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LOVE FOOL・前編

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 曲げられ操作された愛情が反転されれば独占的な殺意に変わるのも道理だ。

「…では…外壁の魔法陣を描いたのは…」
 紛らわしい見かけの白魔術師がニーナへ驚きの視線を注ぐ。
 彼女だけではない。
三人が一同、非難と吃驚の混じった表情で少女を見つめる。
 しかし彼女は全く悪びれていない様子で怪我をしていた筈の腕を伸ばし、ペロリと舌を。
 爬虫類の二つに割れた長い舌を出して微笑んだ。
「うわっ」
 ぎょっと悲鳴を上げ、即座に主を背に庇う。
当然ながら彼の身体よりも彼女の方が大きいのだが、愛くるしい瞳を顰め警戒心を露わに見せた。
 取るに足らない、そんなささやかな防衛がよほど可笑しかったのか、
ニーナは軽やかに短く笑うと怖々道を開ける三人の前に進み出る。

 口許を曲げる表情に先程までの健気で無邪気な乙女の姿は微塵もない。
「…愛憎反転、ね。
まさかそんな下らない術で正体がバレるとは思わなかったわ」
 流石はヴィヴィアンヴァルツ様…とでも言おうかしら。
部屋の中心で輪を描き、馬鹿にした様な声で恭しく一礼をして見せる。

「貴方達、私を討伐しろって、王国から幾ら貰って引き受けたの?」
 いたいけな少女の仮面はすっかり剥がれ、人の形をした禍々しい生き物がじり…と
窺いながら間合いを詰めた。
「何の話…」
「質問を質問で返す男は嫌い」
 冷えた声がピンクの唇から零れ、彼女の体躯が床を駆る。
舞い落ちる羽の様にドレスの裾から白いレースが零れたかと思うと、ニーナは獲物を捕えていた。
「!?」
「ヴィヴィアン様、ごめんあそばせ」
 着地の重みで老朽化した板が跳ね上がり、スカートの奥から伸びた大蛇の尾がヴィヴィアンの細身をくの字に薙ぎ飛ばす。
 爪先から地面に着地し重力を感じさせない少女とは裏腹に、彼は何の受け身も心得ていない。
乾いた木壁に背中から激しく叩きつけられ、衝撃で監視塔がみしりと傾く。
「…っ、ふ!」
 肺を圧迫する痛みにヴィヴィアンの閉じた唇からくぐもった呻きが洩れた。

「ヴィヴィアンヴァルツ!?何を躊躇っているの!こんな怪物…早く」

 膝から崩れ落ち、床に片手を着け辛うじて身を支える。
街に巣食う凶悪な魔物に成す術も無く払い飛ばされ、げほげほと咽返りながら腹を抱える天才魔術師に女は甲高い声で怒鳴り、手を貸した。
 床に落ちた紅い雫に眉を寄せ、彼女はヴィヴィアンの胸の上で掌を翳す。
「…こっちにも都合があるんだよ…」
 事実、彼は幾度と無く攻撃をしかけていたのだ。
簡略化した魔術ではなく、正式な詠唱を要する物までを試してみた。
しかし火花どころか静電気すら起こらない。
やはり魔力は完全に消失しているのだ。
(こんな時に…!)

 痛みに歪んだ美しい顔と口元から流れる赤色の液体。
…なんて美味しそう。
 自信に満ちていたヴィヴィアンヴァルツが成す術もなく平伏する姿を満足げに眺めていた
ニーナだったが、ふと女魔術師が掌を掲げている仕草に瞳を一層凄ませた。
 発していた殺気がヴィヴィアンから、傍らに座る彼女へと横に滑る。
 彼女が好んで狙うのは旅人や宮廷の騎士、力のある労働者。
女を食らう趣味は無かったのだが。

「…そういえば回復魔法使うんだったわね?」
 邪魔だとでも云う様に射殺す視線を向けがそれでも女は退かない。
個人的な恨みは深くあれど、ヴィヴィアンの能力は認めていた。
だからこの場を切り抜けるには彼が必要なのだ。
この男の為だけでは無い、自分達の為にも。
 優しい色をした癒しの白光が彼女の掌に集約される。
攻撃を司る固有系の輝きとは違い、白魔法の発光体は滝の様に現れては絶えず落ちる流動系。
 これが万物の生命に呼びかけ自己治癒を促す為の聖なる力なのだ。
「なんて忌々しい事」
 吐き捨てるニーナの瞳孔がしゅん、と縦に伸び獣のそれに代わる。
壁際に小さく身を丸め、果敢な行動の制止も出来ずにいた少年は、軽々しく口にした己の台詞が主を尚更危険に晒していると表情を蒼白に落とす。
「ご主人!」
 叫ぶと彼は両瞼をきつく閉じ、2人の盾になろうと手を伸ばした。
主が彼を救うと云うのならそれは彼にとっても重要な任務なのだ。
妨害させる訳にはいかない。
身を呈し二人の間に割って入る。

―けれどニーナの鋭く重い一撃の方が僅かに勝っていたー…。
 ずるりとドレスの中から伸びた蛇の尾が、今度は彼女を打ち払う。
鞭の様な一打が柔肌に乾いた音を浴びせた。
「きゃ、うぁ…っ!?」
 回復の術法に集中していた女主は悲鳴を飲み込み、呼吸が途切れる。
苦痛に歪んだ顔を冷ややかに眺め、ヴィヴィアンの傍らから弾かれる身体に更なる一撃。
尾に殴られ無防備に転がる彼女をニーナは鋭く蹴り飛ばした。

「!」

 まるで人形の様にざらりと床板を擦る肢体に少年は大きく眼を見開く。
怒りよりも喪失の恐怖に彼は無意識のうち力の失せた体を抱き留めていた。
しかし小さな子供の力では空気の抵抗を緩めることなど到底出来ない。
 ヴィヴィアンとニーナの目の前で主共々窓際の隅に派手な音を立てぶち当たった。
「っは、……っ…」
 ぐらぐらと揺れる眩暈と震える手で、胸に重なる非力な護衛に自分の無事を知らせると
彼はうっすら微笑む。
痛みで震える膝に力を込め、もう一度身を立て直す。
邪魔物を払い除け背を向けるニーナを見据えながら、叩きつけられた壁の窓枠に手を乗せた…。
 瞬間。

 2度目の衝撃に耐えきれず枯木の窓は破片を撒き散らし崩れ散った。
 全体重を掛けた彼女ごと。
「ご主人っ!」
「きゃ…!」

 飲み込んだ声が喉から溢れ、それから長い絶叫に変わる。
床下まで縦に割れた亀裂の中に投げ出され、頭から塔の真下に落ちて行く。
助けようと腕をつかんだ少年と真っ逆さまに二人はヴィヴィアンの視界から消えた。
「!」

 悲鳴は途切れたが、地面に落下し潰れる音までは聞こえない。
とても生きていられる高さではないと、登って来たヴィヴィアン自身がよく知っている。
彼はらしからぬ表情で口元を歪め、愉快そうに嗤うニーナを見上げた。
「…っ…見かけだけじゃなく中身も醜い女だな」
 憎まれ口と共に滴る血の雫が床の木目に吸い込まれる。
息を吐く事さえ相当苦しい筈なのに、まだ強がりを見せる獲物にくすくす両手で口元を覆う。
「見殺しにしたくせに、天才魔術師なんてたいしたことないのね」
 伸ばした尾を自身の膝許に引き戻し、這うヴィヴィアンを強引に目の高さまで吊り上げた。
最初の一撃でヒビが入っていたであろう肋骨を、探る様にゆっくりと自身の尾を巻きつけ、徐々に力を加えてゆく。
「がっ、う!…あ、――っ!!」

 胸中が軋み、折れる嫌な音と血の泡が唇から零れる。
 伝う顔を此方に向けさせ、ニーナと呼ばれた魔物はうっとりと苦悶するヴィヴィアンを眺めた。
荒くて熱を帯びた吐息。
銀色の髪が汗で貼りつき、奥から覗く紫と蒼の混ざり合った深みのある瞳。
病弱とは違う白い肌。形良くカーブを描く紅い唇。
「本当に綺麗な顔ね…噛み砕いて形が無くなる前にキスして頂戴?」
作品名:LOVE FOOL・前編 作家名:弥彦 亨