LOVE FOOL・前編
「うん?」
人垣の最後尾で此方を眺めていた黒いドレスの彼女は、小柄な割に胸元の肉付きが良い。
葬式用のヴェールで顔を隠してはいるがその体型と挙動不審な動きは何処かで見た覚えがある。
眼差しを険しく細め凝視すると、どうやら相手も此方を知っている素振りで一歩後ろに退く。
益々怪しい。
狼狽するのは何かやましい事がある人間の仕草だ。
場の悲劇的な空気にすっかり同調しきっているアストライアをよそに、ヴィヴィアンは捕まえて問いただそうと
奮起する。立ち塞がる群衆を手で押しのけ歩み寄ろうとすれば案の定、女は踵を返し逃げ出した。
(逃がすか!)
とは言うが勿論、自分では追いかけない。
「おい、アストライア。あの女を…」
追いかけろ。
ヴィヴィアンが隣のアストを掴み、言いかけた言葉は本人に伝わるどころか、どこからともなく押し寄せて来た重鎧兵に腕を捻られる。
「何をする!?」
話す余地も無い、突然の手荒い扱いに甲高く叫ぶ。
元から命じられていたのかヴィヴィアン達が国王の前に現れると残っていた兵士が手際良く、ぐるりと三人を取り囲み、長槍を突きつけ地に伏せろと命じた。
抵抗すれば身の潔白は難しくなるだけ「今は仕方が無い」と耳打ちされ、こんな状況にもどこか
慣れた態度で従うアストライアに顔を寄せ、睨みつけた。
「今は!?これ以上状況が悪くなったら魔法打って逃げるからな!」
無抵抗であるにも関わらず、打ち伏せられ手首に下ろされる冷たい鉄枷の感触に唇を噛む。
再び視線を上げた時女はもう掻き消えていた。
小さく舌打つヴィヴィアンの頭上から酷く凍りついた固い声音が耳膜を通る。
「お前の主は死んだぞ、ユースティティア」
「テセウス、陛下…!?」
王子の棺へと駆け寄ったユースティティアの手が届く事は無かった。
それまで土に埋もれる弟の棺をじっと見下ろしていた、陛下と呼ばれた青年が歩み寄り、遮ったのだ。
真っ直ぐに伸びた質の良い髪を頭上で結い、その上に小さな王冠が輝く。
近寄るな、とばかりに金糸の隙間から覗く冷ややかな碧眼。
彼は騎士隊長の前に立つと腕を組み、嘲笑して見せた。
「お待ち下さい陛下!いや、テセウス!彼等がまだ呪いの首謀者だとは決まっていない!」
王の命令とはいえ、同じ国の、しかも数時間前までは階級の上であった人間を拘束するには
手が緩むのだろう。
ユースティティアの必死な訴えに兵士達は一歩身を退き、どう扱ってよいものかと言葉が終えるのを待つ。
自身への拘束が弱まったと感じた騎士は新王の前に這いずり出た。
「…。」
テセウス。久しぶりに呼び捨てられ、凍てついた表情がふと素に戻る。
若き王は騎士の顔を見据えていたが、やんわりと首を振った。
「もう…お前の言葉は信じない。俺をこの国に売った張本人だからな」
「…そ れは…」
それからユースティティアの傍らに膝を落とすと、吐息が重なるほど近くに顔を寄せ荒んだ微笑みを注ぐ。
誰にも聞こえない距離で囁く呪詛はユースティティアに反論を赦さない。
事実だから。
透き通った緑瞳に失意を浮かべ黙り込む彼を足許に残し、テセウスは満足気に立ちあがると
どちらに従うべきか戸惑う兵士に告げた。
「国王殺しと、主を死なせた無能な騎士だ。三人を牢獄に繋いでおけ」
「それじゃ敵を野放しにするだけだろうが!そんな事も判らないのか馬鹿国王め!」
連行され大人しく立ち上がる騎士二人とは真逆に、反抗的な魔術師の暴言に民衆からどよめきが
起きた。国王を呪い殺したと言われていながらこの立ち振舞いは街民にも、兵にも悪印象でしか無い。
(頼むからこれ以上印象付けるな、ヴィヴィアンヴァルツ―!)
ただでさえ人目を惹く、その顔を覚えられてはこの後逃げた時、身を隠しにくくなる。
住人に協力を得る事など更に厳しいだろう。
そんなアストライアの企みなど全くお構いなしに暴れるうち一人、また一人と兵士が駆けつけ
折り重なってゆく。
人の山は次第に大きく膨れ、ぷちり、と押し潰される様な音と共にヴィヴィアンの声も途絶えた。
「…。アステリオスの弔いが済み次第、刑を出す」
積み上げられた兵を一瞥し、テセウスは最中であった国葬からマントを翻す。
もう興味が無いとばかりに言い残すと、弟の棺に背を向け人の出払った城内へと戻った。
一歩、象牙色の扉を開けると室内から吹く空気が冷たく肌を刺す。
窓の外に広がる蒼穹も今は寒々しいだけ。
側近も従者も葬列に並びいつもは騒がしい廊下も薄暗く影を射していた。
白い石の外装をキャンバスに、金と蒼の装飾が描かれたラモナ城。
黄金の糸で縫われた縁が煌びやかに彩る濃紺の絨毯が玉座の間と連なり、主を迎える。
国王。テセウス陛下。そう呼ばれ始めたのはほんの数日前からだった。
この城の誰一人、自分の存在を知らずにいたくせに。
自室に向かいながら窓辺に寄り添い眼下を見れば、黒衣の民衆が棺に群がったまま。
正統な王位後継者にいつまでも祈り続ける。
所詮、自分は唯の身代わり。
半分だけの血引く王族。「死んでも良い方」の王子。
その証にテセウスの私室は城の端に伸びた別塔の最上階にある。
お伽噺にありがちな囚われの姫を彷彿とする豪勢だが自由の無い、幽閉された誰の目にも
触れさせない部屋だ。
階段を上りきり、青年は深く息を吐く。
伏せた顔を覆う自身の髪を掴み、それから気を赦せば震える肩に爪を立て正面を見据える。
一度均衡を崩せば、止められない。
踵を吸収する上質なカーペットにまた一歩踏み出すと、気丈さを嘲笑う誰かの含み笑いが漏れた。
テセウスは瞬時に帯刀した細剣を引き抜く。
窓際から死角になった支柱の影から姿を現すより早く、気配の方へ剣先は鋭く向けられていた。
「親友を裁くというのは誰もが出来る事じゃない。
支配する者が持ちうる強靭な精神力の成せる技、貴方こそがこの国の王に相応しい」
「お前は誰だ。その顔に見覚えが無い、城の者ではないな」
問われた声に応ずるかの様な仕草で現れた人物は長身の女。
緑色の珍しい薔薇をヘッドドレスに挿したすらりとした美女であった。
「ふ…新国王はもう従者の顔を覚えたのか?それは親愛からか、それとも誰も信用していないのか」
「答える気がないのなら斬る!」
無駄な肉は一切付いていない直線的な体躯。輪郭を際立出せるドレスは到底淑女と程遠い。
切れ長の瞳を流し、咥えていた煙管を指に挟むと大袈裟に肩を竦ませる。
「私の事は「アリアドネ」とでも。
外交の為にさる御方から使わされたものの、国王が死んで困っていた処。でも…
陛下となら話が早そうだ」
白銀の刃を突きつけられているにも関わらず畏れる様子が無い。
今にも斬りかからんと身を構える一国の王を前に、悪びれもせず女は紫煙を吹きかけた。
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暗闇とは、人間の時間感覚を麻痺させる。
一晩明けたと思うのは唯の錯覚で、実際は数時間程度。
誰一人姿を見せない処を見るとまだ国葬は続いているのだろう。
格子窓のある鋼鉄扉から外の通路を覗き、出口の方へ首を伸ばす。
見覚えのある二本の剣は詰所の卓上に無造作に置かれたまま、小さく溶けた蝋燭の灯が消え入りそうに揺らめく以外何も見えない。
作品名:LOVE FOOL・前編 作家名:弥彦 亨