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LOVE FOOL・前編

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 スイートルームのベランダから腕を組み、二人はけらけらと嗤う。
帰る方向が違う為、ヴィヴィアンほど我儘な注文をしなかった為。
 彼女達は客船で世界を半周し、近い街で降りる様だった。

「う…煩いっ!」

 言い返すヴィヴィアンと魔女の二人はまるで子供の喧嘩。
 道路を挟み外聞もなく争う美男美女は恋人同士の様に傍からは見える。
面白い見世物だと集まり出す通行人におろおろと狼狽えるブリジットの頭をふわりと撫で、アースはヴィヴィアンの襟首を摘み、強制的に連行した。
 搭乗口に着くと船の大きさと装甲は更に雑然としている。
隣の巨大な飛行船の影になり、色もどこか貧相だった。
手描きの「デルタ・フライヤー」と云う船の名前も胡散臭い。

 入口は開け放たれていた。

 乗り込んで良いものか迷っていると、機体の中から精悍な女性が顔を出した。

「あんた達が今日のお客?
早く乗って!隣の肥満船とは違っていつでも飛べるわ」
「それは有難い」

「操縦士が女!?ちゃんと飛ぶんだろうな?」

「私の恋人は完璧よ。見てくれだけのあんたとは違ってね」
 ヴィヴィアンの皮肉にも動じない。

 豪快に笑い飛ばすと、彼女は三人を中に招いた。
 船内は思っていた以上に窮屈な構造であった。
椅子と言えば運転席、助手席を除き向かい合わせの四席のみ。
ベッドなんてものはおろか、身を傾けるスペースさえも無い。
全く用途の解らない精密機械はかなり使い込まれた様子で計器の文字が薄く擦り減り、霞んでいる。
びっしりと鉄の埋め込まれた壁の圧迫感に、早くも息苦しさを感じ、ヴィヴィアンは襟元を緩めた。

 外を眺めるには操縦席のフロントガラスか天上のコックの二か所しか見当たらず、水素の詰まった流動系の機体に挟まれ顔を覗かせれば動力の轟音に耳を塞ぐ。
 酷く狭く、空気も悪いし、何より鉄臭い。

「…。」

 颯爽と乗り込み、嬉々として操縦桿を握るパイロットの後姿を苦渋の表情で眺め、ヴィヴィアンはいち早く出入り口の座席で脚を組んだ。
 限られた通路スペースを占領し、後者がつかえる事など気にもとめない。
苛々とつま先を揺らしながら不機嫌に碧空を見つめる友人の横顔に曖昧な笑顔を向け、ブリジットは正面の椅子に上がり膝を抱えた。
 アースといえば相変わらずの無表情で助手席に腰を下ろし、起きているのか眠っているのかすら解らない。
彫像めいた面差しを寂しげに曇らせ、どこか遠くを見ている。
 注がれた視線に気づいていないのか、それとも操縦士の監視役を担うつもりなのか。
一度も振り返らない後頭部から、そういえばとブリジットは座席からこちらに身を乗り出した。
 細い首を傾ければ腰ほどの長い三つ編みが胸元に流れ、膝に留まる。
ヴィヴィアンと並ぶせいで希薄な印象の、自身の持てない伏し目がちな眼差しが愛らしく天才魔術師を見上げ訊ねた。

「ホテルに居たの、ティターニアでしょ?…昔より随分派手な格好だけど笑い方変わってない。
ビビが彼女と二人で出掛けるほど仲が良いなんて知らなかったよ」

 てっきり一人だと思っていたのだが…。
不味い場面に遭遇したかと、窺う様にたどたどしく言葉を紡ぐ。
 ホテルで密会なんて、余程の仲だと何かを深く勘違いしている友人に、ヴィヴィアンは大袈裟に腕を広げ感嘆して見せた。

「あんな毒キノコみたいな女、誰が!妙な逆恨みで酷い目にあった処だ!」

 心外だと言わんばかりにしなやかな脚を組み替え、背を反らす。
そしてブリジットの口から零れた名前にしばし間を開け、うん?と眉を顰めた。

「ティターニア?お前の知り合いか?」

「毒キノコって…知り合いと云えばまあそうだけど。覚えてない?
イエソドに視察で来た王子が彼女に求婚してさ、シンデレラガールだって凄い騒がれたんだよ?
最終的には…ビビが横取りしたあげく派手にフってたけど」

「…ふーん…覚えてないな」

 指先で額を数回ノックし、真摯に記憶を遡るが思い当たる処は無いらしい。
天才魔術師は掌をぱたぱたと振り、それから顎を乗せた。

「ビビらしい!」

 確かに、それは恨んで当然かもしれないな、とうそぶくヴィヴィアンにブリジットはくすくすと両手で口元を覆って笑う。


「飛ぶよー!」

 他愛ない会話の途中、割って入る駆け声を合図に身体がふわりと浮きあがる。
重力を無視した不安定な空気の流れに二人は同時に背筋を飛びあがらせた。
激しく揺すぶられる強い振動を感じブリジットは短く悲鳴を上げ手すりにしがみつく。
飛行船はもっとふんわりとした動きではなかっただろうか?

 瞳を瞬き、怖々操縦席を振り返ると、操縦士の女は椅子の背もたれに腕をまわし悪びれる風もなく手を振っていた。
不安の色を顔一面に浮かべ、彼は前席のアースと彼女の間で落ち着きなくそわそわと身を捩る。
 ヴィヴィアンに至っては声も出ない様相だ。

「ブリジット、大丈夫だ」

 それまで寡黙な青年が名を呼び、ブリジットは深く息を吸い込む。
アースに強く断言されると不思議と恐怖は薄れ、心音が正常に整う。

「お…お願いします、操縦士さん」
「止めてよ、私はルージュ。ルジーでいいよ」
「あ…はい。済みません」

 些細な事にすら簡単に頭を下げる青年に、ルジーと名乗った女は眉を寄せる。
不甲斐ない乗客2人に呆れた眼差しで一瞥を投げ、それから正面を厳しく見据えた。
自分の肩幅よりも広い舵を全体重で抑え込み、おもむろに引き上げれば船頭が空に傾く。

「そりゃあ他の飛行船よりは揺れるけど、慣れれば速くて快適さ」
 フロントガラスから広がる視界が高度を増せば、街の建物は眼下に沈み、青い空は雲を掴むほど間近に迫る。
 ブリジットの口から無邪気な歓声が上がった。

 気球に乗った事もあるが、それとは比較にならないほど力強く、ルジーの船は天空を駆る。
ピンで荒く纏めた彼女のトウモロコシ色の髪が太陽を浴びて艶を帯び、薄茶色の瞳は
夕日の様に赤く輝いていた。
同じ空港の客船がみるみる小さく遠ざかり、デルタフライヤーは颯爽と青海へ舞い上がった。

「飛行船ってもっとゆっくりした乗り物かと思ってました」
「普通はね、でもこの子には特別なエンジンが付いている。空を飛ぶんじゃない、走るのさ」
「凄い、凄い!」
 運転席と助手席の間に顔を出すブリジットは、瞳を輝かせ手を叩いてはしゃぐ。
イエソドの研究生である彼が街外に出る事は滅多に無いのだ。
 数日後には「光」属性の防御試験が控えている。
 8度目の試験。
この短い旅が気分転換になればいいけれど…。

「その特別なエンジンで、今日中に街まで着けるのか?」
 すっかり打ち解けた3人の円滑な会話に、ヴィヴィアンの苛立った言葉が場を壊す。
皮肉と嘲りを含んだ口調に、ルジーの眼差しが仄かに凍てついた。

「…。それは…早くても明夜までになるけれど」
「じゃあ、他と一緒だ。狭くて汚い分、性質が悪い」
「ビビ…」
ヴィヴィアンヴァルツほどの魔術師なら空間を繋いで一瞬だろうが「イエソド」には陸路で5日、空路では最短でも3日は掛かる。
それが一夜で着くのは素晴らしく速い。
作品名:LOVE FOOL・前編 作家名:弥彦 亨