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LOVE FOOL・前編

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怪訝に声を上げ、名を呼ぶアースの元に再び駆け戻ってきた彼の手には数量の結晶が握られていた。

「これで数分伸びるだろ?」

 バアルの欠片を調理場にあった空瓶に入れると、更に水を注ぐ。
意地悪く笑った顔で塩水を振るヴィヴィアンを眺め、初めてアースは身を曲げ噴き出した。

「全く、お前という人間は…」
「うん?正直に俺を褒め称えても良いんだぞ?まあ、今更言われなくても知っているけどな」

 何が起こっているのか解らず、二人を救世主か何かの様な眼差しで見つめる人々の中で
自信家の魔術師は胸を張って見せる。
アースは唇を緩ませ瞳を細めると、褒めろとばかりに見返すヴィヴィアンの肩に手を乗せた。

「悪知恵だけは良く働く」

「な…何だと!?」
 顔色を変え詰め寄るヴィヴィアンと、しれっと涼しく顔を背けるアースとのやり取りに、人々が失っていた笑いが漏れ始めた。

一時の休息。


 粉々に砕けた粒子は船のいたる箇所から呼び集められた黒に溶け、バアルの居た場所には大きな淀んだ水溜りが渦を巻いていた。
どろりとした水面は冷たく泡立ち、中から浮かんだ赤い爪が宙を掻く。
 表情も言葉もそこからはまだ生まれてはいなかったが、硬いタイルの床に引っ掻き傷を深く残す仕草が何よりも凶暴に語る。

それほど彼は怒りに満ちていた。
「時間が惜しい。端的に説明する」

 一呼吸置き、アースは自然と自分を囲む様に集まる人々をぐるりと見渡した。
恐怖に突き動かされながら、腕を奮っていたシェフやギャルソン、ウェイトレス。
中に、友人、恋人を殺された者もいるのだろう、共に戦う意思を見せ何人かの若者が一歩前へ進み出た。

「これで奴の標的は俺達二人に絞られた。
お前達が船から逃げても追いはしない、己の命を優先しろ。この船は間もなく墜ちる」

 腕を失った肩に手を乗せ、彼はその申し出を肯定も否定もせず淡々と言葉を続ける。

同じ悪魔である彼が何故人間の味方をするのか知る由も無かったが、やんわりと受け流す
態度に俯き、彼らは理解を示した様だった。
 どれほど勇敢であろうとも人の身では足手まといにしかならない。
 最終宣告とも云えるアースの台詞に人々はざわめくが、それも一瞬。

 直ぐに冷静さを取り戻し、覚悟を決めた面持ちで悪魔と魔術師の二人を交互に見返す。
彼らが乗客では無く、従業員だという事も幸運であった。
 ヴィヴィアンやアースよりも機内の構造を把握しているだろうし、非常事態の脱出方法も心得ている。
 あとは勝手に逃げてくれれば良い。


 召喚者の要求の従いバアルは世界を壊すつもりなのだ。

 この船を感染源として他国に落とし、そこから世界中に蔓延させる。
最悪な事に、西国からの飛行船となれば国同士の諍いも避けられない。
世界中の人間が三分の一しか生き残らないと云う、その一節だけは真実だった

「お前、そんな事まで解るのか?」
 一度不思議に思った事は尋ねずにはいられないのか、人の輪から離れ、厨房の壁に身を預けていた魔術師が即座に湧いた疑問を口にする。

「ああ、直接『交渉』を持てばもっと奥まで解るのだが。人前だし、相手がバアルだしな」
「うえー…なんか…想像してしまった」

 流石は色欲を司る悪魔。

 濁してはいるものの意味する光景ありありと脳裏に浮かび、不快げに掌を振って頭から追い払う。
自業自得ともいえるヴィヴィアンの苦悩ぶりに、アースは一層冷ややかな視線を注ぐ。

「過ぎる好奇心は罪悪だ」


 「それにしても…」と、魔術師は腕を組み、尖った顎に指を当てた。

 召喚者ニーナ。

 ヴィヴィアンが鉱山の町で出会った魔物の娘。
ただの人喰いだと思っていた彼女にそんな大それた企みがあったとは。
よほど深い怨嗟を抱えていたのか。

(魔方陣を見たあの時点で防いでいれば…!)

 預けていた背中を剥がし、ふらりと部屋を出たヴィヴィアンは廊下の冷えた空気を吸い込みそんな事を考えていた。
 左右のどちらを振り返っても磨き上げられた通路の上に大勢の乗客が積み重なっている。
にも関わらず、床を叩く自分の靴音だけが遠くまで良く響くのは、誰一人息をしていないからだ。

 いつもなら周囲にかき消される時計の秒針ですら、早鐘の様に耳に残る。
戦う準備とはいえ、離れ、害敵の状況が監視出来ない事と、窺いながら神経を擦り減らすのとではどちらが効率的だろうか。
 この偉大な魔術師に人並みの正義感すら皆無だが、このままでは誰一人助からないという事だけは理解していた。

「指輪…」

 乳白色の照明に掌を翳し、拳を作ると指輪に意識を集中させ額に当てた。
各指輪に施されている宝石は彼が出会った精霊の魂だと、生成した錬金術師は云っていた。
 ならばと、ヴィヴィアンは瞼を閉じる。

「誰でも良い。出て来い…!」
 ユグドラシルが現れた光景を思い出し、渾身の力を込め前方に突き出すも石は陽の光に美しく反射するばかり。

 9つの精霊は何も応えてはくれない。
 高慢を擬人化した様な彼が生まれて初めて抱く自責と、無意識に歪む彼の麗貌を彼女達は寡黙に、ただ微笑に似た輝きを放ち、愛おしげに映していた。


「行くぞ、ヴァルツ」

 扉にもたれ頭上を仰ぐ魔術師の背中ごと、人とは思えない力で押し開く。
ドアの向こうでは、脱出用の非常通路に向かい足早に駆け出す人々の後ろ姿が見えた。

 流れの最後尾からこちらを心配そうに振り返るウェイトレスを視界の隅に留めながら、
勢いに負け、前方によろめく細身を支えヴィヴィアンは何事も無かったかの様に手を背後に隠す。
 不自然な仕草にアースの眉が動いたが、それ以上の追及はなかった。

「どこに?」
「どこでも良い。船の中で最も文字の多い場所だ、『光の民』を召喚する」

「成程、言語による遮断。それならバアルも……ってお前がか!?」

 最も有効な退魔術の選択に一度は相槌を返したものの、あまりの無茶ぶりに思わず声を上げた。
 術の展開方法こそ知ってはいたがヴィヴィアンですら躊躇う特殊な属性は生粋の『聖義』と云う。
 地上に存在しない要素の彼らはとても気難しい。
まして悪魔が退魔者の召喚を行うなんて聞いた事が無い。
「リスクは承知の上だ」
「…。」

 ラウンジ、書庫、娯楽室。

 二人は脱出しているだろう生存者とは逆の通路を進み、書物の詰まった本棚を探す。
途中、目に付く本を抱えながら、バアルの一片が入った瓶をコートのポケットに突っ込むヴィヴィアンをアースはこれまで以上に暗い双眸で振り返った。

「…ヴィヴィアンヴァルツ、お前なら隠していても直ぐに気がつくだろうから言っておく。
これは「お前という人間」にしか頼めない、最初で最後の頼みだ」

「…?」
 何だろうか?

 突然改まったアースの言葉端に違和感を覚え、眉根を寄せる。
頼みという割には半ば脅迫めいた態度にヴィヴィアンは承諾する他無かった。
++

―もぞり。

 機内のうちひときわ豪華な客室が並ぶ寝台フロアの片隅で、重なり合う人々を脇に押しやり
小さな生き物が動いた。
呼吸は荒く、速まっていたが苦悶の為では無い。
作品名:LOVE FOOL・前編 作家名:弥彦 亨