LOVE FOOL・前編
「ですから!ヴィヴィアンヴァルツなら此処に入って来ましたよ!?」
「…!」
彼の一声に今度は主の背中が跳び上がる。
ヴィヴィアンが無事であるという言葉の意味に表情が華やいだ…―が。
彼女は直ぐに憤激し少年の胸座を掴み上げた。
「な!なんですって?何でもっと早く言わないのよーっ!!」
「ひ、ひゃあ〜っ!」
持ち上げられ、床からつま先が数ミリ浮く恐怖。
前後左右にぐらんぐらんと振り回され、無茶苦茶な女主人の扱いに少年は悲鳴を上げ、
とうとう泣き出した。
* * *
見通しの悪い闇路を、勘と覚えのある足だけで密やかに進む。
此方は視界が悪く、相手は良好。
不利な事が圧倒的に多すぎた。
舗装されたメイン通りを逸れれば細く複雑な小道が広がる路地裏。
ニーナの案内で迷う事はないものの、成らされていない砂利が走り疲れた歩みのスピードを容赦なく削いでゆく…。
肉体労働には極端に耐性がない魔術師は自分よりも小さな肩に手を乗せ、ずるずると壁に身を傾けた。
「まだ着かないのか?」
「もう傍まで来ているのですが…もう少し…」
息を切らすヴィヴィアンを支え、血の滲む自分の腕を庇いながらニーナは一点を指さす。
指示された塔は建築物というよりオブジェに見えた。
骨組だけが剥き出しに揺れ、到底、人の登る建物とは思えない。
ひきつった表情で見返すも、彼女はこっくりと安堵の微笑で頷く。
信じがたい…むしろ信じたくない。
人の気配を逃れながら遠回り戻り道を繰り返し、ようやく辿り着いた監視塔は木の階段が延々と続く、頂点に潰れた小屋があるだけの耐久性を疑う代物だったのだ。
「何で俺が…」
ぶつぶつと愚痴を零しながら木製階段に足をかけると案の定、乾いた板が不気味に軋む。
加減を間違えば割れて抜けるのでは?と、疑う薄い足場に険しく眉を寄せた。
普段なら登らずに移動出来る階段も、今は自力で登らなくてはならない。
ヴィヴィアンは確かめながら慎重に一歩ずつ足を運び、コートに貼りつく木材の欠片を忌々しく指で摘む。
彼の後ろから登ったニーナが一歩遅れて踊り場に座り込んだ時には、たくさんの住民達が蟻の様に黒く塔の周りに集まり、此方を見上げていた。
術で動かされているだけの彼らには「登る」意識が無いらしい。
(少なくとも、探し物はゆっくり出来る訳だ)
追われない安心からか、ヴィヴィアンの瞳にうっすらと活気が戻る。
解決し、屋敷に帰ったら真っ先に髪と身体を洗おう。
疲れと怒りで混乱した脳裏に懐かしの邸宅が浮かぶ。
蜂蜜とジンジャーの配合薬で湯を沸かして、こんな嫌な事も汚れも全て洗い流すのだ。
ニ−ナには悪いが、こんな町も住民もうんざりだった。
悲しげに自身の膝を抱く彼女は、そんなヴィヴィアンの視線に気がつくと精一杯の笑顔を見せる。
彼らの中には日頃から親しい者も居るのだろうに。
正気を奪われた眼差しで襲いかかる光景は悪夢以外何物でもない。
けれどニーナは決して不安を口にはしなかった。
魔術師を信じ、ひたすらに彼の力になろうと努力する。
「…。」
何か言おうと開いた唇が、黙したまま閉じた。
嘘なら幾らでも囁けるが、本心からの慰めは何も思いつかない。
彼女を勇気づける台詞もかけてやれないまま、ヴィヴィアンは視線を背け服の埃を叩く。
監視室であろう部屋の古ぼけた扉を開けると、酷く耳障りな高笑いが聞こえてきた。
「!??」
突如聞こえてきた女の嘲笑に耳を押さえ、煩いとばかりに中央を睨む。
向けた眼差しの先には挑発的な態度と衣装の女が、腰に手を当てヴィヴィアンに勝ち誇っていた。
「おーほほほほっ!
必ず此処に来ると思っていたわ、ヴィヴィアンヴァルツ!」
「さっきまで焦ってたくせに…」
「(お黙り!)」
ピシャリとヒールで軽く蹴飛ばされ従属の少年はしおしおと頭を抱える。
ドアを開けたヴィヴィアンと背後から覗く少女の疑わしげな視線に慌てて身を退き、彼は女の後ろに隠れた。
「な…何だ?まさかお前達が魔法陣を描いたのか?」
「ふふん、その通りよヴィヴィアンヴァルツ」
芝居じみた剣幕に流石のヴィヴィアンも瞳を瞬く。
女は自分をよく知っている様だが全く覚えが無い。
「お前なんか記憶に無い」
「それが憎らしいのよ!!」
キィー!とヒステリックに地団駄を踏む主を従属が慣れた仕草で宥める。
彼女の剣幕に老朽化した床がみしりと嫌な音を立てたからだ。
「じゃあ、やはり狙いは俺か…」
扉の前で考え深く腕を組むと後ろで聞いていたニーナが間に割った。
「貴女がみんなをあんな風にしたのね!?―酷い!」
見ず知らずの少女から受ける糾弾に女魔術師は肩をびくりと浮かす。
「私が酷いですって?酷いのはその男の方だわ!!」
構っていられない、とばかりにヴィヴィアンは自分を指さす女を突き飛ばし、手にしていた望遠鏡を奪い取る。
「ご主人によくも暴力をふるったな!」
よろめく彼女を支え、少年は小さな拳でぽかぽかと叩く。
痛くも無い攻撃に軽く脚を引っかけると小さな体はころんと倒れた。
街を一望し、目的の物は容易に見つかった。
けれどそれは想像していたよりもかなり状況は悪い。
ヴィヴィアンは望遠レンズを覗き込んだまま魔術師達に鋭く問う。
「街の防御壁を利用して円を描いたのか…住民全員の魂を献上して何と契約する気だ?」
「街?…契約?」
物騒な話に女は即座に首を振る。
「私は酒場の屋根に『愛憎反転』の魔法陣を描いただけだわ。
人を悪魔崇拝者みたいに言わないで頂戴!」
「そうですよ!ご主人は…見た目はこんな邪悪でも、回復魔法しかまともに使えない
へぼへぼ白魔術師なんですから!」
彼女を弁明しているのか貶しているのか判らない言葉に再びヒールが少年を蹴る。
『愛憎反転』
好きを嫌いに。嫌いを好きに。
感情操作、チャーム(魅了)の一種で恋の呪いとして使われる初歩的な魔術。
単体から不特定多数まで、応用が利く雑な魔法陣。
つまり好きな相手に牙を剥き、嫌悪していた相手に好意を抱く、はた迷惑な魔法であった。
「そんな訳あるか。こっちは殺されかけたんだぞ!?ニーナだって…」
ヴィヴィアンは腕を組み、一回り態度の小さくなった首謀者2人を見下げる。
そこで一番重大な事実を見逃していた事に言葉を止めた。
「…それなら…何故、彼女は術に掛かっていない?」
ニーナは自分に好意を抱いていた筈だ。
一番先に襲ってくるのは彼女だろう。
それに…とヴィヴィアンは部屋の入り口で怯える様に立ち尽くす少女をゆっくりと見据え、呟く。
「愛情が殺意に反転する条件は一つしかない…」
指輪を口元に当て眉を寄せる。
光を得た様に一瞬輝きを増した新緑の石に惹きつけられ、魔女の従者は顔を上げた。
「え?そんな条件があるんですか?」
初耳だ、と魔法修行中の少年はほんのり尊敬の眼差しを浮かべて天才魔術師に聞き返す。
ヴィヴィアンは淡白に頷いた。
彼女を殺すまでに暴走する理由は一つしか無い。
「街の住民は初めから全て洗脳されている…おそらく…」
彼女の為なら自ら命を絶つほどに。
作品名:LOVE FOOL・前編 作家名:弥彦 亨