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LOVE FOOL・前編

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 顎の輪郭に指を這わせ、嫌悪感も露わに顔を退けるヴィヴィアンに自分の唇を近付ける。

「冗談、じゃない…そんな舌の女なんかとするくらいなら…」
 鼻先に掛かる生暖かい息から覗く長い舌に、ぞわりと肌が波立つ。
痛みに朦朧と浮かされた意識でヴィヴィアンは最期の抵抗にと、ニーナとの自分の間に右手を差し入れた。
「コイツとした方がマシ、だ…」
 視線を落とせば、血の引いた白い指には5つの指輪が暗い闇夜に染まる事無く眩い光を放つ。

 彼にとってその行為はほんの偶然だった。
どうあっても服従したくないヴィヴィアンの性格が引き起こした偶発。
厭味を込めて五本指の中央、中指を飾る気高く萌えるエメラルドに嘆美な口づけを落とし
見せつける。
 生意気だと怒気の籠った眼差しが甘く触れ合う双方を引き離し、ニーナの爪がヴィヴィアンの喉へ深く喰い込む…
―刹那。

「っ!?」
 それはまるで御伽噺の魔法。
 ヴィヴィアンの。愛する王子からのキスを待ちわびていた姫君のごとき眩い輝きが塔の屋根を貫き天空に立ち昇る。
光線は徐々に質量を増し、柔らかい新緑色の柱は監視室だけでなく辺り一面をも照らした。

「な、にっ!?」
 眩しさに翳すニーナの掌を鋭い痛みが襲う。
 尾で掴んでいたヴィヴィアンを床に投げ棄て身を退くが、一度二度…それ以上。
何十という太い針で刺される様な激痛が追撃を緩めない。
 怒りに身を震わせるが同時に恐ろしくもある。
「何を…した!」
 未知の恐怖に身構えたまま距離を開くと、光は意思を持ってヴィヴィアンの前に立つ。

「――――――っ!?」
 閃光が部屋から薄れ、感覚の消えた自分の手を初めて見た彼女は驚愕と悲鳴の入り混じった叫びを上げた。
 光の中から現れた物、それは一本の樹。
床板の更なる下から伸びた細い枝がうねり、剣山の鋭さで彼女の手を刺し貫く。
まるでヴィヴィアンを守るかの様に現れた光纏う樹木は、彼に触れた掌に無数の穴を開け血も、骨さえも残さない。
 手首が丸ごと崩れ落ち、無残な姿へと変えていた。
「な…何なの…何をしたの、ヴィヴィアンヴァルツ!」
「??」

 訊ねられてもヴィヴィアン本人にすら解らない。
床に投げ出され、肺に止めを刺した躰から辛うじて首を捻り、ニーナとどこかで見た記憶のある翡翠色の輝きを眺めていた。
 気を抜けば落ちてしまう彼の頬に、二つに割れたエメラルドが転がる。
先程自分が口付けた指輪の石だ。
「この…よくも…!」
 憎悪に顔を歪め、突然の反撃に朽ちた両腕を引き寄せる。
逃げる様に後退を続ける彼女の背中に何かが立ち塞がった。

 目の前の樹とは比べ物にならないほど強大な気配に、改めて身が竦む。
本来穏やかな性質の緑光がここまでの攻撃を行使する事があるのだろうか?
 首をぎこちなく動かし振り返ると、自分を突き刺した枝よりもさらに鋭利な一本の矢が、ニーナの額に向かって迷い無く標準を合わせていた。
「…何…っ」
「…?」
 どこから現れたのか。

 弓を構えるのは長身の凛とした細長な瞳が印象的な異国の女性だった。
木精と呼ぶには、衣装が少しばかり物々しい。
自身の背丈よりも長い弓を軽々と引き、淡いエメラルド色の瞳が直線的な長い髪の間から
此方を射抜く。
 彼女はニーナから視線を逸らさず、冷ややかな声音で簡潔に問うた。
『この不浄の輩から御身を護る許可を。ヴィヴィアンヴァルツ』
 瞳を細め彼女を眺めていたヴィヴィアンだったが、訊ねられ初めて彼女が「エメラルド」自身だった、と気が付いた。
 彼女は旧世界で出会った精霊。
 ヴィヴィアンに魂の結晶を捧げた10人うちの1人だ。

「お前は、神木…『ユグドラシル』!」
『…はい。ヴィヴィアンヴァルツ』
 ずっと呼ばれていなかった、と。
愛しい人から名前を紡がれ、彼女ははにかむ面持ちでふわりと口元を綻ばせた。
「神木…!」
 旧知であった二人の会話にニーナの血気が一瞬にして失せ消える。
 それは既に地上から途絶えた、聖なる木。
全ての悪しき不浄の物を大地に還す、生命の大樹だ。
そんな物を従属にしていたとは。

ヴィヴィアンヴァルツ…!
彼女の口が憎しみに動く。

―が、神木の精霊は再びヴィヴィアンの名を呼ぶ事を許さない。
次の一声を発する間もなく弓が放たれ、風を斬った。
「!」
 微動だに出来ぬまま神木の矢を額の真ん中に受け、彼女は力を失い床に崩れる。
悲鳴さえ上げる間も与えず敵を討ち、愛する者を救う。
 ユグドラシルと呼ばれた精霊は少女に一瞥も無く、幽玄の様樹木と共に閃光となり、かき消えた。
 それが術の一部であったかの様、辺りは再び闇夜に変わり沈黙を鳴らす。
 残されたのは自分と、かつてニーナであった者。
壊れた指輪だ。

「…っ…つ」
 何が起きたのかは解らないが、とにかく助けられた事は事実だった。
 ヴィヴィアンは呼吸する度、激痛を伴う体をのろのろと引きずり出口に向かう。
下から吹き付ける風が肌を撫で、失血と痛みで凍えた体の熱を更に奪い去る。
 自らを天才だと謡う彼は、当然ながらこんな重傷を負う事がない。
走馬灯の様に浮かぶ知人の顔を振り払い、応急処置も思いつかない魔術師は折れた骨をそのままに。
とにかく降りようと階段の手すりに指をかけた。
 月光に反射する右手に視線を下ろすと中指の石だけが指輪の台から抜けていた。

 それはそうだ。
 神木の精霊が現れ出で、その時に割れたのだから。
「…」
 ヴィヴィアンはそのまま階段に足をかけ、強く口を噛む。

壊れた指輪なんかほおっておけ。と思う反面、何故か捨て置けない。
「〜〜!」
 無人の監視塔を振り返り、再びそろそろと部屋の中心に這い寄る。
小さく輝く割れた緑の欠片を拾うと乱暴に摘み、コートのポケットにしまい込んだ。

「ふん…!」
 石の無い指輪なんてカッコ悪い。
別に助けてもらったからなんかじゃない。
 誰にともなく独り言い訳を零し、美形とは程遠い悲鳴をひいひい上げながら地上を目指す。
最もヴィヴィアンは爪切りで指先を切ったとしても悲鳴を上げる男なのだが、今回は形容しうる言葉の範疇を越えていた。
『痛い』と口に出す事さえ、痛い。
 度重なる監視室の衝撃から尚更脆くなった段を踏み外さない様、慎重に体重を乗せる。
来た時の倍を費やし、漸く地面が視界に映ると良心の呵責も無く倒れている住民達の上に
飛び降りた。
洗脳と術の両方が一度に解けた負担から意識を失ったのだろう。
目が覚め若干記憶の混乱が生じても、空白の間に起きた出来事を思い返す者は居ない。

(幸せな連中め)
 ヴィヴィアンは内心で毒づく。
仲間が一日ごとに姿を消しても彼らは何の疑念も抱かず、食されるその時まで怪物の護衛をしていたのだ。

 いくつの討伐隊が返り討ちにあったか、洗脳されたかは解らないが女魔術師の未熟な魔法と街に描かれた召喚魔法の混合が無ければ、自分もその餌食になっていたかも知れない。
今更ながら彼女の恐ろしさに背筋を冷やした。

 素足に部屋着姿のまま、それぞれが手にした包丁やナイフを傍らに取り落とし眠る。
作品名:LOVE FOOL・前編 作家名:弥彦 亨