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LOVE FOOL・前編

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 彼女の腕と船は旅行用途を省き、何よりもスピードを優先したのだろう。
それなのに、とブリジットは反抗的にヴィヴィアンを見た。
 珍しく自分に意見しようと口を開く友人を冷ややかに眺め、語尾を強調し言葉を重ねた。

「何だよ、間違った事言ったか?」
「ううん。そうじゃないけど…」
(だったら自分で空間移動したら良いのに)

 威圧的に聞き返され、ブリジットはそれ以上言い返せず俯く。
本心では彼への不満を募らせていたが、訴える事は一度として無い。

 従順で献身的な「友人」。それが彼の一番近くに居られる条件なのだ。
 益々椅子の上で小さく膝を抱えるブリジットに見かねたアースが、今度は後部座席に身を倒す。
気弱な青年を庇う様に半身を乗り出し、胸中で呟いていた気持ちを代弁した。

「文句があるなら自分でさっさと帰れば良いだろう。天才魔術師が何を出し惜しんでいる?」
「た…たまには、優雅に空の旅を堪能したかったんだよ!」

「なら、黙って空でも見ていろ。ブリジットに構うな」

 唐突に始まった二人の言い争いにブリジットは慌てて間に入るが、アースは健気な肢体を抱き抱え助手席に乗せてしまう。
 前席に3人は窮屈であったが、アースは元の表情を失った顔でブリジットを膝に乗せた。
彼も居心地の悪い顔で大人しく収まる。
後部座席に一人取り残されたヴィヴィアンは3人の背中に目を丸くし、それから不機嫌に口をへの字に曲げ天上のコックを捻った。

「それが出来るならとっくにしてる…」

 密かに漏れる呟きは強風にさらわれ、誰の耳にも届かない。
今まで他人に助けを求めた事など無い人生を歩んできたのだ。
今更、「魔法が使えなくなった」などと言える筈がないではないか。
 魔術師は美しくカーブを描く地平線を力の抜けた眼差しで見やる。

 自分自身でさえ飛ばされかねない高度の風は、慣れてくると街の汚れた空気よりもよく冷えて心地よい。
 こんな美しい景色は見た事が無かった。
世界の広さに感嘆する。
いや、世界はもっと広いのだろう。

 はためく銀色の髪を抑え、太陽の眩しさに顔を背けると誰も居ない筈のヴィヴィアンのすぐ後ろから耳打ちする声が聞こえた。


『探 し た ぜ 、ベ イ ビー !』

 まるで地の底から自分を呼ぶ様な、それでいて甲高く、ノイズの混じった不快な声音。
吹きかける吐息すら感じ、耳に残って離れない。
ヴィヴィアンは自身を抱き、身震いをしながら再び船内に降りた。

 さっきと同様、閑散とした狭い機内にぽつりと腰を下ろし、冷たく背を向ける無愛想な青年に向かって訊ねる。
「…アース、今、俺をベイビーって呼んだ?」
「とうとう気でも違ったか?」
 呼ぶわけないだろう、と冷静に返されれば、声の質が違いすぎるとヴィヴィアンも頷いた。

 言霊の悪戯だろうか?




「ねえ、どういう経緯であんな奴と付き合ってるの?」
 真剣な眼差しでデルタフライヤーを操縦し、ルジーは前方を見据えブリジットに肘を突いた。
彼女の悪戯っぽい微笑は、ヴィヴィアンに対する嫌悪ではなく好奇心。
 
傍から見れば、美麗、美丈夫、可愛らしい、均整のとれた三人。
しかし御世辞にも仲の良いとは言えない乗客に興味を持ったのだ。
彼女は良い人だ。

 それにもう二度と会う事はないだろう。
ブリジットはちらりと一度、後ろに視線を流しそれから深いため息を吐く。
 これまで誰にも打ち明けた事の無い本心をルジーにゆっくりと聞かせた。

「それは…。ビビは僕の…ううん、皆の憧れだからビビに好かれていないと、
僕の事なんか誰も相手にしてくれない。
優秀であれば何をしても許される、イエソドって街はそういう処なんだ」

 硬く手を握り、胸に押し当てる。

 これまで誰にも話せなかった本音を声に出せた事が、気持ちをほんの少し軽くさせた。

「性格が悪くても、ビビの才能は本物。凄く尊敬してる」
「何それ。そんな生き方して楽しい?」
「…。」

 ルジーの率直な問いかけにブリジットは即答出来なかった。

 ビビは友人。大切な人。

 けれどそれは自分が大事だから、そう思いこんでいただけなのかもしれない。

(違う、違う!)
 溢れ出た葛藤が恐ろしい自分を暴く様で青ざめた顔を振った。
ルジーはそんな青年の肩を叩く。
「ごめん、嫌な事聞いて」
「いえ…そんな事は…」
 ブリジットが見上げると快活な笑顔が注がれていた。
「でもアースは好きです」
「それは見てれば判る」

 思い出した様に自分を抱えるもう一方の友人の胸に背中を傾け微笑むと、にやりとした笑いがルジーから返される。

 そして彼女はアースも、ブリジットに対して友情以上の物を抱いていると感じていた。
女にしか持ち得ない勘というやつだろうか。

(良いよね〜青春っ)

 一人にやにやと意味ありげに口元を緩ませ、男物のシャツから煙草を取り出す。
舵から右手を添えたまま器用に一本を咥え、彼女は思わず唇から火の着いていないそれを落とした。

「!?」

 目の前を覆うほどの黒い群れが、こちらに一直線に向かって来る。

 その異様な姿はルジーだけでは無い。
ブリジットやアースの目にも映っていた。

「何あれ…鴉?」

 漆黒の翼を羽ばたかせ、まるで意思があるかの様にそれはどこからともなく現れ、陣形を乱すこと無くデルタフライヤー目掛けて突っ込んでくるのだ。
 相手とこちらのスピードでは衝突は目に見えている。

「くっ…!邪魔、しないでくれるかな!?」

 ルジーは大きく機体を旋回し、群れから逃れるが端を飛ぶ一羽がフロントガラスに突進し、前方は丸く円を描いてひび割れた。

 歪に潰れた鳥の残骸は窓に張り付き、濁った瞳で船内を覗き込む。
動物の眼差しとは思えない、殺意の籠った視線にブリジットの悲鳴が上がった。
「おい!操縦士、どうなってる!?」

 突然の激しい揺れと外を取り巻く断続的な物音に、内心の動揺を押し隠したヴィヴィアンが後方から声を荒げた。
 助手席に重なる頭数のおかげか、船全体を取り巻く環境にはまだ気が付いてはいないが、ただ事ではない悲鳴に不安が募る。

 何の能力も発動出来ない自分を最も歯がゆく思っていたのは誰よりもヴィヴィアン本人で、
ニーナの様に襲われるのも厭だが、見知った者に助けを乞われるのも今はもっと遠慮したかった。
 彼らは自力で何一つ成そうとはせず、すぐに他人の力を当てにするのだ。

「どうなっているかなんて、こっちが知りたいくらいよ!」
 魔術師の問いを切迫した口調で怒鳴り返し、ルジーは懸命に汗で滑る掌で舵を回す。
どんな乗客、悪天候をも乗り越えてきたが、こんな非常事態は初めてだった。

 白い亀裂を走らせた窓ガラスは風圧と重みに負け、ひしひしと深い線を描く。
このままでは割れて奴らが機内に雪崩込むのも時間の問題だろう。
 零れ落ちるガラスの破片を被りながら、最悪を想定し唇を白くなるほど噛みしめた。



 外を叩く物音は一向に止む気配がない、群れが通り過ぎる気配は無かった。
 むしろ、留まっている。
作品名:LOVE FOOL・前編 作家名:弥彦 亨