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LOVE FOOL・前編

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 ぴたりと首に突き付けられた切っ先を凝視しながら、震える指先で暗い部屋の奥を示す。
灯りの落ちた室内で唯一、燭台の火が洩れる扉。
アストライアは瞳を細め、嘘では無いと云うメーガナーダを引き摺り寝台のある部屋に踏み入ると、
ベッドの下に掘られた大穴に呆れた顔を向けた。
半分ほど閉じられた蓋を取り去り、中を覗き込めば、底でぐったりと身を丸くした御仁が倒れている。

「酷いな」
 随分と恨まれたものだ、ヴィヴィアンヴァルツ。
アストライアは剣を収め、荒々しく床に掘られた縁に膝をついた。
自分が下りて担ぎあげるには幅が狭い。
ヴィヴィアン自身が下ろしたロープを結んで自力で登る事が理想的なのだが…。
いくら呼びかけても身じろぎすらしない姿に不安がつのる。

 何か引き上げる為の物を、と振り返るアストライアの頭上に薄いフルーツナイフが真横に滑った。
「メーガナーダ!」
 極力一般人を傷つけたくはないのに。
切迫した表情で振り下ろすナイフを鞘に収まったままの剣で受け止め、鋭く叫ぶが彼の耳には
届かない。

「インドラジット、この男は貴方からヴィヴィアンを奪うつもりですよ!?」
「もう一人いたのか」

 闇雲に襲いかかるメーガナーダを床に抑え付け、握られた刃を弾くと、アストは一か所だけの扉を睨む。
苦し気に呻く声に力を抜きながら壁際に後退し、ぴたりと背中を着けた。
部屋を覆う影に身を隠し、もう一人の住人が下りてくる事を待つ。
「それで、彼に勝てるとでも?」
腕を取られ、動きを絶たれたメーガナーダが俯いた顔で嗤う。
押し殺し、震える肩を不可解に見やっていたアストライアの耳元に、ふいに。生温かい息がかかった。

「ヴィヴィたんは〜。誰にも、渡さない♪」
 背後は確かに壁であった筈なのに。
灯りの届かない、影で黒く塗られた壁から。壁の中から。
つい先刻、床に滑らせた小さなフルーツナイフを握った腕がにゅるりとアストの両脇に現れた。
この場にいる誰よりも柄な細い腕だったが、人一人拘束している男の喉を掻き切るには十分だ。
彼の出現を待っていたかの様に、捕えられていたメーガナーダが体重を乗せる。
逆転し、壁に押しつけられた立場に変わったアストライアの首筋から鮮血が飛び散った。

「が…ふっ!」

 わざと死なない様急所を外した一閃に、赤味を帯びた眼光が悔し気に歪む。
裂かれた傷口から噴き出す血を抑え、身を捻ると焦点の合わない瞳をした青年が影の中から這い出てきた。顔に浴びた返り血を神経質に手の甲で拭いながら、ヴィヴィアンを覗き込んだ彼は満面の笑みで頬づえをつく。
「にゃ〜、ヴィヴィたん、きゃわいいー!!監禁萌ゆ!」
ごろごろと床を転がる神出鬼没な青年を眺め、自らの血溜りに額を落とす。
血で全身が濡れるのも厭わず、嬉々とメーガナーダはアストライアの右手を戒める甲冑を解いた。
「…何を」
 逃れる様に払い、止まる事の無い鮮血に身を濡らす。

 擦れた声を絞り出し、呻く。
「止めろ。このままではどうなるか俺にも判らない!」

「今更、命乞いですか?」

 じわじわと亀裂の入っていた何かが、深紅の色に塗り変えられて行くかの様。
メーガナーダは重厚な甲冑かれ現れた火傷痕の残る皮膚に突き刺しながら、口許を湾曲させた。
「ふふ、ここはイエソド。研究の為なら人体実験も赦される!」

 貴方のその右手は実に興味深い。
ヴィヴィアンを始末し、この呪いを持ってイエソドの司書達を見返してやる。

「メーガナーダ?」
 何かに気が付いたふうに顔を上げたインドラジットは首を傾けた。
「どうしました?」
「メーガナーダが…燃えてる…」

『人間の「負」を糧にして燃える』

 攻撃性、嘘。様々な感情に着火するが最も強いのは彼自身の持つ殺意だ。
妹を殺された彼の復讐、そこから流れる血が発火剤と成り焔をもたらす。
到底研究など出来る様な代物では無い。

 懸命に意識を保とうとするアストの目の前で、かつて最愛の妹クロエを奪った惨劇が再び
繰り返されようとしていた。
呪いならば自分だけに振り掛ればいいものをー!
アストライアの発する絶望と恐怖を喰らい焔は踊る。

唯一、床の地底で眠る天才魔術師を残し、部屋は一瞬で業火に呑まれた。

+++




 どこからか吹き込む冷たい風がプラチナブロンドの髪を巻き上げる。

 ひやりと体温を奪う独特の乾燥した気流は室内空調の機械音と共に虚ろな意識を掻き乱した。
此処は穴の中であった筈なのにと、閉じた瞼を不機嫌に擦れば聞き覚えのある声音がヴィヴィアンヴァルツの間近で囁く。くすくすと忍び笑いを零し、からかう口調で訊ねる声の主は紛れも無くあの魔女だ。

「いいの?こんな処にいて」
「はっ!?」

 徐に半身を起こす眼前に飛び込んだ風景はどこまでも続く真っ白い壁。
横長状の半球をした天井。閑散とした空間敷かれた線路。
 どうやら自分はホームの長椅子で横たわっていたらしい。
勢い良く伸ばした手は宙を掴み、無様に地面へ転がり落ちた。
塵一つ落ちて居ないタイル床に打った身体を擦り、視線を上げると此方を見下ろす幼い少女に
掴みかかる。
 催眠術の夢の中で見た女とは似ても似つかない。
自身でも何故かと問われれば応えようがなかったが、間違い無いという確信があった。

 髪の色と瞳の色。相変わらずみすぼらしいワンピース。
10年ほど若返ってはいるが、確かにあの時の女だ。

「お前!よくもやってくれたな!?俺の魔力を返せ!!」
 喚く形相がよほど可笑しかったのか、少女は怯えたフリをし、ひらりと身を翻す。

「人聞きが悪いな、ボクは何も奪ってない。選択したのはキミ自身だ」
「何だと、ぬけぬけと…!」

 底意地の悪そうな眼差しを細めると彼女は言う。
立ち上がり薄い体躯に手を掛けると、合図であったかの様に二人の傍を彗星に似た滑らかなフォルムが音も無く横切った。
宵闇の天海を思わす美しい蒼で塗装された寝台列車。
車窓からはまばらに乗る客の姿が見える。
少女は風圧に髪を抑えながら車両を振り返り、再びヴィヴィアンヴァルツに一瞥を注ぐ。

「他人から注がれた愛情を自身に纏うアクセサリーとしか思わない愚か者。
与えられた「無償の愛」がどれだけ希少で価値のあるものか、その身で思い知りなさい」

 子供の物とは思えないほど枯れた月光を映した瞳に大人びた冷徹な声。
人差し指を真っ直ぐに突きつけられ、列車に乗り込む彼女のスカートの裾がふわりと舞っても
ヴィヴィアンは反論する言葉が浮かばなかった。

「ボクは童話の魔法使いみたいにハッピーエンドの決まった主人公をわざわざ導いたりしない。
散々迷わせて、邪魔して、遠回りをさせる、全ての選択には「結果」が伴うんだ。
キミの中に隠した魔力はキミ自身の「選択」によって解放されるよ」

「ま、待て!」

 出発の汽笛を聞きながら、慌てて彼女の後を追う。
言っている内容は解る。問題なのはその「選択」だ。
ドアの奥に消えてゆく小さな背中に叫ぶと、隣の接続車両から長身の女が現れた。
紺の制服で半身を装い、もう半身は真逆の服装。
作品名:LOVE FOOL・前編 作家名:弥彦 亨