僕の好きな彼女
――ああ、なんだ、そうなのか。
哀れんでくれと彼女は言った。
それが彼女にとって出来る精一杯の報酬だからと。
でもぼくにはそんなつもりはさらさらない。
僕はただ単に、全く単純に――彼女のことを好きになりかけている。
ならば、と僕は彼女から出来るだけ自然な感じで、さっと目をそらした。
怪物にはまだ彼女の存在を気取られる訳にはいかない。
「どうするんだ」
と怪物が僕に向けて声をかけた。
それは想像していたよりも低い声で、魂を揺さぶるような重さがこっそりと忍ばされていた。
僕はその『声』という音の波に揺さぶられながらも、自分を他者化するように俯瞰して倒れないよう支えてみた。
「ついて来て下さい」
と、僕はそいつに告げた。
そして背中を向け、歩き出した。
その一瞬、怪物の動きを封じる鎖をイメージしながら自分の携帯電話の画面を眺めて見せて、バックライトが点灯したままそれを上着の右ポケットに差し込んだ。
いつでもこいつを鳴らすことが出来るんだぞ、と印象づけるためだ。
歩き出した僕の背後で、革靴がコトンと音を立てた。
それが怪物の足音だと僕にはすぐに分かった。
僕の歩くすぐ後ろに、人殺しの怪物がいる。
彼女曰くこいつは分かっているだけでも5人をその手にかけている可能性がある。
そう言えば彼女と出会った日に、駅前の電光掲示板が夕方のローカルニュースで『通り魔殺人』のことに触れていた。
もしかしたらあのときに流れていた被害者の名前は彼女のものだったのかも知れない。
粉というよりももう少しだけ大きな雪の粒が降りしきる中、夜の闇と雪の白が混じる視界の先、20メートルほどのところに小さな制服の背中が見えた。
それは彼女の背中だ。
僕は彼女に従い、彼女に導かれて、その求めに応じるためにこそ、怪物を背中に引きつけ路地裏へと向かう。
怖くないはずがない。
幽霊に導かれて、殺人鬼を背後に、人気のない行き止まりへと向かう。
不安な想像は僕の背筋を必要以上に寒くした。
しかし、結局僕が背後から刺されることはなかった。