からっ風と、繭の郷の子守唄 第76話~80話
『どこか行きたい希望はありますか』と、康平が尋ねる。
そうですねぇ・・・と少し千尋が返事にいき詰まるるが、まもなく、
『旧軽メインストリート。通称、北軽銀座!』と、ウキウキと答える。
旧軽銀座は、旧軽井沢銀座通りの略称。
一帯には、古く軽井沢を支えてきた商店が並んでいる。
軽井沢駅北口から北に伸びる三笠通りを、2kmほど北へ行くと、
旧軽のロータリーに出る。
ここから斜め右へ入っていくと、旧軽通りになる。
つるや旅館(江戸期は旅籠)が建っているあたりまでの500mあまりが、
軽井沢のもっとも華やかな一帯だ。
もともとここには、中山道の軽井沢宿があった。
明治期に入り、このあたりが外国人の避暑地としてひらけていくと、
別荘地向けの商店街が誕生した。
観光地化してからは、観光客向けの土産物屋も通りに増えてきた。
中ほどにチャーチストリート軽井沢という、ショッピングモールがある。
少し先の右側には、軽井沢観光会館が建っている。
ブランジェ浅野屋。フランスベーカリーといった有名なパン屋も
通りの中に軒を連ねている。
周辺には、 聖パウロカトリック教会、ショーハウス記念館、
軽井沢会テニスコート、万平ホテルなどが点在する。、
もっとも手頃な軽井沢の散策の道として、おおいに人気を集める一帯だ。
(恋人たちのように、肩を寄り添い合いながら歩くのが夢なの)
などと、千尋が小さな声でつぶやいている。
茶目っ気のある笑顔を見せて、千尋が康平の指先を軽く握る。
(うふふ・・・夢みたい)千尋が、スニーカーの足元を躍らせて、
旧軽通りの歩道を軽快に歩き始める。
「おしゃべりしているのが大好きなの。
お友達さえいれば、長い時間、くだらないお話に没頭できます。
でも、座ぐり糸を始めた頃から、違う自分をつくりはじめました。
古風な日本の女になりたかったの。
『おしとやか、つつましく』を、いつも自分に言い聞かせました。
活発さの象徴の、デニムやスニーカーを捨てました。
お休みの日に着るのは、女らしさを強調するスカートやワンピース。
お仕事の時は、着物か作務衣に統一しました。
早く、日本風の女になりたかった・・・。
でもそれは、私のただの勘違いだったということが、わかりました。
昔のようにこうしてデニムとスニーカーへ戻ると、お茶目な私が出てきます。
ダメですね。やっぱり、背伸びをするのは・・・・うふふ」
洒落た外観の店が並ぶ通りの、ところどころにテラスが見える。
カラフルなパラソルの下に、のんびりくつろいでいる恋人たちや家族連れ、
中年の男女の姿が、チラチラと見える。
『恋人たちのように、テラスでお茶でもをしょうか』と誘えば、
瞳を輝かせた千尋が『はい!よろこんで』と元気にスキップを踏んで、
テラスへ駆け上がっていく。
「手がつけられないですね、今日の君は」
「うふっ。嬉しすぎて、心が舞い上がっています。
今日はもう、自分でも、どうにもなりません。
誤解しないで下さいね。
こう見えてホントウは、古臭い女ですから。
わたし絶対に、自分から迫ったりしませんから」
「えっ。いったいなにを迫るわけ?、君は・・・」
「いけず。・・・・
あら、すっかり忘れたはずの京都弁が出てきました!。
許可がいただけるまで、腕にはすがりません。
恋人たちのような、はしたない真似もいたしません。
でも、もとはといえば、あなたのせいです。
背中に張り付くし、腰に大胆に両手を回すという、スクーターの
後部座席がいけないんです。
先日と今日で、私たちは何度もも密着をしています。
あなたのせいです。
このままでは私の中できっと、もっと大胆な女が目を覚ましてしまいます」
「穏やかじゃありませんね。たしかに、それでは」
「穏やかな心理状態で居ることなど、できません。今の私は。
うふっ」
「なるほど。では、いさぎよく責任をとりましょう。
お茶を呑んだら、この先にある教会の散策に行きましょう。
6月の花嫁は、幸せになるという言い伝えがあります。
そのせいで、教会がたくさんあるこのあたりでは、6月に挙式する
カップル達がたくさんいるそうです」
「6月といえば、サムシングブルーと、ジューンブライト。
サムシングブルーは隠れた場所に、ブルーのものを着けること。
そうすると、幸運がおとずれるそうです。
ジューン・ブライドは、直訳すると『6月の花嫁』。
あら。私のデニムもブルーですが、上着ですので表に出過ぎです。
これでは、効き目がありませんねぇ・・・・
残念ですねぇ、ホントウに、うっふふ」
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 第76話~80話 作家名:落合順平