LOVE FOOL・前編
「うん?」
構って欲しい子供の様な、何か言いたげに揺れる踵を床に戻し、赤味のある陽色の瞳がふいに
咎める。ぎくりと瞬かせる瞳に詰問を重ねた。
「『また』指輪の力を使ったんじゃないのか?」
見透かされた風にびくりとヴィヴィアンは肩を竦め、身と顔を逸らす。
「違う!お前なんかの命の為に誰が使うか、自惚れるな!馬鹿!」
水から引きあげるのだって重いし、苦労したんだからな!
顔を真っ赤にして怒鳴る同行者に今度はアストが気押される。
ヴィヴィアンはくるりと背を向け、窓から身を乗り出した。
今、この男は、水から引き上げると言ったのか。
汚れるのも濡れるのもあれほど嫌だと云っていたのに?
羽織る赤いコートも脱ぎ、珍しく薄手のシャツ一枚で居るヴィヴィアンの姿に納得いったと頷く。
「そっか。なら良いんだ」
それで良い。
ずぶ濡れになりながら、確かに彼には重かったであろう自分の躰を水路から引っ張り上げる
様を想像し、済まないと思いつつも笑いが零れる。
一人何度も繰り返し笑うアストは、注がれたグラスを飲み干し不貞腐れるヴィヴィアンの隣で街の煌びやかな光景を見下ろした。
見知った顔が此方に気が付き手を振り、アストも振り返す。
「お前に何事も無くて、本当に良かった」
「何言ってる、怪我人はお前だろ!」
ヴィヴィアンヴァルツは砕けたオパールの石をそっとしまい込んだまま。
怒られる理由も無いとは思うが、何故かアストライアには言い出ずにいた。
残りの指輪はあと4つ。
次で呪いを解けば問題は無い。
自分に言い聞かせる様、胸中でそう呟く。
緊張の糸がぷつりと切れ、他愛ない言い合いに同時顔を見合せたアストが軽く噴き出せば
ヴィヴィアンが憤慨する。
廊下まで聞こえる二人のやりとりに、再びティターニアが縦に巻かれたカールの髪を指で弄びながら
顔をひょいと覗かせた。
「よろしいかしら?」
「お前、まだ居たのか」
「失礼ねっ!貴方に用はなくってよ!ヴィヴィアンヴァルツ!」
露骨に眉を寄せる麗貌に、犬猿の白魔術師は腰に手を当て甲高く叫ぶ。
じゃあ何だ、と腕を組んで応戦していると彼女は、間で我関せずとテーブルの前菜を皿に取る
アストライアにヒールを鳴らし詰め寄った。
「貴方、『ザニア』という王国を御存じかしら?」
「いいや。初めて聞くが」
ヴィヴィアンの何を言い出すかと、睨みつける視線にどこかそわそわと顔を下ろし魔女は訊ねる。
まさか自分に用とは思ってもみなかった。
アストは一旦手を止め、彼女に向き直す。
男にしては器用に盛り付けられた皿の中身に食い入りながら、ティターニアは更に言葉を続けた。
「ザニア王領土の森に「蒼の賢者」と呼ばれる魔術師が住んでいて、彼は以前魔獣の姿に変えられた
騎士を解呪したという噂を聞いた事がありますわ。
その御方なら貴方の腕の呪いも解けるのではないかしら?」
「それは本当か!?」
ふいに沸いた、解呪への希望に思わずアストライアが彼女の両腕を掴み抱く。
「きゃ!!」
吐息が掛る程、間近に傷だらけの顔を寄せられ益々ティターニアの顔が俯く。
小さく身を縮ませる彼女は無言でこくこくと頷くばかりだが、やがて喉から発せられる長く、
透る悲鳴がイシュタムの耳に届くまで。
アストライアは妖艶に肌を露出させる彼女が極端に「男」に対し免疫が無いのだと気が付かなかった。
服装で人を判断してはいけない。
数分後、従属の少年に腿を噛みつかれそう思い知る。
「ザニアか。大陸の裏側だな」
この一件が終わったらそれぞれ別の道を進む。
そう言っていた事などすっかり頭から消え失せ、呟くヴィヴィアンに救いを求めるのが数分後。
フィナーレを飾る一番大きな打ち上げ花火が街を大きく照らし、誰もが美しさに目を奪われる。
人々の脇をすり抜け、闇を駆け抜けた小さな不審者が囚人を逃がした事など知る由も無かった。
++
その庭園には常に甘い香りが漂う。
一縷の歪みも無駄も存在しない。完璧に整えられた純白の薔薇達はまるで少女を讃えるかの様に咲き誇っていた。
アーチを潜り、迷宮をイメージさせて植えられた蔓薔薇の中心では円形の小神殿を思わすテラスがひっそりと存在している。
空気に溶け込む甘さは薔薇のだけでは無い。
庭の主が淹れる赤味を帯びた液体。立ち昇る上質な紅茶の香りだ。
テーブルには三人分のカップとソーサー。
自身の手元にはパールゴールドの蒼が縁取る白い陶器。
もう一客は最年少の蒼薔薇に相応しい、花そのもののカットを施した淡いピンクの器。
そして、空いた席にはインクの染みに似た小さな薔薇と深紅の文字が刻まれた近代的なデザイン。
全て持ち主が手に取った状態を考慮し、選んだ品。
その一つ一つを丁寧に温めながら、誰が見ても「美少女」と称すであろう、
金色の緩い巻き髪を腰まで流した彼女は淡いブルーの瞳を穏やかに緩ませた。
「良いのよ。私は貴女を責め立てたりはしない、失敗は誰にでも在る事ですもの」
「もう一度、チャンスを…。私はまだ戦える!」
悔し気に噛む口端からうっすらと血が滲んでいた。
地面に両手を着き、爪を立て支配者の前で屈辱に汗の滴を浮かべながら女はそう語尾を荒げる。
内心、それは叶うと思っていた。
でなければ、わざわざ蒼い薔薇の少女を使って自分をラモナから逃がす筈がないと。
お伽噺に生きる、姫君達に自分の様な汚れた仕事が出来る筈がない。
―だから、自分はまだ必要とされている。
ちらちらと此方を不安気に見やる伝達係の魔女とアイコンタクトを交わし、出来るだけ哀れっぽく
見上げれば、幾重にも蓄えたフリルをしなやかに泳がせる白いドレスの彼女は緑薔薇の申し出に
満面の笑みを浮かべた。
「そうね、ありがとう」
でも…と少女はふいに瞳を曇らせ、手にしていたティーポットを一旦テーブルに戻す。
傍らで寄り添う様慎重にケーキを切り分ける無表情の少女に訊ねた。
「ええと、何だったかしら」
「『クソ女』、だ」
少年の様な危うさもある、端整な顔立ち。
まるで血を被った様な紅い髪と瞳が、薄い眼鏡のレンズ越しに鋭い視線を刺す。
寡黙な姿の中にはどす黒い怒りが滾っている。
我が支配者の命令を遂行出来なかった事はどうでも良い。
お前の無能さは承知している。
問題なのはー。
すう…と表情から血の気が落ちる緑薔薇の耳に、二人の死刑宣告が重なる。
少女達は同時、慈愛に満ちた微笑で。噴き上がる殺意と侮蔑を込めて云った。
「そう。貴女にそう誤解されていた事がとても悲しいの。心が痛んだわ」
「卑しく薄汚い口だが、せめて死ぬ時くらい美しい花弁を吐いて逝け」
意味する言葉に身を跳ね上げ、逃れようとするも深紅の瞳が獲物を視殺する方が速い。
慣れた動作で眼鏡を外すと、恐怖に薄く開いた唇から薔薇の花弁が散った。
「っ!!うっ!あ″あっ!!」
ごほっ…。
空気を吸い込み、吐き出す代わりに喉から零れる深紅の薔薇は赤髪の少女と同じく冷酷に躰を蝕む。
内側から茨を伸ばし、皮膚を破り、爪の先から絞り出される蕾は芳醇な香りと悲鳴を撒き散らしながら、彼女の命を引き裂いてゆく。
作品名:LOVE FOOL・前編 作家名:弥彦 亨