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LOVE FOOL・前編

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吐き出された血と、躰から止め処なく溢れる血とでどろどろに汚れたテセウスが耐えきれず
従者の躰を突き飛ばすと、腱の切れた音が気丈な彼の喉から悲鳴を上げさせた。
人形の様に不快に折れ曲った半身から一匹の獣が腹部を喰い破り。
丸く肥えた鉄色の「それ」は全身を血と脂で光らせ地面を駆け、二人の視界から直ぐに消えた。

「鼠!?」
「う…ぷ!」
体温の落ちた身体を自身で抱き、口許を覆って屈み込む。
しかし青年は、腹部の空洞を晒しながらもまだ生きていた。
想像を絶する痛みに精神を崩壊させ、地面に四肢を付き震える主に手を伸ばす。
もはや正常な道徳も忠誠も無いのだろう。
焦燥しきったテセウスに圧し掛かる騎士の首に一撃を与え、漸く崩れ落ちる。

癒せない、死ねないのならせめて痛みからだけでも楽にしてやりたい。
「気絶」だけでも有効で良かった。
涙で濡らす顔を向ける国王に手を伸ばし、アストライアはほうと安堵の息を吐いた。

「この呪い、治療が効かないと聞いたが、…視点を変えれば何をされても「死ねない」訳か」
死を待つ呪いと思っていたが、これは更に邪悪で凶悪な者の成せる業だ。

交わす言葉も浮かばない。
黙りこんだまま冷えた夜の空気に立ち竦むと、視界の端で銀色の小さな光が瞬いた。
「!?」
明らかに自分を狙った弾丸をテセウスは素早く剣で薙ぎ払う。


今なら殺せるとでも思ったのか。
「…よくも、こんな惨い事を!」
呼吸を整え、平静さを取り戻すと次に怒りが込み上げる。
闇に向かって叫ぶ声に、城内の何処かに潜む狙撃者は闇に紛れて小さく舌打ちを返した。
「残念。せっかく面白い見世物が拝めると思ったのに」
「これ以上の勝手はー!」
抜いた剣を構え直し、後を追うべく踏み出すテセウスをアストライアが引き留めた。
「別の入口から戻って城の兵を呼べ。狙われているのはお前の命だろう」
隙あらば呪いを喰らおうと、核熱を増す腕に視線を下ろし悔しさで唇を噛む国王に諭す。
乾いた返り血を拭い、不満げに睨みつける。
その表情がふとヴィヴィアンヴァルツを彷彿とさせ、アストは自嘲した。
「一人で追う気か」
「俺は平気だ」
多分。
何故かそんな気がする。

==
確証の無いアストの応えに納得が行かないと喰い下がる国王を門庭に残し、逃げ去る後姿を追う。
月光の灯のみを頼りに城を一周出来る、最も長い廊下を駆け抜ければ絨毯で硬度を欠いた
ヒールの音が速まってゆく。

―女、なのか?
険しく眉を寄せたアストに一瞬、戸惑いが浮かぶもそれは直ぐに拭われた。
たとえ相手が幼い少女だったとしても。すでに三人もの人間を殺し、今も残酷な手口を見せつけられたばかり。手加減など出来る相手ではないだろう。
加えて、飛び道具に対しそれだけの実力も伴わない。
抱える憤りは非道な敵の対してばかりではなく、非力な自分にも向けられていた。

柄を握った手の感覚が鈍る、無言の逃走劇からどれくらい経過したのだろうか。
外界の見渡せる窓沿いを走っていた筈がいつの間にか城奥へと誘い込まれていたらしい。
窓の間隔が広くなり景色は暗さを増す。
扉の形状も城に相応しい金属の手摺から灰色の鉄扉へ。
アストライアが城内の構造に詳しくないのだと、気が付いたがもう手遅れだった。
逃げ場の無い通路で狙撃者は立ち止まり、唐突にふふーと喉を鳴らす。
両壁には絵画が処狭しと並び、外界からの灯は届かない。

開戦の空気に身構え、向けられた白銀の光を浴びながらすらりとした体躯の人影は徐に振り返った。
煙管の火を灯す一瞬、好戦的な女の顔が闇に浮かんで消える。

「まさかこんな処で再会するとはねぇ、アストライア」
嘲る口調でアストを呼ぶ。その声音は紛れもなく成熟した女性の物であったが、強張る理由は
掛けられた内容だ。
「再…会?」
平静に応えるも、訊ねる意味に鼓動が速まる。

(何処で、逢った)
―狼狽するな。と、ゆっくり剣を抜き騎士は正面に構える。
逃げ場が無いのは敵の方で、一対一なら此方が有利。
不安定な宿主の心に歓喜する片腕の焼印を押し留め、短く息を整えたアストライアに女は更なる
追い打ちを仕掛けた。
「黒薔薇ならとっくに次の獲物を探しに行ったよ。そんなに手遅くて…クロエだっけ?
妹の仇討ちなんて出来るのかい?」

「貴様…っ!!」
自分ばかりか妹の名まで呼ばれ、かっと瞳の色が変わるアストに女は唇を吊りあげる。
かかったー。とばかりに緑薔薇のヘッドドレスを揺らし狂気の宿った濃紺の瞳を細めた。
「『オーバー・キル』 
お前も死を越えた痛みにのたうち、私に跪け!」
「!」
掌に収まる小型の回転式拳銃が斬りかかる剣士の正面を捕え弾丸を吐き出す。
同時、壁を蹴り反動で長い一歩を踏み込む。躰のラインにぴたりと貼り付くドレスをも介さない動きは、向けられた剣先に全く怯まない。
意味は彼女こそが全ての元凶だという事。そして、これが初めてでは無いという事だ。

頬を掠めた弾丸の圧撃に熱い痛みが走る。
距離を詰める剣はもう一方の袖口に仕込まれたソードブレイカーと称される歪なナイフー。
剣をへし折る為の武具に容易く受け止められ交わった剣と短剣の隙間から銃口が此方に向く。
緑色の薔薇と共に刻印された銃身の「NO HOPE」という言葉が視界の端を横切った。
クロエを洗脳し殺した男が『黒薔薇』なら彼女は緑の薔薇を司る、という処か。
「何が目的だ」

立ち昇る煙の奥に鋭く問う。
薬莢を散らした一撃を避けるばかりに注意が逸れ、アストの真新しい剣はブレイカーから加わる負荷に
悲鳴を上げ始めていた。
「さあ?我らが支配者、あのクソ女は富にも権力にも興味が無い。
大勢が凄惨に死ぬ「悲劇」だけがお好みなんだろうさ」
咥えた鈍金色の煙草を燻らせながら複数の共謀者を匂わす緑薔薇の物言いには一欠の罪悪感もない。

(そんな理由で、クロエは)
自身の内に棲む「何か」が、怒りに呼応し膨れ上がる。
闇雲に込める一刀は魔女に軽く受け返され、軋んだ剣は身に届く事なく砕かれた。

―筈だった。

「!?」
折られた剣先は二人の足許に落ち、確かに突き刺さっている。
けれどそれはアストの剣ではなく、空いた片手が握り潰していたソードブレイカーのもの。
「殺す」
イエソドで暴走した時とは相手が違う。
焔を制御しようという思いは彼の中に浮かばない。
「これはお前達がクロエに放った呪いだ。知らないとは言わせない!」
自ら戒めの甲冑を剥ぎ、醜く焼け爛れた腕と掌の焼印を顔の前に翳した。
「へえ…面白い物を飼ってるじゃないか」
悪意に満ちた面貌が憎々し気に言葉を吐く。
使えないナイフを床に投げ捨て、すかさず二度、三度、引鉄を絞るも弾丸は焼けつく腕に阻まれる。
唇を吊り上げ、嗤う緑薔薇はアストを見据えたままゆっくりと後退った。

とうに正気は焔に奪われ殺意だけが支配していたのかもしれない。
所々裂けた服からは血の滲む肌が艶めかしく覗き、際どく身を翻す魔女の姿を執拗に追う。
意識は次第に遠のき、焔を無感情に傍観する自分が居た。

ここで彼女を殺しても何の解決にも成らない。
呪いも、薔薇を名乗る他の仲間についての手がかりも失う。
作品名:LOVE FOOL・前編 作家名:弥彦 亨