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LOVE FOOL・前編

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無邪気にベッドの周りを走り、追いかけっこと枕投げを楽しむアステリオスが休息出来たのは確かであった。



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暗雲に覆われた空に曲線状の月が白く浮かぶ。
細い光は城内の小さな灯取りから射し込み、酷く質素な私室に流れ込んでいた。
廊下を行き交う人の気配も、扉の外で睨みを効かす兵士も無い。
灰色の螺旋階段を昇りきった最上階に一つだけあるこの部屋には不要とでも思ったのだろうか。

彼がテセウス。
「身代わりの王子」かー。
てっきり牢に戻されると思っていたアストライアは自分を招く青年へと視線を上げる。
腰まで伸ばした金髪を茨の模した王冠で留め、装飾品の代わりに軽甲を纏う姿はこれまで出会った貴族のイメージから掛け離れていた。
そしてこの部屋。
城内での寝起きを赦されず高い別塔の上で過ごす待遇は城仕えの騎士よりも軽い。

「来たな」
「…。」
照明を落とした暗闇の中、じっと眼下の城門を見据えていたテセウスが弓を引き絞ると騎士は
剣を手にひらりと部屋を出る。
宵に溶け込むフードを深く被り人目を忍んで立ち去る人物は何者だろう?
階段を駆け下り庭に連なる扉を開くと、風を斬って塔から放たれた矢が不審な者の足を地面に
射抜く。
アストライアは崩れ落ち、尚も前に進もうともがく背中に手を掛けた。



発端は数時間前。
ヴィヴィアン達を逃がした後玉座の正面に伏せられ、国王直々に尋問されるものと
予想していたが彼の取った行動は側近と護衛兵達を大いに狼狽させた。

新国王は凍てつく表情のまま立ち上がるとアストの持っていた剣に手を滑らす。
皆一斉に制止をかける中、慣れた動作で柄に手をかけ一気に引き抜くと白銀の剣刀に眼を細めた。
鍛えられたばかりで脂一つ浮かない両刃の剣は涼しげなテセウスの面貌によく映える。

「まだ一度も人を斬っていない刃だな。何を斬るつもりだった?」

「一人か、複数なのかも解らない相手を」
目の前に翳された自身の剣を見返し、妹の隣で微笑んでいた男の姿を思い描く瞼を閉じる。
黒い薔薇が咲いていたというだけで仇を追うには世界は広すぎたのだ。
まして相手は殺人犯でも犯罪者でも無い。

それでも。いつか必ず探し出す。
沈黙のうち決意を滲ませ、床に膝を着き後ろ手に拘束された騎士をテセウスは見下ろす。
一縷の迷いも無いアストライアの回答に冷えた眼差しが微かに解けた。

「そんな高尚な目的があるにも関わらず身代わりになったのか。救い難いお人好しだな」
「自分でもそう思う」
くすり、と声が漏れた。頑なに纏う拒絶から素に戻る一瞬の隙。
再び剣を鞘に戻し持ち主の手元に滑らせ、振り返る表情は元の仮面に戻っている。

アストライアは人が変わったというユースティティアの言葉を思い返し、実際は何も変わっていないのだろうなと
感じた。
変わったのは恐らく。
自分自身でも気付いていないユースティティアの態度では無かったか。
階級社会で育った騎士の家系である青年と、同等、もしくはそれ以下の幼馴染。
それが有る日を境に仕えるべき主君に成る。屈折したどちらの感情も理解出来た。
彼には弟を殺してでも国王に成ろうと云う野心は無く、騎士には彼等を国王にしたいという
強い想いがある。
城の従者達が難しい顔で二人の動向を胡乱気に見守る中、何かを思いついたアストは腰を上げ
全員の耳に届くよう、ぐるりと見回し叫んだ。

「今宵、ヴィヴィアンヴァルツは王子の墓を暴き生き返らせる。
アステリオス王子は呪術士の姿を見ているぞ!」


「え…真に?」
思惑通り、誰もが言葉にざわめく。
「彼が名高いヴィヴィアンヴァルツならば、…可能かも」
「しかし…」
驚きに声を呑む者。隣人と顔を見合わせる者。
信じられないと否定する者。神に祈る者。

彼等が口々に意見思想を交わす中、テセウスは眉を潜め乱暴に胸座を掴んだ。
「あの魔術師が!?信用出来るとは思えな…」
怒りを露わに覗き込む王の耳元で、アストは低く囁く。

「聞け。おそらく今夜、真偽を確かめに城を出た者が全ての犯人だ」
「!」
顔を突き合わせ、今にも斬りかからんと憤激するテセウスと、アストライア。
彼等は偽の素振りで暗黙の内、互いの背後に立つ人物を記憶に留める。
「自ら厄介事に巻き込まれるか。
その性格、お前の復讐にはいずれ邪魔になるぞ」
「あいつの濡れ衣を晴らすと約束した」
お人好しにも程がある。
く、と口端を曲げ、そう言いたげな視線を注ぐと掴みあげた手を解き床に叩き伏す。
倒れた躰と打ち鳴らす踵の音に、一旦静まり返った城内の群衆に向かいテセウスは公言した。

「真夜中、国王、王妃の眠る墓場を訪れるのは不敬である。
夜明けと共に真実を確かめるべく、ヴィヴィアンヴァルツとアステリオス王子に使いを出そう!」

力強い語尾に人々は安堵し頷く。
失われた王族の血が絶えずに済んだと胸を撫でおろすさまに一瞥を向け、アストライアの枷を解いた。

二人の仕掛けた罠に黒いフード姿の人影が辺りを見回しながら現れたのは、そうした後。
重なる悲しみと疲労した城内の人々が全て就寝した真夜中過ぎだった。

「う」
さほど大柄でも無い人物は小さく呻き地面に倒れる。
テセウスの放った矢は急所を避け、歩みだけを仕留めていた。
剣の見立てといい、玉座に座らせておくのは惜しい人材だとアストは塔を見上げれば
煌めく金髪の尾が窓枠の中でふわりと弧を描く。
冷えた風貌に似合わず血の気の多い国王は、直ぐに部屋を飛び出したのだろう。

「お前が暗殺者…ではなさそうだな」
片足の腿を射抜かれ、崩れ落ちた人物のフードを剥くとやはり広間で見覚えのある若い青年従者だった。
汗でべったりと濡らした淡い金髪を乱し、息の上がりきった荒い呼吸で言葉に成らない声を発す。
混乱と痛みからこちらに危害を加える余裕がないのか、身体をくの字に曲げ両腕で自身を抱く。
虚ろにアストの背後を眺め、テセウスを呼んだ。

「見習いの騎士だ。数か月前ユースティティアが城に連れて来た事がある。彼が呪いを?」
マントを翻し、一歩離れた場所で従者とアストを交互に眺め問う。
とてもそうは思えない。
錆色の髪を掻き、首を振る。

「…さ、ま…お許し、を」
擦れた声に混じって血の塊が零れる。
そこで二人は、青年の躰が酷く切り刻まれている事に気が付いた。
漆黒のマントは濡れて、艶を増している。
これは彼の血だ。

「おい、大丈夫か…!?」
ぐらりと前のめりに倒れ込む躰を支えると、腕に掛る「違和感」に背筋が凍りつく。
混濁した意識で懸命に赦しを乞う、名前さえ知らない騎士を抱きしめアストライアに縋る面持ちを浮かべた。独り言を呪文の様な早口で呟く青年と、初めて恐怖を露わに見せるテセウスの歪んだ表情に
アストライアは眉を寄せ一歩近付いた。
「どうした?」
警戒を込め鋭く問う。躰から流れ出る血で染まった両手が震えているのが判る。
細身の佳人に爪を立て、離れない見習いを引き剥がそうと肩に手を乗せたアストの耳に信じがたい台詞が零れた。

「腹の中に、何か…居る」
「!?」
ゆっくりと支えた手を横に逸らすとフードの下が蠢く。
何かが、彼の体内で貪っている。
作品名:LOVE FOOL・前編 作家名:弥彦 亨