思わず怒気を吐く。
「お前が言えっていったんじゃないか!」
そんなアストライアにも聞こえる程大きな溜息をつき、賢者は立てた肘を下ろすと真摯な顔で伝えた。
「でははっきり言おうか、アストライア=バルドー。
俺には何もしてやれない」
「それは…「出来ない」という事か」
落胆と安堵。
どこかでほっとしている自分にも苦笑する。出来ないのかと問われ、ユプシロンは頷くも慌てて付け加えた。
「言っておくが、俺の能力が足りない訳じゃないぞ?
これは「呪い」じゃないから解き様がない。次に、お前は俺の助言を聞き入れない。
だから出来ないって二重の意味だ」
いつもなら「役立たず!」と野次を入れるヴィヴィアンまでも大人しい。
同意見という訳か。
「解き様が無い」という考えは浮かばなかった。
事の重大さを噛みしめ、それから賢者の言葉端にひっかかり顔を上げる。
「俺が助言を聞き入れない?」
そんな事はしないと首を振るも、青い双眸は全てお見通しだとばかりに細く温度を欠く。
「なら復讐なんて止めて出家でもしろ。聖職者になれ」
旅を止めろとヴィヴィアンばかりか彼までが同じ事を言う。知っていて、判っていてそれを言うのか。此方には何の説明もせずに。
「確かに、それは。受け入れられないな」
ならばこのまま正体不明の怪物と共存してゆくしかない。
テーブルに乗せていた腕を引き寄せ、捲り上げたシャツを下ろす。
「解除出来ない魔術なんてある物なのか?」
「元々お前に向けて放たれた物じゃない。術の最中、お前が邪魔をしたせいで背負いこんだ「モノ」はいわば衝突事故。其方の世界で何と呼ぶかはヴィヴィアンヴァルツに聞け」
術の発動中に媒介を生贄から奪った事で起きた魔導事故。
作品名:LOVE FOOL・中編 作家名:弥彦 亨