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からっ風と、繭の郷の子守唄 第61話~65話

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 意表を突かれたために、千尋の目が思わず丸い点に変わる。
そんな千尋を見つめて『驚くにあたりません』と、奥さんが目を細める。


 「私の母も含めて、節のある赤城の糸を紡いでいるのは、
 もう、おそらく10人前後でしょう。
 昔ながらの道具を用いて、手引きされている座繰りの糸。
 かつては日本全国のどこの養蚕農家でも、見られたそうです。
 時代とともに衰退して、今では、赤城の山麓に僅かに
 残るだけと聞いています。
 糸の様子を見ながら人の手で無理なく糸を引き出すため、
 糸自体が傷まずに、光沢を損なわない出来上がりになると言われています。
 空気を含くんだ、ふんわりとした弾力があります。
 引く人のそれぞれの個性を表すような、表情豊かな糸が生まれてくると、
 母がいつも語っておりました」

 「節の有る赤城の糸は、わたしも大好きです!」

 父がいまだに養蚕を続けているのも、母がつむいでいく糸に
 愛着を感じているせいかもしれません。
 父も母も70年以上、蚕と繭一筋に生きてきました。
 京都から糸を引く女の子がやって来たという話は、赤城では有名です。
 興味や趣味ではなく、生業として取り組もうというのですから、
 糸をひく女たちから見れば、女神の降臨にも近い出来事でしょう。
 あなたが戸口から土間を覗いたときに、ピンときました。
 2階の蚕室をお見せした時の真剣な表情に、間違いないと確信しました。
 私は、島村遺跡のボランティアガイドのひとりです。
 ただし、お蚕などの経験は一切ありません。
 耳学問だけで、にわかガイドをしています」

 「今日、こちらへ伺ってよかったと思います。
 素晴らしい遺跡だけでなく、歴史を残す人たちにも出会えたのですから」

 「わたしも、あなたに会えてうれしいわ。
 あなたは、5感で感じて糸を紡ぐのですか。
 いい表現だと思います。実際にその通りだと思います。
 私の母も、いつも楽しそうに糸を紡いでいました。
 カラカラと回っていた糸車の音は、わたしの子守唄のようです。
 途絶えると思われていた伝統が、こうして引き継がれることも有るのですね。
 まさに奇跡に近い出来事です。
 島村の、やぐらを持つ養蚕農家も同じことです。
 未来に残したいものを、地道にバトンタッチをしていく・・・・
 そのことに、島村に生きる私たちの使命があります。
 あなたに会えて発奮しました。
 もう少し私も、真面目にガイドの勉強をしようと思います。
 あなたと会えてよかった。今日はわざわざ、ありがとうございます。
 あら、あちらも、長いバイク談義が終えたようです。
 旦那様かしら? 用が済んだから次へ行くぞと、あなたを
 呼んでいる様子です。
 ふふふ・・・まったく男の人は、常に、自分勝手で短気です。
 また遊びに来て下さいな。ふたたび会える日を楽しみにしております」

 奥さんが丁寧に見送る。
にこやかに頭を下げた千尋が、母屋から表へ出ます。
初夏の燦々とした日差しのした、屋根の本瓦が、まぶしく光る。
康平が門の外に立っている。
除草用の道具を手にしたご当主と、残りの会話を楽しんでいる。

 島村の養蚕農家は、優良な蚕種を何世代にもわたって育て上げてきた。
しかし。やぐらを持った建物たちは、その役割をすでに終えている。
『あら、まだ午前10時を過ぎたばかりです!』
腕時計を覗き込んだ千尋が、あまりにもゆっくりとすすんでいる時間に、
すこしばかり、戸惑いを感じている。