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海野ごはん
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オールド・ラブ・ソング

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「ちかえと次郎」




昭和四十五年ごろ   海辺の温泉街


40歳の次郎は海産物の行商で日本全国を回っていた。ちかえの住む温泉街にやって来るのは、毎年、ちかえの地元でしか獲れない珍しい海産物が陸揚げされる春だけだった。そして3週間の滞在を終えると次の別の産地へと移動する。次郎はそういう商売を何年も続けていた。

ちかえは25歳になった時、次郎と出会った。この温泉街に生まれ、ずっと町を出ることなく旅館の下働きをして暮らしていたちかえは器量がそれほどいいわけでない。取り柄といえばへこたれない明るさだった。
次郎はちかえの若さと素朴さを好きになり、ちかえは早くに男親をなくしていた為か、包み込んでくれる大人の男、次郎に魅かれた。
年齢差はあるが、肉体関係を伴う恋仲になるのに時間はかからなかった。
ちかえは次郎のことを「ジロちゃん」と呼んだ。
毎年、春のシーズン3週間の間だけ、いつもちかえは「ジロちゃん、ジロちゃん」と言って甘えられるのだった。

海そばの温泉街の入り口に桜並木のトンネルがある。毎年3月になるとちかえは毎日、その並木道の向こうから現れるであろう次郎を今か今かと待った。ちかえにとっては待ちに待った男だ。毎年桜がほころぶトンネルから恋しい男が登場すると、1年の切なさも寂しさも綺麗に忘れることが出来た。次郎とのひとときの逢瀬だけがちかえの青春の生きがいだった。

そして漁期が終わり桜が散る頃、次郎は次の漁場を求めてまた大きな荷物と共に温泉街を去っていくのだが、ちかえは、それでも不憫とは思わなかった。また一年を過ごし次郎を待ち続けるのがちかえ自身の人生だと思っていたのだ。

いくつかの季節が過ぎ、そういう関係を何年間か続けると、二人は長い航海を余儀なくされる遠洋漁業に携わる夫婦のような感じだった。
数年後、羽振りのよかった次郎は1年に3週間しか帰らない男を待ってくれるちかえの為にと、温泉街のお客をあてに商売できる当時の田舎では立派なバーをちかえにプレゼントした。旅館の下働きでなく、ちゃんとした女主人だ。店の名前は「ジロー」とつけた。

昭和の後半50年代になると、時代も変わり温泉街の外れたところに高速道路が出来、やがて取り残された海辺の古い温泉街は閑古鳥が鳴くようになって来た。交通の便が悪いというだけで、忙しい世の中の観光客は手っ取り早く車で行ける観光地に目を向け始めたのだ。昔の賑わいもなくなり古いバーとともに歳をとっていくちかえの姿がそこにあった。
それでも次郎にとっては売れる海産物の出荷地だったから、毎年、しばらく同じように通い続けていた。古いバーを守り抜きながら細々と暮らすちかえは、長い航海を終えた次郎の帰りつく港のような所だった。次郎も1年の中で一番安堵のある3週間を過ごせる場所であったのは間違いなかった。

ちかえが自ら町を出ることはなかった。
次郎の行く先から届く時々の手紙と、帰宅した次郎との逢瀬だけが楽しみだった。そしていつ帰って来てもいいように次郎の服や枕はいつもきちんとしていた。次郎のいない夏も秋も冬も。まるで、毎日住んでるかのように整えていた。
疑いのない愛を抱え、ちかえは季節をやり過ごした。幾度も。何回も。

やがて年月が過ぎる。