からっ風と、繭の郷の子守唄 第66話~70話
小さな商店街を抜けると、水田が広がってくる。
東部浅草線の大田駅から、隣接する足利市へまっすぐに伸びる県道を、
さらに10分ほど走る。
前方の右手に、落葉樹に覆われた丘陵が見えてくる。
そこが康平が目指している次の目的地、東日本で最大級の前方後円墳、
『太田天神山古墳』だ。
墳丘と呼ばれる人造の山は、長さ210メートル。高さ、17メートル。
周囲に広がっている水田は、丘を造る際に掘り取った濠(ほり)の名残だ。
5世紀前半頃に造られたものだが、住宅に取り囲まれたまま、
今だに原型をとどめている。
3世紀の中頃から、6世紀末まで古墳時代がつづいた。
太田市の周辺には、東国有数の古墳群がある。
出土品には一級品が多い。朝鮮半島からもたらされた物も見られる。
この地が、古代史における東国の中心であったことを物語っている。
太田天神山古墳は、そうした代表のひとつだ。
平面の形は、ヤマト政権中枢の古市古墳群(大阪府羽曳野市・他)で
考案された形を、忠実に採用している
棺(ひつぎ)は、6枚の加工石を組み合わせた、長持形石棺が用いられている。
こうした棺はヤマトの大王のほか、有力者のみに許されたものと言われている。
中央から石工が派遣され、製作された棺とみられている。
スクーターを停めた康平が、『歩くよ』と千尋を振り返る。
『え!』と驚いている千尋を尻目に、康平がスタスタと歩き出し、
雑木林の隙間に見えている細い散策の道を指さす。
麓から見上げると17mは、まるで丘のように見える。
『突然もの凄い高さが・・・いきなり、意識が遠のきます。
大丈夫かしら。わたしの足で登れるかしら・・・そんな気がする光景です』
ヘルメットを脱ぎながら、千尋がため息を洩らす。
「遠くから眺めるだけかと思ったら、小道が有って、古墳の上を歩けるなんて
聞いたことがありません。間違ってバチが当たらないかしら」
「大丈夫さ。管理している太田市の教育委員会も認めている、散策の小道だ。
おいで、ほら。途中まで手をひいてあげるから」
康平が後円部の登り口で、千尋へ手を差しだす。
素直に頷いた千尋が差し出された手を、しっかり握り返す。
1500年あまりの風雨に耐え、原形が崩れないまま保たれてきたのは、
巨大さゆえと言われている。
後円部を墳頂近くまで登っていくと、表土が雨に洗い流されている。
そのために葺石(ふきいし)が、露出しはじめる。
葺石は主に墳墓の遺骸埋葬施設や、墳丘を覆うために使われた。
斜面に河原石や礫石(れきいし)などを積み、貼りつけたものが葺石だ。
再現されたものではなく、積まれたときの形で残っている。
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 第66話~70話 作家名:落合順平