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LOVE FOOL・前編

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真横にぴたりと速度を合わせ並ぶ巨大な船体は幽霊船の様に閑散と二人を誘う。
 結果を解っていたかの様に周到なバアルの仕業に瞳を細め、アースは靴底を鳴らす。
誰一人、ヴィヴィアンを救おうなんて人間は居ない。
 そう思っていた。

「待って!悪魔だか何だか知らないけど、私の客は誰一人死なせない。

許さないよ、今の聞いたでしょう?
こんな馬鹿で無力な人間を生贄にして助かろうなんて、それでも人間なの!?」

「ルージュ…」 
 
 鋭く怒鳴る声はこれまでと少しも変わらない。
気丈な操縦士の怒声だった。

「誰が馬鹿で無力だ、操縦士!」
「あんたの事よっ!」

 眼は見えなくとも、自身の船内構造は熟知している。
 割れたフロントガラスの枠に手を添え、尚も声を張り上げた。
ごほごほと黒い唾液を撒き散らしながら、此方に身を乗り出す。

 彼女をじっと見つめていたアースが、初めて見せた淡い微笑みを浮かべ一歩、後ずさった。
一歩ずつ後退しデルタフライヤーの奥で、相変わらず瞳一杯の涙を浮かばせて見つめるブリジットに黒く溶け淀んだ片手を上げて見せた。

「……ああ、そうだ。俺は人間ではないからな」
「!?」

 言い終えると、アースの腕が肩からぼとりと機体に落ちる。
そこから流れ出るのは生命の証、深紅色の血液では無かった。


 空洞の躰から、砂の様な灰塵がさらさらと流れ出るばかり。
口元を両手で覆って蒼白に色を失う友人から、同じく声も出ないヴィヴィアンに視線を落とした。

「客船が離れたらもう大丈夫だ。
交渉してルージュの腐蝕を留めて貰うから、イエソドで治癒を」


「アースは!?」

「ブリジット。今まで…騙していて、すまなかった」

 幾つもの意味を込めて。
そう言って見せた微笑を最後に、彼はくるりと背を向ける。

「待って!」

 ブリジットの呼び声にも振り返る事は無い。

彼の後ろ姿を呆然と見送る事しか出来なかった。
 ペトロアの空港に停まっていた姿は大きく、煌びやかで、多くの乗客で賑わっていた壮大な船は、今やひと回り小さく萎んだ様に見えた。
 飛行中にも関わらず、外から抉じ開けられた扉に残る荒々しい三本の爪跡は人では無い物の所業を示す。
美しく塗装された宮殿の様な外観は、纏わりつく漆黒の鳩の止まり木に変わり果て、割れた窓から人々の呻きと濁った水滴が零れていた。

 搭乗口に脚を踏み入れ、ヴィヴィアンとアースは変わり果てた機内を用心深く見渡す。
割れた窓の隙間から吹き込む音は、さながら廃墟に荒ぶ風塵と変わらない。

 指定席のドアを開けるのももどかしく、逃げだそうと半身を乗り出した人々が折り重なる様に通路を塞ぎ、息絶えていた。

「汚らわしい大食漢め…」

 ブリジットの物言いたげな訴えかける視線から逃げ去る様、先陣を切って更なる奥へと進んでいたアースは延々と広がる惨状に重苦しい溜息を吐く。
 何処かで助けを求める微かな声が聞こえていたが、下敷きになっていては救えない。
感染した遺骸を除けてやることも出来ないのだ。

「道理で冷静だった訳だ。自分も悪魔なら少なくとも殺される心配はないからな」

「そう思うか?」
 掴まれた腕を振り払い、ヴィヴィアンはコートの塵を大袈裟に払った。
風に煽られて乱れた髪をしきりに気にしながら、高圧的な態度でアースを皮肉り、顔を背ける。


 血の通わない躰。
灰塵の詰まった空虚な器は悪魔である証。
精霊、魔獣とも違う。
世界を見下ろす高みに生まれながら、地底深くに身を落し天を羨む、廃棄された存在なのだ。
 最もこれはアース個人の意見であり、自身を満喫しているバアルやプライドばかり高い他の悪魔達とはいつも話が合わないのだが。
 失った片腕に痛みは通っていないらしく、いつもの無表情を湛えアースは壁の避難経路を記した案内図に目を留めていた。
 諸悪の根源、バアル=ゼブルが居る事は明白だが、何処に居るのかが解らなければ闇雲に時間を費やすだけだ。

 その間ルージュの命は尽きてしまう。
ブルジットも、どこまで独りで居られるだろうか…。
そもそもバアルが本当にヴィヴィアン以外を見逃すかも怪しい。

 浮かんでは打ち消す思考を巡らせルージュの感染が通話越しであった事を思い返した。

「無線機のある場所…操縦室か…」
 それなら通路を真っ直ぐ進んだ果てにある。
指先で現在地から最短の道を辿り、独りごちるとアースは傍らの魔術師を再び摘み、脚を速めた。
(…今になって「実は悪魔でした」なんて言われてもな…)

 人の感情を汲み取る術が疎いヴィヴィアンには、何の弁解も説明も無い彼の胸中が量れない。


 不信と苛立ちが増すばかりで、共同戦線を築こうと云う発想すら浮かぶ事は無かった。

(どうして、こんな時に…!)
 魔術師は幾度となく繰り返した言葉を吐く。
よりによって魔術が使えなくなった「今」を見計らって次々と襲い来るやっかい事は
誰の差し金だろうか。

 身なりを第一に気にかけ、どこかに鏡が無いかと辺りを見回す。
前ばかり見ていたヴィヴィアンは、通りかかった客室フロアの伸びた白い腕に躓いた。

「う…っ!」

 その隙間を覗き込み、喉から悲鳴にも満たない声を発す。
蒼白に顔色を落とした口元を押さえ、思わず俯いたまま後退すると足元に倒れていた一人の女性と目が合った。
 自動扉は彼女の躰を障害物とみなし、力無く開閉を繰り返している。
 濁った瞳孔に生気は感じられない。
黒く腐敗した四肢を扉の方へと差し伸べ、白く淀んだ瞳で空を見たまま時が止まっていた。


「操縦室か…」
「?」
 いつになく神妙に眉を歪める彼の顔を一瞥し、アースは再び闇に染まった前方を睨む。
長い連絡通路の端に貼られた案内地図に指を這わせながら、足元に蹲るヴィヴィアンを掴むと再びずるずると引き摺り始めた。

「!?…離せ、よ!俺は生贄になんかならな…」

 子供の様に体重を掛け座り込むが、悪魔の腕力に軽々と躰が動く。
これだけの惨状を目の当たりにして、尚自分一人が被害者の様な物言いにとうとう声を荒げた。
「これは全てお前が招いた結果だ!
軽弾みに悪魔を呼び出しておいて、何の代償も払わずに済むと思っていたのか!?」

「…。」
 上着の胸座を引き寄せられ、床からつま先が浮いたヴィヴィアンは初めて見るアースの剣幕に声を呑む。
そして彼の言い分が正論だとも解っていた。
しかし、我が身が可愛いのは人が生まれ持った本能だ。
 殉教する気には到底成れない。

 云い返す言葉は浮かばないが、せめてもと顔を苦悶に歪める。
実の処、ヴィヴィアンは悪魔召喚の事実を忘れていた訳ではない。
 心当たりが有り過ぎて特定出来ないのだ。

それほど彼は幼い時分から才能に溢れていた。


自ら呼び出した悪魔を利用し、退治してしまうほど。
「覚えてもいないか…。お前にとってはその程度の、力を誇示したいが為の馬鹿で安易な行いで、
訳も解らず殺されてゆく人間を心の底から同情する」

「…っ!」
 腕に食い込むほどの、尋常ではない握力に悲鳴混じりの声を上げるヴィヴィアンに、は…とアースは手を緩めた。
作品名:LOVE FOOL・前編 作家名:弥彦 亨