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LOVE FOOL・前編

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第2環


 コットンの様な白を滲ませた淡い水色の空にどこからともなく花の香りが漂う。
ピンク色の花弁がふわりふわりと風に翻弄され、なだらかな丘陵に連なる草原へと消えた。
 商業、工業にも栄えている筈のこの街が、どこか暗い影を拭えずにいるのは外観故だろうか。
中心部を丸く仕切った壁の向こうには、今はもう何に使われていたのか解らない研究施設が廃墟と化し残されている。
過去に犯した罪の戒めに半壊した軍用基地がそのままの形で晒された街。
それらを慈しみ、全て受容するかの様にその丘はあった。 『スレイヴ・クルス』の丘。

 頂きから見下ろす4つに別れた居住区が、まるで十字の烙印だと。
聖痕だと云う信仰深い人々が後を絶たない。
風に煽られる眩い金髪を抑え、紫陽花色の双眸を湛えた若い神父が礼拝堂へ向かう途中で
脚を留めた。

 眼差しを伏せ、太陽の許に掌を伸ばせば羽根の様な軽やかさで一枚の花弁が舞い降りる。
彼は愛おしげに穏やかな微笑みを注ぎ、やがてピンク色の華を再び空へと逃がした。

 元々この街の住民は信仰心が薄く、教会への関心も皆無であった。
先代亡き後、彼は丘の忘れさられた教会を孤児院と兼ね、埋め尽くす無数の墓守をも担い、やがて年月がスレイヴ・クルスを巡礼の聖地へと知らしめた。

 聖母マリアか聖女ジャンヌ。
類稀な美貌を持つ、この青年神父を人々はそう称賛する。
 彼はぼんやりと天に昇る花弁を見上げていたが、かの花が丘に咲く品種ではない事に気が付くと、はた、と聖職者らしからぬ俊敏さで踵を返した。

 来た道を戻り、墓標の間を器用にすり抜ける胸に呼吸の乱れはない。
 丘の傾斜を下れば、そこは息をむほど多くの人々が眠る墓地。

 それぞれが不規則な方向を向く墓石の中、片翼の天使像が注ぐ眼差しを受けながら、
ひと際控え目にひと際質素な墓には早過ぎた死を迎えた「彼」の妹が眠っている。

 神父がたどり着くと案の定、彼は両腕から零れるほどの大輪の花束を捧げ、祈りの最中であった。
地面に片膝を落とす青年に彼は聖職者である真摯な表情を砕く。
 友人に見せる屈託無い笑顔と名を呼ぶ、優しくも凛々しさのある声に顔を上げ、彼の姿を認めると深く頭を垂れた。

「これから窺おうと思っていたのですが…。
しばらく留守にするので、クロエを宜しくお願い致します」

 赤みのあるブラウンの髪をサイドから編み上げ、琥珀色の瞳を揺らす。
揺れる片側だけの青いイヤリングはクロエと揃いの品だ。

 旅支度の軽装であるにも関わらず右腕のガントレットだけは外さない。
 クロエの双子の兄。

 彼は三年間さる王国に仕える約束で騎士の称号を手に入れた。
騎士はどこの国へも入国が許される。
騎士の身元は称号を与えた国が全て保証するからだ。
青年が念願の「入国許可証」を手にし、王国を離れる理由は一つだけ。
 近い年齢のせいか、墓地に来る傍ら何かと会話する事が多かった神父は彼を友人として案じ、聖職者としても憂いていた。

「では…この三年間は貴方にとって何の癒しにもならなかったのですね」

―彼女は復讐を望んではいない。
 云いかけたありきたりな台詞を呑み込み、首を振った。

 彼女は復讐など決して望まない、けれどこれは「彼」の望みなのだ。
彼の心が囚われている。
それはかつて自分にも覚えがある感情だった。
だからこそ…。

 美しい表情が悲しく翳るのを認め、騎士は困った様に口許を薄く緩める。
「ならば、御往きなさい」

「え…」

「貴方が敵とする存在を世界の果てまでも追いかけ、戦いなさい」

 彼は聖職者。
 当然引き留められるものと思っていた彼は、思いがけない神父の助言に瞳を瞬いた。
黄金色の髪を耳にかけながら、彼は真っ直ぐに此方を見つめ続ける。

「但しその果てに在る物が深い闇と絶望しか残らないとしても。
どうか忘れないで、貴方は決して一人ではないという事を。

どんな時も望むと望まざるに関わらず人は誰かと関わり合って生きている。
独りだと嘆く事こそ高慢な考えです」

 孤独を赦されるのは創造主たる神だけ。

貴方ごときに「孤独」な瞬間は一秒たりとも有りはしない。
人は皆、誰かの支えであり、支えられて生きているー。

 それだけを一度に告げると、胸に手を当てひと呼吸置く。
首から下がる物々しいロザリオが白銀に輝いた。

 彼はいつも厳しくもあり、慈愛に満ちている。
聡明で美しい顔から眩しそうに瞳を逸らし、素の片拳を強く握りしめた。
「…っ。」
 思い詰めた彼の台詞は偶然にも教会からの鐘の音で掻き消されてしまった。
朝の礼拝が始まる合図に振り返ると、孤児院の子供達が数人で彼を探しているのが見えた。

―戻らなければ。
 何かを言いかけたであろう青年を神父は怪訝な表情で促す。
もう一度繰り返す言葉を待ったが、改めて言う事でもないと首を振る。

「…行ってくれ。俺も、もう発たなくては」
 告白の機会を逃し、力が抜けたと深い溜息を吐く。
 皮肉っぽい笑みを浮かべ、花束の代りに置いた剣を手に持ち、立ち上がった。

「では貴方が長い旅から戻られたら。
その時こそ、土産話と一緒に窺います」
 
 彼は一度教会に足を向けたが、振り返り騎士の身体を抱きしめた。
「っ!」
 俊敏で唐突な動きはイメージしていた聖職者従来のゆったりとした動作をいつも一蹴する。
神父は悪戯っぽく微笑むと、滑らかに彼が手にしていた剣を抜いた。

「簡易的ではありますが、貴方に福音を。
この丘に眠る英雄達の遺志が貴方の魂と共に有ります様。
騎士アストライアにどうか御加護を」

 そして身を退く間もなく、片腕で器用に1回転させ首筋にひたりと当てた。
「…神にではなく?」
「大切な人の命を見た事も無い神様に託すなんて、そんな無責任な事は出来ません」
 唇に手を当て、こっそりと打ち明ける。
「貴方ときたら相変わらず…」

「何ですか?」
 くつくつと顔を伏せ、笑う彼に涼しく尋ねた。
彼は聖職者でありながら、常人では太刀打ち出来ぬほどに強い剣士でもあるのだ。

 二人を見つけた子供たちの声が大きく近づく。
 穏やかな空の下と、美しい光景。
風に微睡む教会の鐘が旅立つ彼の背中にゆっくりと響いた。
昨夜までの貧相な光景とは裏腹に、朝の目覚めは彼の機嫌を損なう事無く優雅に始まった。
 程よく開けられた窓から刺し込む陽の光が室内の壁紙に溶けて滲み、純白のカーテンから覗く蒼穹はどこまでも高く、心地よい。
とはいえ、表の景色にも心配と好奇の面差しで部屋の前を行き来する人々にも興味が無いが。
 街の要とも云える飛行船の空港を一望出来る、とびきり豪華な客室と洗練されたメイド達の仕事っぷりは青年をいたく満足させていた。

 ヴィヴィアン達が慣れない岩山を下り、ようやく辿り着いた街は首都『ペトロア』。
西の王国『マノン』の領土で鉄の都、空の港と称される。
 入国するのは初めてだったが、ボロボロの姿で辿り着いた三人は公僕の取り成しで手厚い保護を受ける事が出来た。

 …彼らは人食いの存在を知っていたのだろうか。
訳も聞かずただ深く頭を下げ、街で最も値の張る宿と船を提供する対処にふとそんな疑念が沸く。
作品名:LOVE FOOL・前編 作家名:弥彦 亨