からっ風と、繭の郷の子守唄 第61話~65話
「光栄です。
こちらで蚕種を作っていた方から話を聞けるなんて、滅多にないことです。
ガイドをお願いします。教えてください、昔のことを色々と」
「ほう。旦那の方が聞き分けが良い。
じぁ、わしの屋敷へ案内するから、、ぼちぼちと話をすすめていこう。
悪かったのう。仲の良いところへ邪魔をして」
老人から見えないところで、千尋がペロッと長い舌を出す。
「こら。」と叱る康平へ、「うふっ」と千尋が、甘えたようにまた腕を取る。
「私たち、今日は、新婚旅行の途中です。うふふ」と千尋が言えば、
「今時の新婚旅行と言うものは、スクータであちこちを巡るのか。
わしらのころは、汽車で、熱海へ行くというのが定番じゃった。
分からんもんだのう。今時の若い者たちのすることは・・・
さて、屋根の上に、やぐらが2つ乗っているが母屋が見えてきたであろう。
あれがわしの屋敷だ」
案内されたのは、黒塗りの大きな門がそびえ、見事に手入れされた
日本庭園が屋敷内に広がっている建物だ。
庭は、かつておおいに流行した和風庭園風の造りそのものだ。
池を中心に築山がそびえている。三波石の庭石が随所に配置されている。
ところどこに、石の灯篭まで置いてある。
「富と財力の象徴として、和風の庭を造ることが大流行しました。
それにしても、実によく手入れが行き届いています。
たいしたものです。管理の行き届いた庭を見るのは、久しぶりです」
「その歳で庭がわかるとは、たいしたもんじゃ。
金にまかせて日本庭園を作ってはみたものの、時とともに樹木は大きく育つ。
あちこちで、雑草などが生えてくる。
毎日、草むしりと、木の手入れに追われる羽目になる。
だがな、このような繁栄をもたらしてくれたのは、親父たちの力じゃ。
親父たちの蚕種の技術は、誇れるものだった。
確かな技術と誇りがこの島村の地に、確かに定着しておった」
観光ガイドの老人は、名前を渋沢と名乗った。
父親である栄吉氏の仕事を受け継ぎ、稚蚕飼育専門で暮らしてきた農家だ。
委託された蚕種を、2眠まで育てる。
養蚕技術の中で、もっとも難しいといわれているのが稚蚕だ。
蚕が眠りに入る時機をぴったりと合わせる。
そのうえ、蚕を丈夫に育てなければならない。
稚蚕の発育が悪ければ、出荷した養蚕農家に多大な影響を与える。
それだけに、仕事は常に慎重にかつ丁寧におこなう。
稚蚕の仕事を始める前は、家の中を全てきれいに磨き上げる。
きわめて清潔な状態で作業にかかる。
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 第61話~65話 作家名:落合順平