からっ風と、繭の郷の子守唄 第61話~65話
「さきほどの話しの続きを聞かせてください。
田島邸とは異なり、こちらは屋根の上には、やぐらが3つ載っています。
それにしても大きいようです。
田島邸から比べて、ひとまわり以上も大きく見えます」
「4月下旬になると、それまで使っていた南側の1番日当たりの良い部屋を
カイコに明け渡すそうです。
本格的な蚕の季節になると、ほとんどの部屋が蚕室として使われます。
年寄りは離れで暮らしますが、ほかの家の者は『おろし』という
下屋の1部屋に移って生活します。
家自体が蚕を飼育するための工場にかわります。
当時の農家は現金収入の大半を、養蚕に頼ってきました」
「これだけ大きな建物が、カイコの仕事を支えてきたのですねぇ。
それにしても大きな母屋です。
私の田舎に有る農家の、3倍から4倍はあります」
「蚕種を取るための、原蚕飼育は特に難しい。
技術によって、当たりと外れが発生する。
当たりを目指して、家族全員が協力するのは当然のことです。
昭和10年代の頃。ここには桑園の手入れをする
3人から4人の番頭さんがいました。
臨時雇いの人たちを含めると、20人ぐらいが働いていたそうです。
大正時代の半ば、鉄板と鉄製の棒で補強しているそうです。
大工さんは、雨さえ漏らなければこの先、まだ100年は大丈夫だろうと
太鼓判を押したそうです」
「丈夫に出来ているのですねぇ。群馬の養蚕農家は・・・」
「自然に任せる養蚕の飼育法「清涼育」を書いた田島弥平氏を
生んだ土地です。
やぐらは、蚕室の通気を良くするために設けられたものです。
島村地区には、やぐらを設けた養蚕農家70棟がいまでも残っています。
しかし後継者がいなくなったり、老朽化のため、急激に姿を
消しはじめています。
屋根を改修する際、やぐらを撤去する農家もあるようです。
こちらは、3つ有るやぐらを、あえてそのまま残したそうです。
2つはいまでも、内部から開け閉めできるそうです。
絶対に必要だったやぐらも、今の生活には必要ありません。
やぐらを取ってしまったら、島村の養蚕農家ではなくなってしまいます。
『生きている間は、このままの形で残しておきたい』と、
ほとんどの人が思っているのです。
その想いの中に、島村で生まれた人たちの誇りがにじんでいます」
「私も、その通りだと思います。
建物の維持管理は大変だと思います。
でもかけがえのない、文化遺産です。
100年以上の歳月を超えて、生き残ってきた建物たちです。
すべてを残して欲しいとは言いませんが、主だったものだけでも、
未来の子供たちに残してあげたいと思います。
シルクの織物が何世紀も生き続けるように、繭や蚕を育て上げてきた
この建物たちも、同じように未来へ残してあげたいと思います。
でもそれには膨大な費用がかかります。おおくの人手も必要です。
文化や伝統を守り抜くためには、多くの人々の献身的な努力を必要とします。
がんばれ、島村。がんばれ千尋って。
そんな声が私には、どこからか、聞こえて来るような気がします。
よかったです、やっぱり・・・・
あなたと、此処へ来ることができて」
前方に、目隠しのような生垣が現れてきた。
日本建築や日本の庭づくりに、なくてはならない機能を果たしてきたのが
生垣という垣根の存在だ。
防風や防火。隣家や通行人からの目隠し。
景観をつくり、庭の中の仕切りなどの役割を果たしてきた生垣が、
やぐらのある建物の、1階部分を隠しはじめた。
生垣に植えられたサザンカは、秋から冬へかけて、可愛い花を咲かせる。
サンゴジュは大型に育つ生垣で、葉の色と赤い実が、長いあいだ楽しめる。
生垣に囲まれて、周囲からの視界が消えたとき。
それまで抱きしめていた康平の右手へ、千尋が全身を傾ける。
それを受け止めた康平が、応えるように、そっと千尋の肩へ手を回す。
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 第61話~65話 作家名:落合順平