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LOVE FOOL・前編

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 ブリジットの抱いた仄かな疑念は確信に変わったが、ティターニアと交わした約束の時間はこの間にも削られてゆく。
 
 善であれ悪であれ、彼が悪魔である事実は揺るがないのだ。

「…離し…て!」
 途絶えがちに放つ言葉を表情の消えた蔑視で眺め、首を絞めるバアルの手が徐々に力を増す。
 身に突きささる手を両手で解き剥がそうと爪を立てても微動だにしない。

 抗う事も逃れる事も出来ず、呼吸のままならないブリジットの目尻に薄く涙が溜まるのをバアルは軽くせせら笑うと、眼光にあからさまな嫌悪を浮かばせた。

「ユルい涙腺だな。お前の様に媚びへつらう虫けらが一番不快だ!」
「や!…うっ」

 荒く言い捨て、突き刺す爪が皮膚を裂く。
喉に食い込ませた指先を縦に滑らせ、蒼白に染まった顔をひきつらせるブリジットを床に叩き落すと再び髪を掴み、強く引き摺り倒した。
 痛みと首筋を流れる生温かい感触に四肢の震えが止まらない。
流れる血を抑え、歯の根を鳴らせば「黙れ」とばかりにブーツの先で蹴り飛ばされ、曇った悲鳴が上がる。

「ドロドロに溶けちまえ」

 体を折り曲げ転がる華奢な体を見下ろし、バアルは拍子に捲り上がった長いフードから除く足首にざらつく靴底を乗せ、体重を傾けた。

「ぅあぁっ!っ…!!」
 彼の意思と連動しているのか。
柔らかい絨毯の上を、ありとあらゆる存在を浸蝕する形無き黒僕が磔られたブリジット目掛け集まってくる。
無定形の肉塊のようなそれは、ぱくりと口を開き獲物を呑み込もうとしていた。


 自分の骨が砕ける音と共に、喉から溢れる叫びを上げた。




「ブリジットを離せ!」

 低く、けれど激しい怒りを蓄えた一声が空気を打つ。
白銀の長い細剣が風を斬って、バアルの脚を薙ぐと彼はさらりと後ろに飛び退いた。
 涼しげにドレスの裾を翻し、口元に邪悪な笑みを刻む。

「…アース、本気で俺を敵に回す気か?」

「始めから味方をした覚えは無い」
「アース…」
 冷然としたいつもの声にブリジットの表情から緊迫が緩んだ。
ぐったりと横たえる体を抱き起こし、背中に庇うとアースは切っ先を突きつける。

 バアルの合図一つでこちらに飛びかかろうと身構える、濁った水滴を研ぎ澄ました神経で窺い、赤く腫れた足首に指を這わせた。

「この通路の二番目を左に曲がったラウンジにヴィヴィアンヴァルツが居る、そこに行け」
「でも、アースは!?もうじき聖水が撒かれる…せめて何か防ぐ物を…」
「急げ!」
 初めて怒鳴られブリジットはびくりとアースを見上げる。
 注がれた不安の揺れる翠瞳に気が付き、彼は穏やかに淡いブラウンの髪を撫でると「すぐに追い付く」と応えた。

 触れられた足首の痛みは消えていた。
(疑うわけじゃないけど…追い付くって、本当?)
 ブリジットは睨み合い、どちらも動かない双方を振り返り、もつれる脚で言われるままに従った。
 膝下の感覚が無い。
まるで体から切り離された様な感覚に、くしゃくしゃと顔を歪めもう一人の友人、ヴィヴィアンヴァルツの元へと駆けた。
「よくもあんなくだらない真似してくれたな?アスモデウス、俺に勝てると思っているのか?」

 頼りなく逃げ去る背中を見送り、ふう、と腕を組むバアルは呆れ顔で首を傾けた。
一度粉々に砕けた体であるにも関わらず、彼は全くダメージを受けてはいない様だ。

 しかし一片が無いのは確か。
ヴィヴィアンヴァルツが握っているのだから。

 鍛えられた銀の刃を横に倒し、アースは二度目の嘘に自嘲する。

「まさか、これはただの時間稼ぎだ」
 言葉を切りバアルと対極の碧眼に殺意を込めた。

「ブリジットがお前を倒す」

 床を蹴る、外界の光に反射したアースと彼の剣は白い光を放ち同胞の懐へ飛ぶ。
まるで当然とでも言いたげな口調に憤激が宿る。
「は!…あのアバズレに何が出来る!?」

 弱く、無力な存在。
同じ魔術師でもヴィヴィアンヴァルツとは足元にも及ばない。
 バアルは名前を聞く事すら腹立たしいと眼を歪め、呼び寄せていた漆黒の淀みを利き手に纏った。
集約し異形を成す腕は、本性を現す獣の爪に変わる。

「わきまえろ。お前じゃ時間稼ぎにもならない」
 彼は凶悪な色を宿す片腕を背後から大きく払うと、斬り被る長剣が繊細な音色で砕け飛ぶ。
「く…!」

 余波で微かに抉られた腹部からは全身を溶かすほどの浸蝕が始まっている。
ブリジットはヴィヴィアンヴァルツの元へ辿りつけただろうか?

(辿りついただけでは、まだ足りないか)

 魔力を失ったと云っていたが、彼の知識までは消えていない。
それだけにアースは「自称天才魔術師」の造る召喚陣は精巧であり、今や絶対的な信頼を持っていた。
 けれどブリジットの気持ちに整理がつくまでは。もう少し。

 はらはらとどこからともなく舞う羽根が幻想的にアースとバアルの間に降る。
視角には映らない翼が大きく羽ばたき、影だけが機内に黒く闇を落した。
 影自体が彼の食指と言うべきか、鉄の檻は容易く抉れ、機械の断面を晒す。

「悪いがお前に構っている暇はない。ベイビーとの先約があるんでね」
「いいや、つきあって貰う」

 自身の深手を見やる事もなく、アースは想定内であったバアルの強大さに改めて口を結んだ。
 飛行船の中には音楽や飲酒を目的とした社交室が各フロアに点在している。

美しい絵画と、音楽。天井に着くほど本と柔らかく座り心地の良いソファー。
 窓は一切無く、完全な防音設備。
ホテルのラウンジとは違い、少人数がゆったりとくつろぐ為の適度な密室が好都合であった。

「こんなものか…」

 床一面に隙間無く広げた本のカーペットを見下ろし、自身の出来栄えに満足したヴィヴィアンは腰に手を当て深く頷く。

 船内からかき集めた本を並べる際、邪魔になる家具はアスモデウスが廊下に放り出してくれていた。
がらんとした何も無い正方形の空間に隙間なく敷き詰められた書物達。
 子供向けの童話からニュースペーパー、戯曲の原本までが無造作に開かれ、ページに共通点は無い。
 重要なのは内容よりも言語種。
 言葉の多さこそがこの召喚を大きく左右するのだ。

 やはり自分は世界一の天才魔術師だ。

 中心から円を描く様に設置し、脚の踏み場もない室内を壁伝いに歩きながら彼は自画自賛の言葉を一人呟き、笑う。
 多くの魔術師は誤解をしている者が殆どだが、悪魔や精霊に使う魔方陣からの召喚と大きく異なり、「彼ら」との接触は交霊術に近い。
 部屋全体がヴィジャボードと見立て、術者がプランシェットの代用を担う特殊な術方なのだ。
その上、彼らの語源は地上のどの言葉とも非なる為、実際のヴィジャボードより多くの文字が必要とされる。
 光の民、言霊の精霊、という所以は此処からきていた。

本来なら壁や天井にもびっしりと貼り付けたい処なのだが、今回はその支度が間に合わない。
用意したこの中に、彼らの言語と同じ韻が含まれていれば良いのだが…。
自慢の銀髪を指に絡め、無意識に指輪の石を撫でる。
ヴィヴィアンは一つしかない扉を見やった。
アースは飛び出したきり戻らない。
作品名:LOVE FOOL・前編 作家名:弥彦 亨