ノブ・・第2部
時間は8時を過ぎていたが、まだまだ蒸し暑かったから、御茶ノ水の駅に着いた頃にはもう汗だくだった。
焼き鳥屋には、真由美が先に来ていた。
「お待たせ!早かったんだね・・」
「ううん、私も今、来たとこ」
「お腹、空いてる?」
「ううん、さっきジローでご飯食べちゃったからさ」
「そっか・・私、まだなんだ」
「じゃ、適当に頼むね?!」
真由美は、中生二つと、枝豆に焼き鳥の盛り合わせを頼んだ。
「1ヶ月振り位かな?ここ」
「そうね、先月末だったもんね、来たの・・」
お待たせしました〜!と、中生が運ばれてきて、ボクらは乾杯した。
「ふ〜、美味しい!」
「来る途中の坂道でさ、もう・・・汗かいちゃったからね、美味しいよ!」
「うん、美味しい。夏はビールだよね!」
真由美は、そう言ってニコニコとジョッキを抱えてボクを見た。
少し、ドギマギした・・・。
真由美のシャツのボタンが、かなり開いているみたいに見えて。
下を向いて、運ばれてきた枝豆を黙って口に入れてるボクを見つめて、真由美は言った。
「どんな子?」
「え?」
「彼女よ、キョウコさんだっけ?」
「うん、でも」
「聞きたいな・・」
悪戯っ子みたいな顔で下からボクを覗きこむ、真由美。
そうするコトによって、ボクはますます胸の谷間が眩しくて仕方なかった。
ボクはわざと視線を逸らせて、言った。
「2コ上なんだ」
「小さいけど、良く食べて良く飲む子だよ」
ふ〜ん・・・と真由美は枝豆を口に放りこんで、また聞いた。
「美人?」
「分かんないよ、そんなの・・」
「なんで?可愛いんでしょ?顔に書いてあるよ」
「ノブさん、嬉しそうだもんね」
「可愛いか可愛くないかって、オレ良く分からないんだよ」
「ただ、性格は個性的だけどね」
「どんな風に?」
「なんだよ、聞いてばっかだな・・」
「だって・・気になるじゃん?!」と真由美は、ジョッキをグ〜っと傾けた。
「ピッチ速くない?」
「いいの、今日は飲みたいんだから」
真由美は、ボクをじっと見つめて、ジョッキを一気に空けた。
「すみませ〜ん!」
「ウーロンハイお願〜い!」
はい、少々お待ちを・・とカウンターの向こうから店員さんが答えた。
「もう、焼酎?」
「だって、ビールばっかりじゃお腹一杯になっちゃうじゃん?!」
「そりゃそうだけど」ボクは汗をかいたジョッキを抱えて、少し心配になって真由美を見つめた。
「なに〜?大丈夫よ」
「もう前の時みたいに、取り乱したりしないから」
真由美は、心持俯き加減で言った。
「初めて繋がった電話で、嫌々だったんだろうけど・・出て来てくれたノブさんを困らせる訳には、いかないからさ!」
「嫌々なんて、そんな・・」
「ううん、いいの」
「嫌々でも出て来てくれたんだから、嬉しいの」
ゴメンね、無理言ってと真由美は、真面目な顔でボクを見つめた。
「この間も、そうだったよね」
「ノブさんの返事、聞く間も無しに・・・だったもんね!」
「うん、そう言えばそうだったな」ボクは笑った。
「真由美さんて、結構強引なんだよな!」
「やだ〜!強引なんじゃなくてね、きっと」
「思い立ったらすぐ!の女なのよ、私」真由美は、そう言って笑った。
「それでも来てくれて、有難う・・ノブさん」
お待たせ・・・とウーロンハイがテーブルに運ばれてきた。
続いて焼き鳥も来た。
ボクらは、つまみをつついて静かに飲んだ。
暫くして真由美が言った。
「ノブさん、キョウコさんって、どこに住んでるの?」
「同じ学部の学生さん?」
「恭子は今、九州に帰ってるよ。学部は同じ・・同級生」
「そうなんだ、ドクターの卵なんだ」
すごいね・・と真由美は下を向いた。
そして小さな声で呟いた。
「私なんかとじゃ、月とスッポンだね・・」
「え?月と・・なんだって?」
良く聞き取れなかったボクは、もう一度聞いた。
「月と?なに?」
「月とスッポンって言ったの!」
「きっと本物のお嬢さんなんだろうね、彼女」
「アハハ!お嬢さんだって?彼女が?」ボクは爆笑してしまった。
ボクの思いもかけない大笑いに、真由美は驚いて顔を上げて聞いた。
「え?違うの?だって・・お嬢さんなんでしょ?」
あはは・・ボクは笑うのを止めて言った。
「恭子は、育ちとか環境だけを見たら確かにお嬢さんだね」
「でも、結構自由に生きてるみたいだから・・」
「世間で言われる様な、典型的なお嬢さんじゃないよ」
「そうなの?」
「じゃ・・・どんな子なの?」
真由美は、医学部に行くような子は、みんなお坊ちゃんかお嬢さんで世間知らずなイメージだ・・と言った。
「う〜ん、ある意味オレよりも世間を知ってるし」
「勿論、年上ってコトもあるだろうけどね」
人生経験は、豊富なんじゃないかな?とボクは言った。
「そうなんだ、意外・・」
「そうか?じゃ、オレもおぼっちゃんなの?」
「ノブさんはね・・・別」
「どこが?オレだって医学生だよ?」
「ノブさんはね、少し違って見えたんだ」
真由美は、ウーロンハイを飲みながら続けた。
「初めて見た時は、暗い人に見えた」
「段々、話す様になったらそんな事ないって分かったけど」
「でも、普通はさ、新入生ってチャラチャラしてるもんなんだよね、特に医大生は」
「そうなの?」
うん、何か気取ってて、お鼻がこう・・高い感じ?と真由美は上を向いて、フンっという顔をして見せた。
「そうかな、オレの周りには、あんまりいないよ?そんなヤツ」
って言っても、オレの交友範囲って凄く狭いんだけどね・・とボクは笑った。
「とにかくね、ノブさんは違ったの、雰囲気が」
真由美は、ジっとボクの目を見て真面目な顔で言った。
「その訳は、前に飲んだ時に分かったから」
「・・・・」
ボクは、曖昧に微笑むコトしか出来なかった。
「もう忘れたの?恵子さん・・」
来るだろうとは思ってた・・この質問。
「忘れた訳じゃないさ、勿論」
「でもね、恵子のコトは、そのままでいいって恭子は言ってくれたから」
ボクは思わず、下を向いてしまった。
「ゴメン、いじわるで聞いたんじゃないの・・でも、ごめんなさい」
真由美は、ペコっと頭を下げた。
「いいよ、謝らなくて」
「恭子の前でも、酔っ払って泣いちゃったしね」
恵子・・って名前を呼びながら寝入ってしまったコトをボクは話した。
「そんな事があったんだ・・」
「うん、初めて日本酒をね、しこたま飲んでさ、酔っ払っちゃって」
「泣きながら名前を呼んでたんだって」
ボクは苦笑いしながら、ジョッキを空けた。
「次、何にする?」
「日本酒は止めとくよ」
また乱れちゃっても困るし・・・とボクは言って同じ中生を頼んだ。
「のに・・」
「え?なに?」
酔っていいのにって言ったの・・と真由美は笑いながら言った。
「いいじゃない、酔ってさ、言いたい事言って泣きたかったら・・」
泣いていいんだからと。
ボクは、何て答えたらいいのか分からずに、煙草を取り出して火を着けた。
ボクはセブンスターを深く吸い込んで、ゆっくり吐いた。
「一本、貰ってもいい?」
「うん、真由美さんも吸うの?」