ラッキーストーン請負業者 ~ ケース① 派遣社員・涼子 ~
「ハッキング班を連れて来て、畠田のPCも調べ上げた。これをプレゼントしたのは、佐野様の前回の派遣先企業の代表取締役社長、森山修二」
アイダはあくまでも冷静だった。
「畠田麻子は、彼の内縁の妻だ」
「…… お客様が今の会社で勤めだしてからは恋愛関係は一切なかった、と思っていたのは間違いだったということですか?」
「そうだ。不倫関係だからか、周囲には誰にも知られておらず、留守電やメールといった証拠も全て消していたようだ」
アイダは表情を一切変えずに説明を続ける。
「佐野様のほうは当初、森山が独身だと思っていたらしい。結婚していることが発覚した後、森山のほうから別れを切り出したそうだ」
「えーと、つまり畠田は、お客様のことを森山の浮気相手だと勘違いして、いやがらせをしていたってことですね?」
「そういうことだな」
「…… なんでお客様は、そんな不倫男からもらったプレゼントを、あんなに大事そうにしているんでしょうかね」
「分からない …… そんなことより」
アイダはそう言って、大きくため息をつく。
「そんなことより、致命的なミスは、お客様が心惹かれていた男が小野寺ではなかったということだ」
スズキは黙って頷く。
昨夜の涼子と小野寺の件は、お互いすでに把握していた。
“好きな人がいます”と小野寺に明言してその場を去ったらしいが、それが誰を指すのかまでは、スズキには皆目見当がついていなかった。
「佐野様が心惹かれていた相手は、チームリーダーの秋元だ」
スズキは絶句した。
「本当に危ないところだった。我々は、お客様に片想いの相手がいるにも関わらず、別の男をあてがおうとしていたのだ。これは、この仕事に就く者が一番やってはならないことだ」
致命的なミス …… アイダは自分の言った言葉を反芻した。
致命的というのは、我々にとって文字通り「致命的」なのである。
「ちょっとビックリしましたが、そういうことだったんですか…… でも、どうしたらいいんでしょう。さっき言った通り、秋元は八重子と恋仲です。もし、お客様と秋元が恋仲になった場合、八重子は今度こそ何をしでかすか分かりませんよ」
「分かっている。だから今、考えている」
スズキは、アイダの表情が徐々に消えていくのを見逃さなかった。
その顔が、冷徹な悪魔のようにも見えた。
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涼子がこの職場に来て、1か月が経った。
今朝も定時30分前に到着して、給湯室でコーヒーを淹れていた。
いやがらせは、マグカップを割られていた日を境に、一切無くなっていた。
マグカップを見ても冷静に対応しているところを、きっと八重子はどこかで見ていたのだろうなと思った。そして、いやがらせ行為の空しさを知ったのだろう、と。
“いや、それだけじゃない” 涼子は胸ポケットのパーフェクト・ラッキー・ストーンを服の上からぽんぽん叩く。この石のおかげかもしれない。前の恋人から無理やり渡された手切れ金を、どぶに捨てる想いで買ったこの石。
森山社長に心底惚れており、不倫だったと分かった後もその気持ちは変わらなかった。
結局は彼にフラレるかたちになってしまったけれど、これは今まで男を手玉にとってきた自分への罰なのだと思うことで、気持ちの整理をつけた。
それよりも、自分の病的なまでの移り気な性格が確実に治ってきていることが実感できたことが、なにより嬉しかった。以前までの自分であれば、不倫が分かった瞬間に別の男に乗り換えていたと思う。それが今では、悩んだり泣いたりしたとしても、恋愛に依存せず生きていけるんだということを実感できている。
小野寺さんのことを、しょっちゅう思い出している。彼はハンサムで仕事もできて、なにより、あたしに好意を持ってくれている。それでも、あたしは自分が好きになったあの人、秋元さんへの気持ちを貫いている。これも、あたしの移り気な性格が治ったことの大きな証になると思う。
あたしはやっと、ちゃんとした恋ができる。
彼はたしかに小野寺さんとかと比べたら冴えない男に見えるかもしれないけれど、頑固な性格にすごく惹かれている。一度決めたことを決して曲げない男性に、あたしはすごく惹かれる。森山社長のときもそうだった。彼とは結局うまくいかなかったけれど、今度は大丈夫だと思う。秋元さんは間違いなく独身だしね。
…… そうだ、あたしから告白してみよう。もう少し経って、彼があたしの気持ちに気付き始めたら、思い切って告白してみよう。自分から告白なんて初めてだけど。それで、もし万が一フラレたってべつにいい。あたしは派遣社員だ。また、ほかの職場で新しい恋を探せばいいんだから。
自席に着き、涼子は今朝の作業の準備を始めた。
フロアはまだ人もまばらで、チームの他のメンバーは、まだ誰ひとり来ていない。
あと5分ぐらいすると、チームリーダーの秋元が出社するのが常だ。さらにもう5分経った頃に、河合や畠田らが出社してくる。
涼子は秋元と二人きりでいられる5分間を大切に思っていた。
引き出しを開けた涼子は、そこに信じられないものを見た。
だが、今度は絶叫する類のものではなかった。
「なんで、こんなところに ……」
思わず独り言が漏れた。
それは、秋元が使っているノートPCだった。
涼子はフロアの誰も気付いていないことを確認してから、それを自分のバッグに詰め込んだ。
それから5分経っても、秋元は出社してこなかった。
もう5分が経って、河合と畠田が出社してきた。
どうしたのだろう、と涼子が思っていると、小野寺が出社してきた。
暗い表情だった。
「昨日の夜、秋元さんが、亡くなられました」
小野寺はそう言った。
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秋元の死から50日目、涼子はひとり、彼の墓前に立っていた。
不慮の事故だったという。工事現場を通りかかった深夜の帰り道、バッグの中の携帯電話が鳴っていることに気付いて立ち止まった直後、鉄骨の下敷きになったという。
人間は、ほんとうにあっけなく死ぬんだな…… 涼子は無表情で墓石を眺めながら、そんなことを考えていた。
秋元の死を知らされたその日の夜、涼子は部屋で泣きはらしていた。
「あたしは! ちゃんとした恋をしちゃいけないの?」
そう叫びながら、嗚咽を上げていた。
泣き疲れた頃、バッグに入れて持ち去った秋元のノートPCを思い出した。
空っぽの頭、腫れあがった目、無表情の涼子はPCを起動する。
そこで彼女は、信じがたいものを見つけることになる。
デスクトップには、“涼子さん”という名前のテキストファイル、一枚の画像ファイルだけだった。
画像ファイルはなんと、いやがらせに使われていた中絶児の画像だった。
だが開いた瞬間、全身総毛立つ。
条件反射のように閉じるボタンを押した。
頭が混乱した。嫌がらせの犯人は、秋元さんだった……? なぜ、彼が?
「涼子さん.txt」を開く直前、彼女は大きく深呼吸した。
秋元の死への悲しみを、この瞬間だけ、忘れることができていた。
作品名:ラッキーストーン請負業者 ~ ケース① 派遣社員・涼子 ~ 作家名:しもん