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わたなべめぐみ
わたなべめぐみ
novelistID. 54639
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幕間30分(湊人の章)

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 闇夜の中を黄金のライオンがかけぬけていく。小雪は息をひそめるようにしてその姿を見守っている。夜の天盤から星が降り注ぎ、ライオンの肢体が闇に溶けていく。小雪はその姿が再び現れることを祈っている。隣に信洋が寄り添っている。二人はただ黙って夜が明けるのを待っている――

 昇りつめるベースソロを引き継ぐように、湊人は鍵盤に指を走らせた。

 あちこちから歓声が起こる。口笛を吹く者もいる。小雪がわずかに手を上げて歓声に応える。信洋のドラムは湊人のピアノソロに合わせた軽快な調子に戻り、要も少しだけギターを鳴らしている。

 ピアノソロを弾きながらランニングベースに戻った小雪と視線を交わす。胸が熱くなるのをこらえて、冷静に鍵盤を叩く。すると何故か小雪が観客席に目配せをする。ソロのテンポを落して視線をふると、悠里が胸の前で手をくみあわせてホッと息を吐いていた。サラと晴乃も懸命にハンドクラップをしてくれている。

 マイナーコードの中に、夜な夜な公園を彷徨っていた日々のことがよみがえる。
 誰かにすがることも弱音を吐くこともできず、体の痛みをこらえて公園のベンチで寝た。あの日々があったから、要たちに出会えた。生きている意味があると思えた。

 もうひとりではない――亡き父の録音を聞きながら、孤独を抱えてピアノを弾く日々は終わった。ふりかえれば仲間がいて、途方にくれている湊人の腕を引いてくれる。
 辛いときは共に苦しんで、嬉しいときは一緒になって笑ってくれる。

 低くよく通る要の歌声が最上級のビブラートを震わせる中、湊人は最後のコードを展開させた。左手で小雪と同じベース音を弾き、信洋が叩くクラッシュシンバルのタイミングを見ながら4つの和音でリタルダンドをかけていく。
 要がギターをかきならす。湊人は鍵盤の最上段に人差し指の先をのせて、一気にグリッサンドをかける。すき間なく高音から低音へと下降していくピアノの動きに対して、ベースは指板ぎりぎりの高音を立て続けに鳴らす。

 信洋が締めのバスドラムを踏むと、一気に歓声がわき起こった。

 かつてない高揚感が、体の奥からふきだしてくる。歓声に応える要の姿を見ながら、彼がやろうとしている自由な音楽の意味が少しわかった気がした。

 それは決して自分勝手で気まぐれなものではなく、湊人の中にある鉄柵をぶち壊してしまうような、無遠慮でぶしつけで、けれど温かく慈愛に満ちた太陽のようなエネルギーだ。
 その熱に惹かれてここまで来ることができたのだと、涙腺がゆるんでくる。

 信洋がドラムセットの位置を修正するのを見て、まだ一曲残っていたことを思い出す。ゆるみかけていた緊張を結び直して、湊人は譜面を入れかえる。

 最後の曲は『ギブ・ミー・ザ・シンプル・ライフ』だ。要は何か企んでいるらしく、最後に少しMCの時間を取りたいと言っていた。
 要はシャツの袖をまくり上げながら、歌詞の意味を解説する。

 ――素敵な服も、豪華な食事もいらない。トマトとマッシュポテトがあればそれでいい。小さいけれど喜びと笑い声に包まれた居心地のいい家。堅実な生活を望む人もいるけれど、僕は気楽な生活でいい。そう、シンプルな生活があればいいんだ――

 そう要が言うと、16のときに転がりこんだあの古い一軒家がよみがえる。贅沢なものは何もなくて、ただ音楽に満ちたシンプルな生活がそこにあった。そういえば要はよく床に寝転がったままギターを弾いたりしていた。今朝から腰を痛そうにしていたのも、また同じ生活を送っているからかもしれない。

「さあ、このシンプルライフにふさわしい食べ物、トマトとマッシュポテトの他にないですかー?」

 そう声を上げた途端、観客席が明るいどよめきに包まれる。要はメジャーデビューした今でも同じ調子でライブをしているらしく、笑顔で聞き耳を立てている。
 すると誰かが「要さんはなんですかー?」と言った。そんな回答は用意してなかったのか、要が意表をつかれた顔で考え始めた。湊人は横目で見て言った。

「おまえはカップラーメンだろ」
「うっ……くやしいけど……正解!」

 苦虫をかみつぶしたような表情で要がそう言うと、「もうちょっといいもの食べてくださいよー!」と反応が返ってきた。観客席がどっと笑いに包まれる。それから要は客席をのぞきこむようにして言った。

「じゃあ答えてもらおうかなー。そこの女子高生三人組!」
「……ええっ! うちらのこと?」

 あてられると思っていなかったのか、ワンテンポ遅れて悠里が反応した。また観客席から笑いがおきる。三人は顔を真っ赤にして見合わせたあと、意を決したようにひとりずつ声を上げた。

「私は、緑茶がいいかな」
「あたしはタコスが好き!」
「クッキーでお願いします」

 悠里、サラ、晴乃の順に応えると、要は満面の笑みでギターのネックを握った。

「それじゃ最後の曲、『ギブ・ミー・ザ・シンプル・ライフ』いくよー!」

 すっかり要に乗せられた観衆たちが、湊人のピアノ演奏に乗せて2拍4拍のハンドクラップを繰り広げる。まったくこのノリだけは一生かかっても勝てそうにないな――歯噛みしながらも心地よい喜びが広がって、湊人はピアノを弾いた。

 要が曲に仕込んでいたのは、歌詞にある「トマトとマッシュポテト」というフレーズを、悠里たちが答えた三つのものに置き換えて歌うことだった。

「Just serve me green tea, tacos n’ cookie!(緑茶とタコス、あとクッキーを頂戴)」
「Give me the simple life!(シンプルな生活をしたいんだ)」

 そう歌い上げると、曲の途中にもかかわらず盛大な拍手が起こる。悠里たちは恥ずかしそうにしながらも特上の笑顔で、お互いの肩を叩きあっている。湊人もつられて口の端がゆるんでくる。

 観客の誰もが顔を見合わせて、自分たちのシンプルライフはなんだろうと想いをはせている。長い間、育ての母と二人きりだった狭い文化住宅、転がりこんだ高村家、食事に寄せてもらった母子二人の初音の家、そしてもうすぐ出ることになる下宿の生活――どれも質素なものだったけれど、いつも誰かの笑顔があった。

 それはきっと誰もが望む、争いのない、平穏なシンプルライフ――

 歌詞が終わり、ギターソロが始まるはずだったコーラスで、要は突如スキャットを始めた。歌の勢いが止まらないのか、まるでビッグバンドのトランペットソロでもやるような勢いで歌声を駆使している。

 多少のことでは動じなかった小雪も、さすがにこれには驚いたのか、目を丸くしてランニングベースを続けている。ドラムを叩く信洋から笑い声がもれる。要はしてやったりの表情でスキャットを続ける。

 そのうち観客席からも歌声が聞こえ始めて、『ブラックバード』全体がひとつの楽器のように共鳴し続けた。

 まったく、よくやるよ――そう思いながらも、湊人はこの日一番のコンディションでスイングすることができた。



 アンコールに用意していた曲が終わっても、店内の興奮はおさまらなかった。引き上げるのが惜しいくらいに観客たちは盛り上がっていて、再びアンコールがかかる。