LOVE FOOL・中編
何か絆が芽生えた様な二人の理由に、何も知らないヴィヴィアンヴァルツは独り露骨に頬を膨らませた。
神の息が吹いた国、神聖国「ザニア」。
上品な佇まいの城を拠点にぐるりと扇状に街が栄える。
優しい煉瓦路に色とりどりの屋根を掲げた多種多様な店。花壇と噴水。緑と水と大地に富み一目で此処が「平和」だと判る。イエソドでは窺えない人々の日常は、皆決まったリズムで動いていても同じでは無い。街の文化や歴史に息づいたそれぞれの光景だと。今日は素直にそう思えた。
旅慣れしたラームジェルグが一人で宿を探す間、残されたヴィヴィアンとアストライアは路上の木製ベンチに腰掛け膝を並べ、大人しく帰りを待つ。
文化や気候による若干の変化にゆるりと視線を巡らすと幼い少女が此方を見て立ち止まり、やがて母親の元に駆けて行く。足許に抱き付き、隠れながらもちらりと自分を盗み見る姿に眉を潜める隣でくすりとアストが笑った。
「何が可笑しい」
「あんな小さな子供さえ、お前に見惚れるんだなって」
「ふ、ふーん?だから?それの何処が可笑しいんだ。いつもの事だろう」
そう言うものの、ふふんと自慢の銀髪を梳く。
相変わらずのナルシストぶりを発揮し、徐々に待つ事が退屈になって来た魔法使いは足を組み変えた。
背もたれに半身を預け、首を後ろに倒す逆さまな視界の中、透明な水滴と跳ね上げ小さな虹を作る。噴水の向こう側で道化と演奏者がザニアの歴史を乗せた言葉を奏でていた。
一度は魔物に襲われ国王と王妃を失ったザニアだったが、王子が城に戻り精霊を虜にした歌姫を妃に娶り王位を継ぐ。結果、天と魔と精霊の祝福を受け見事な復興を果たしたという、現在に至るまでの詩だ。
精霊を虜にした魔法使いなら此処にも居る。
「ラモナも直ぐにこんな国に成れるよな?
向こうは王子が二人もいるんだし、此処よりずっと簡単に…」
反らせていた身を前に正し、此方を覗き込む様にして訊ねるヴィヴィアンにアストは振り向く。
まさかヴィヴィアンの口からテセウスやアステリオスを気遣う言葉が出るとは思わなかった。
これは自分の方こそ認識を改めなくてはならない。
「ああ。直接何かに襲われた訳ではないからな、帰りがてらまた寄ってみるか?」
驚きの表情を掌で覆い、ちらりと横目で見返す。
頬杖をつきながらわざと軽く応えると真っ直ぐに向けられていた紫眼がはっ、と逸らされた。
「俺は全く興味ない。―けど、お前がどうしてもと云うなら付き合ってやっても良い」
改めて自身の柄にもない言動に気が付いたヴィヴィアンはくるりと躰ごと向きを変え、アストライアに背中を向ける。ソッポを向いた背がそわそわと動く。
「アステリオス王子はお前に懐いていたからきっと喜ぶ」
子供の様な仕草に口許を緩ませ言うと、肩越しの視界からラームジェルグが手を挙げているのが見えた。
異国の貴族や商人が良く利用するという、ヴィヴィアンの為に浴槽重視のスィートルームを取ったと杖を肩に乗せ自慢げに語り、加えて住人から仕入れて来た情報をも二人に告げる。聞けば直ぐに居場所を教えてくれたらしい。
「庶民的というか、随分と信頼されているんだな。どこかの魔法使いとは大違い」
「俺は自分を売り出さないからな」
名高い「青の賢者」とはユプシロンという青年で、王都アステリオンに隣接した広大な森を拠点としている。古くから精霊が棲む「カーラの森」に踏み入るには「彼等」との相性が必要なのだと云う。
気に入られなければ屋敷にはたどり着けない。
訪ねた処で留守にしている場合もある。
よく街に買物をしに姿を現すが、国外に出て戻らない事も多々あるというのだ。
「面倒臭いな、向うから来て貰う訳にはいかないのか」
「どこまで厚かましいんだ」
悠然とベンチに座り言い放つヴィヴィアンヴァルツにアストが立ち上がり、睨む。
「で?どうする?今から行くかそれとも明日?」
羨ましい程、仲睦まじく始まる痴話喧嘩に溜息で割り入り、ラームジェルグはひっそりと空いた隣に腰を下ろす。
「一度訪ねた方が良いかもしれない。どう思う?」
魔法使いのまともな意見ならヴィヴィアンより適していると認識したのか、肩に腕を回そうとしている
ラームジェルグに問う。それとも知っていてわざと邪魔をしているのか。拗ねた口調で応える。
「これが営業なら面倒な相手にはまず初対面の挨拶に行く、本題はその次だ」
「じゃあ、そうしよう」
言うなり荷物を担ぐアストライアに不満の声を漏らしながらヴィヴィアンも後に続く。
「喧嘩するほど仲が良い」そんな言葉が頭の中を旋回する。
自分との方がずっと長い時間一緒に居たのに、この距離感の差は不公平だ。何よりヴィヴィアンがアストライアを「追う」のが気に入らない。ささやかな苛立ちを抱え舌打つラームジェルグも二人の後を歩き出した。
森の入口はごく簡単に見つかった。親切に手製の看板が立てられていたのだ。
ここより「カーラの森」。冬場の侵入、火気厳禁。
初めて目にする注意書きに「精霊への配慮だろ」と魔法使い達の解説が入る。
深緑の木々と風に靡く葉のざわめき。時折それは人の囁きにも似て、此方を窺っている様だ。
中から吹き出す空気は異大陸に来てから感じていたものより一層澄んで、冷たい。
外から覗くだけでは賢者の屋敷は片鱗も姿を見せず、真剣に文字を眺めていたアストは焼けた自身の腕を擦りながら唸る。
「火気厳禁…「俺」もか?」
「入ってみれば判る」
腰に手を当て、暫く留まっていたが三人は同時に一歩を踏み入れた。細くはあれど確かに道は開けていた。
ー筈なのに。
踏みだした途端、鬱蒼とした木々に迷い込むアストライアは背の高い草に阻まれ行く先を見失う。傍に居るであろう二人が隣に居るのか前後に居るのかすら判らない。
ああ、やはり歓迎されていないのだと、頬を叩く葉を手で掻き分け進む数分間。身体がふっと解放され拓けた場所に着いた。
暗い森の中から陽光が瞼を刺す。目を開けるとそこは見覚えのある路。看板。遠くに見えるザニアの街。
それも当然。
真っ直ぐに進んでいたにも関わらず、辿り着いた先は元居た場所。森の入口だったのだ。
「?!」
「空間が歪められている、精霊にとって俺達は招かれざる客らしい」
当たりを見回すと同じく吐き出されたラームジェルグも、数枚の木の葉を肩から払い落しながら苦い顔で森を振り返る。これは思っていたより難解かもしれない。
次はどうするか。腕を組みその手に顎を乗せ思案する魔法使いの後ろでアストがうん?と眉間を寄せた。
そういえば…。
「ヴィヴィアンは?」
この状況で真っ先に不満を撒き散らすであろう人物だけが居ない。
精霊に好まれる容姿と素質がある事を忘れていたのだ。
「流石はヴィヴィアンヴァルツ。難なくクリアしたって事か」
「感心してる場合か!万が一襲って来たら…」
何の心配もいらないのにと肩を竦め、呑気に構えるラームジェルグに声を荒げたが言い掛けた言葉を
呑む。自ら天才だと豪語する魔術師がどれほどの力を持っていたのかは知らないが、少なくとも今は虫を殺す事さえ出来ない筈だ。
(また余計な事を言って喧嘩を売ってなければ良いが)
けれど幾ら森の中に独り取り残されたヴィヴィアンを案じて飛び込んでも精霊、彼等はアストを拒絶する。
作品名:LOVE FOOL・中編 作家名:弥彦 亨