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「センセイ、センセイ、関西全域で抑止とウヤの嵐ですよ! ニツでドア扱いするなんて、やっぱり変だと思ったんです」
 青シャツの男は補助席に座り、ハンディ無線機を窓際に置いて列車無線を傍受していた。
「ちょっと静かに。今、無線が面白い――」
「お、さすが、センセイ」
「それがね、ムコ操で、一〇二一Mが立ち往生してるらしいですわ」
「へえ、はるかがですか。これは、まさかの山科打ち切りの可能性も出てきましたね」
「そうですなあ」
「あ、レチさんに聞いてみましょうよ」
 車掌がやってきたことに気づいた鉄道マニア二人は、彼に駆け寄って来た。
「小野田さん、まさか『日本海』も途中で運転打ち切りですか?」

 臨時列車としての『日本海』の扱いからすれば、それも現実味のあることだった。しかし、最後の最後が運転打ち切りとなるのは、あまりにも悲しすぎる幕引きではないだろうか。たとえ、半日かかろうとも終着駅まで走らせることが、乗客の願いであり、乗務員の願いでもある。
 車掌は彼らに笑顔で答えた。
「意地でも大阪まで走らせますから。ご安心下さい」
 彼には確信があった。『日本海』を最後まで走り通させたいと願っているのは決して自分や乗客だけではないからだ。多くの鉄道員、沿線で見守る人々、そして、かつてブルートレインに憧れた人々。数え切れない人々の願いなのだ。

 彼は、その中でも特に強い願いを抱いているであろう、ある乗客のことを思い出していた。それは三十年近く前のこと、彼が『日本海』に乗務するようになって間もない頃のことだった。まだ寝台特急も賑やかだった時代である。
 その学生は夜遅くまで、寂しそうに車窓を見つめていた。声をかけると、彼は、京都の大学に入学が決まり、これから故郷を離れて暮らすことになるのだと、ため息混じりに言った。そんな学生を、車掌の小野田は笑顔で勇気づけた。その後も、その学生とは帰省シーズンには必ず顔を合わせ、そのたびに大学の話や、故郷の話を聞いた。夜通し走る寝台列車では、乗客との距離も自然と縮まるものなのだ。
 彼と当時の学生は、今でも手紙を交わすことがある。あの頼りなかった学生も今では出世し、新大阪総合指令所で総括指令長を勤めているのだという。あの国鉄分割民営化の混乱期に就職したというのだから、想像を絶する困難が伴ったことだろう。彼も『日本海』にそれだけの思い入れがあったに違いない。その彼ならきっと最後まで走らせてくれることだろう。
 老車掌は鉄道マニアに一礼すると、車内の巡回を続けた。

  *

 午前十時五十四分。普通電車の京都行きは、東海道本線下り外側線で停車していた。京都駅がもう見えているのにもかかわらず、場内信号機は不機嫌に赤を灯らせたままだった。湖西線から引きずってきた遅れは既に一時間を超えていた。
 怒号が飛び交う列車無線では、指令を呼び出してもまるで応答がなく、携帯電話も指令には繋がらない。運転士は貧乏揺すりをしながら、無意味にブレーキを強めたり緩めたりする。これだから指令は当てにならないのだ。
 運転士の苛立ちが頂点に達しようとしたとき、彼の目はついに青色の光を捕らえた。
「場内進行。やっとか」
 運転士はため息をついて、ブレーキハンドルを緩める。電車もため息をついた。『ああ、気持ちは良く分かるよ』と運転士は、ブレーキの緩解音に同意した。
 だが、彼は気づいていなかった。彼は焦りと苛立ちのあまり、場内信号機の番号を良く確認していなかったのだ。誤った信号機に従い、電車は京都駅の場内へと進入し始めていた。

いつもは見かけない回送列車が引き上げ線にいるのを見て、彼は首をひねった。それに、奈良線のホームからもなにやら異様な雰囲気が漂っている。停車中の一編成がホームに入りきらない長さ、おそらくは十六両以上の編成になっていた。おそらく故障を起こして動けなくなった電車を、別の電車が助けるために連結したのだろう。どうやら、異常が起きているのは信号機だけではないようだ。
 一体何が起きているのだろうと思案を巡らせながら、彼は奈良線を眺めていた。分岐器をひとつ、またひとつ通過し、最後の分岐器を通り抜けると、電車はホームに差し掛かる。ふと彼が視線を前方に戻すと、そこには別の電車が停車していた。
「あ!」
 運転士は慌てて非常ブレーキをかける。
「しまった!」
自分は間違ったホームに進入し、前方の電車にどんどん接近している。このままでは追突してしまう。いや、これは正面衝突なのかもしれない。なぜATSが作動しなかったのだろうか。ホームでは駅員が必死の形相で赤旗を振っていた。
 
 もうだめだ――彼は目をつぶった。


――しばらくの静寂。

『こちら新大阪輸送指令、二八一三M運転士、応答願います。どうぞ?』
 という無線の声が静寂を打ち破った。

運転士はおそるおそる目を開ける。
前方の電車とは、わずか数メートルの位置で停車していた――助かったのだ。彼は胸をなで下ろし、額の汗をぬぐった。

  *

 関空特急はるか二十一号は向日町操車場(京都総合運転所)内で立ち往生していた。京都発の下り『はるか』は、貨物線と操車場を経由して本線に入るのだが、その合流点の分岐器が動かなかったのである。
 三人の作業員たちが線路脇を歩いて、本線への合流点へと向かっていた。分岐器を手動で操作し、『はるか』を本線に通すためだ。
 向日町操車場は端から端まで歩くにだけでも半時間を要するほど広大な敷地を誇っている。線路脇が歩きにくいことも重なって、まだ肌寒い初春だというのに、作業員の額は少し汗ばんでいた。
 初老の作業員は静まりかえった本線を眺めて呟く。
「こりゃあ、一大事だなあ」
 若い作業員二人は彼の後ろで話し合っていた。
「アイトラス導入でここまで混乱するとはなあ」
「ああ」
「まったくもって、コンピュータってのは扱いにく奴だ」
 という初老の作業員の言葉に、若い二人もこのときばかりは同意せざるを得なかった。
 線路の合流点に到着する。若い作業員が工具箱を地面におくと、初老の作業員はそこから手回しハンドルを取り出した。そして、慣れた手つきでレール脇の転てつ機にそれを差し込む。こうすることで、分岐器はシステムから切り離され完全に手動となるのだ。異常時の常套手段である。
 いっそう騒がしくなる列車無線。彼らは思わず音量を小さくした。彼らが使うべきなのは列車無線ではなく作業員用の無線だからだ。列車無線は念のため持っているに過ぎない。
 ハンドルを何周か回すと、ゆっくりと分岐器のレールが動きはじめる。
「よし、これで――」
 そのとき、初老の作業員は手を止めて立ち上がった。レールが僅かに振動していることに気づいたからだ。その不気味な振動は徐々に大きくなる。どこからか列車が接近しているに違いない。だが、『はるか』は停車している。
「何かありました?」
 若い作業員が振り返る。彼の目は急接近する電車の前照灯を捕らえた。
「電車だ! 本線に電車が来るぞ!」
作品名:AI-TRAS 作家名:kikuya