LOVE FOOL・前編
牢と見張り部屋があるだけで他に囚人も無い形ばかりの地下牢は、一国の城内にしては随分
狭いものだとアストは思った。
「すみません…私のせいでこんな事に…」
「いや。むしろこんな緩い待遇で済むとは思わなかった」
アストライアが軽く手を振り応えると、暗く沈んだ面持ちで頭を垂れる騎士はゆるりと甲冑を脱いだ。
色白の肌がより一層蒼く血の気を欠いている。
皮肉では無い。
素直に捕えられた事が功を奏したのか、双方地上で硬く拘束されていた四肢への枷は解かれ、
自由のきく身だ。それからくるりと振り返り、同じく傍らに投げ出された相方を見下ろしながら、こめかみを指で押さえた。
よほどの危険人物だと思われたのか。
幾重にも手足を頑丈に鎖で巻かれているのは押し潰され、未だ意識の戻らないヴィヴィアンヴァルツだけ。
目立った怪我は無さそうだが自慢の銀髪は額に乱れて貼りつき、赤衣もよれて大勢の靴跡が浮かぶ。
起きれば即刻怒り狂うに違いない。
困り果てた様に溜息を吐く相棒の表情にユースティティアも微苦笑を浮かべた。
「不思議な人ですね」
美しい容姿と類まれな魔導知識が有るにも関わらず、思った事を躊躇無く口にする子供じみた
言動は、見た目とのギャップが有り過ぎる。
それでもどこか憎めないと、青年は穏やかに語った。
「『不思議』で済むレベルか?」
湿気の含んだ固い石畳の床で横たわるヴィヴィアンを仕方無く抱き起こすと、躰に着いた砂利を叩く。
楽な姿勢で壁に凭れ掛け、襟元を正す指が左胸に浮かぶ一点の黒い染に触れた。
(華に罪は無いが)
どうせ薔薇になど興味の無い男だ。あった事すら覚えてもいまい。
半ば弁解めいた言い訳を繰り返し、街の入口で貰ったという「それ」をアストは素知らぬ顔で地面に
投げ捨て、そういえばとこちらを覗き込むユースティティアに訊ねる。
「後継者は独りだけだと聞いたが」
「…。実は、テセウス王は王妃様の実子ではありません」
道中口を開けば喧嘩ばかりのヴィヴィアンヴァルツとアストライア。
羨ましくもある奇妙な友情に、微笑んでいた口許を結び詰問に眉を寄せた。
国王の死後、庶子の存在が明らかになるのは良くある話。
王族を守る為に標的を立て欺く事もまた、王国ならば良くある事。
しかし、と騎士は途切れがちに言葉を選び語尾を強めた。
「故に王家の血を護る事しか頭に無い城の側近達にとって、テセウスは「死んでも良い方の王子」。
新国王に祭り上げ王子の身代わりにしている。
…私は、死なせる為にテセウスの出生を知らせた訳では無かったのに」
時折口をつく呼び名に引っかかりを覚えていたが、予測が付いたとアストは無言で頷いた。
実直な青年が国の汚行以外にも痛めているとすればテセウス王の命か。
「しかし死んだのは正統な後継者。何故だ?内部に裏切者が?」
「いいえ!決してそんな事は」
誰にも吐き出せなかった想いを吐き出し、膝を折るユースティティアだったが即座に大きく否定する。
「じゃあ誰がこいつを暗殺者だと云い、騎士団を城から追い出した?」
「それは…アステリオス王子、御自身です」
息を吸い、元の平常さで返すと当ての外れた返答に今度はアストが瞬いた。
意識が戻りつつあるのか。
二人の声量に身じろぐ麗貌と目の前の騎士とを交互に見返し、扉を背面に腕を組む。
暗がりにぼんやりと浮かぶ思案顔は酷く険しい。
「本人が?どういう事だ?」
王子本人に聞こうにも、既に土の中。
国王は弔いが終わったらと言っていた。
問い詰める機会は明日になってから。
そうと決まれば。
投獄慣れしている素振りで壁際を背面に、アストは自身のマントを床石に敷きごろりと寝転がった。
「よく眠る気になりますね」
一方の騎士団長は落ち着きなく部屋を彷徨い、眠りに入る騎士を恨めしそうに眺めた後、
自身も横で膝を抱えた。
「俺の短い経験だが、こういう場合良く眠る人間の方が強い」
「…。」
此処でいくら思案しようと何も解決しない、と正論を寝言の様に呟く横顔に一瞥を向ける。
同じ「騎士」でありながら自分には欠けている鋭敏な洞察力は彼の云う通り、経験の違い。
ラーレからイエソドに着くまでの間、一体どんな旅をしてきたのか。
主を剣技で守るしか取り柄の無い自分には想像もつかない。
背中越しの思いつめた眼差しは絶えた蝋の焔と共に消え、地下牢が真の暗闇に染まると気持ちも
一層落ち沈む。
言われるがまま、瞼を閉じても浮かぶのは小さな棺と国を発つ前に見たアステリオスの屈託ない笑顔。
そして親友テセウスの変貌。
眠る事など到底出来ない。
そう思っていたユースティティアだったが、すぐに睡魔が忍び寄る。
適度に息を抜く術を知らない彼の精神も肉体も、休息を強く必要としていた。
(王子…国王陛下。テセウス…。)
最後に国王と対等な会話をしたのはいつだっただろう。
夢現の境界を彷徨い、抱えた膝上に額を乗せた。
「おーっほほほほーーっ、何て無様な姿かしら!良い気味だこと!ヴィヴィアンヴァルツ!」
月光の一筋すら届かない、暗中の牢獄で耳を覆うほどけたたましい嘲笑が眠りと静寂を裂いた。
悪質な目覚めに半身を起こすと、何者かが格子の外から高笑いを浴びせているのだが
漆黒に塗り固められ瞳には輪郭だけが映りこむ。
「な…ん!?」
アストライアには全く身に覚えが無い。
隣で同じ様に闇を窺うユースティティアに視線を投げるも、やはり彼にも覚えが無いと首を振る。
どうやらヴィヴィアンを快く思わない人物に「また」絡まれた様だ。
アストライアは大人げないと知りつつ、不機嫌さを露わに問う。
「誰だ?」
「あ…ら…?まぁ!?やだ!
ヴィヴィアンヴァルツじゃなかったのね!?」
訝しむ誰何に女らしき人物は手にした燭台の焔を掲げ、眼を細めながら此方を覗き込む。
顔を寄せ人違いだと判るなり、両掌で口を覆い後ろに飛び退いた。
高飛車な物言いから一転し、慌てふためく主人らしき女の腰よりも低い位置から小さな文句が返る。
「御主人〜。だから灯を点けようって言ったじゃないですかー」
「(お黙り!)」
最もな言い分の従者を爪先で軽く蹴り上げたのか、悲鳴と不満ともつかない声が地下牢の石壁に響く。
咳払いで誤魔化しながら壁の蝋燭に火を移し、手元を温めていた一点の光が数か所灯ると、
ぼんやりと地下牢全体を照らし出した。
「ヴィヴィアンヴァルツなら確かに居るが」
扉の向こう側に立っていたのはアストライアにも見て取れるほど、いかにも「魔女」といった恰好の
黒いマント姿の女と、人ではない容貌をした幼い従者。
ヴィヴィアンに劣らず威圧的な態度で腰に手を当て、少しばかり露出の多い魔女は高らかに嗤う。
「再会の挨拶は逃げてからにしましょうよぅ。もうすぐ人が戻ってきます」
まだ会話が続くのか、と少年は飛び跳ね二つに結んだ髪をばたかせながら格子を見上げ
丸い瞳で訴える。
彼は間延びした口調に似合わず、身に着けた小さなサイドバッグから鈍色の鍵を取り出し
錠穴に差し込んだ。
予め魔術師の居る牢だけを目的にしていたかの様、回転する金属音と共にすんなり扉が開く。
作品名:LOVE FOOL・前編 作家名:弥彦 亨