ノブ・・第2部
さゆりさんは思いっきり舌を差し込んできて、ボクの舌を探して絡み付けた。
長いキスの後、さゆりさんはボクの頭をかき抱いて、言った。
「あ〜、ノブさん」
「嬉しいです」
「ギュっとして下さい」
「うん」
ボクらは、車の中で固く抱き合った。
開け放った窓から、夏の風が入ってきて、合わせた頬が汗ばんでいた。
暫く抱き合ったボクらは、お互いにどちらからともなく離れた。
さゆりさんは黙って車を走らせた。
ボクも無言だった、何かを言えば壊れてしまうそうだった。
程なく車は駅に着いた。
「じゃ帰るね。本当にお世話になっちゃって、有難う」
「・・いいえ」
「私、ここで・・」
「うん」ボクはドアを開けて、駅に向かって歩き出した。
数メートル行った時「ノブさん!」とさゆりさんが、叫んだ。
振り返ったボクの腕を、走ってきたさゆりさんが抱えた。
「お手紙、書いてもいいですか?」
「うん」
「私、わたし・・」
さゆりさんはそれだけ言って、下を向いて後ずさりした。
「じゃ、お気を付けて、また」
「うん、またね・・」
今度はボクが、さゆりさんの車を見送った。
車が旅館の角を曲がって見えなくなって、ボクは駅に入り切符を買った。
丁度、5分後の電車があったから、ボクはホームに行き一服した。
煙草に火を点けてふと目を上げると、駅前のロータリーにさゆりさんが立っていた。
ボクは手を振り、さゆりさんは頷いた。
ボクらは見つめあったまま・・もう声の届かなくなった距離を感じていたのかもしれない。
電車が入って来て、ボクとさゆりさんの間に割り込んだ。
ボクは乗り込んで窓際に座り、さゆりさんに声を出さずに言った。
「ア・リ・ガ・ト」
さゆりさんの口が「スキ・・」と言った様に見えた。
ボクが頷くと、ベルが鳴り電車は発車した。
そしてあっという間に恵子とさゆりさんの街は後ろに遠ざかり、ボクは目を閉じた。
「オレって・・」
そうこうしているうちに電車は福島駅に到着し、ボクは上野行きの特急に乗り換えた。
時間がお昼近かったから、車内では弁当を広げる人が多かったが、ボクは食欲が湧かないまま電車の揺れに身を任せて眠った。
「長らくのご乗車お疲れ様でした・・・間もなく終点の上野、上野です・・」
一本調子の車内アナウンスで、ボクは目を覚ました。
結局、ボクはずっと眠っていたんだろう、起きた時、首がやけに痛かった。
「しまった、寝違えたかな」
首をコキコキ鳴らしながら、ボクは特急を降りた。
ホームに降り立ったボクは、湿気タップリの暑い空気で東京に帰って来た事を実感した。
手紙
上野駅から山手線で秋葉原まで行き、そこで総武線に乗り換えてボクは御茶ノ水に帰ってきた。
日は大分傾いてはいたが、まだまだ暑かった。
ボクは明大前の坂を下りながら、もう汗だくになっていた。
「このまま、帰るか・・」
ボクは、さっきまでのさゆりさんとの時間を引きずっていたのか、この街を歩いてる自分が浮いている様な・・妙な気分だった。
アパートの玄関を開けると、ドアの内側に一通の速達が落ちていた。
「恭子・・」
閉め切っていたアパートの部屋の窓を開け放ち空気を入れ替えて、速達の封を切るより前にシャワーを浴びた。
なぜ、すぐに開封する事を躊躇ったのだろう・・・。
ボクは後ろめたかったのかもしれない。
シャワーを終えて着替えて、やっとクーラーが効きだした部屋の寝台の上で、封を切った。
中からはまた、丁寧に折りたたまれた分厚い便箋が出てきた。
そこには、夏休みで従妹が遊びに来てくれて少し居心地が改善された・・等の日常の変化が、面白おかしく日記風に書かれていた。
だがまだ、ボクの返信が着く前に書かれたんだろう・・京都旅行についてのコメントは無かった。
ただ、ユミさんとの話しが決まって、アリバイ工作に協力してくれる確約を取ったという事と、彼らもそろそろ京都を引き上げるらしい事が書いてあった。
「そうか、あいつ等も・・・」
ボクは手紙を読みながら、おばちゃんちでの楽しい日々を思い出した。
飲んで泣いて、笑って遊んで・・少しだけ働いて。
「いい経験だったな、ほんとに・・」
ボクは読み終えてから寝台にゴロっとして、天井を眺めて恭子に話しかけた。
しかし便箋を仕舞って目を閉じると、何故かさゆりさんの顔が浮かんできた。
こうして自由に遊べるボクらと、宿命という言葉を遣わなければやりきれない程の重荷を、一気に背負ってしまったさゆりという女性。
「オレ、どっちが好きなんだ?」
「オレが会いたいのは・・・」
ボクの自問には、勿論答えなんて無かった。
ボクは、起き上って机の引き出しから銀のオルゴールを取りだして、ネジを巻いた。
赤い糸の伝説のリフレインが繰り返し流れて、そしてゆっくり止まった。
「恵子、オレどうしたらいい?」
オルゴールはもう、沈黙したままだった。
ボクは天井を見つめながらそのまま眠ってしまったらしい。
「ん?」気付いた時には、この部屋には珍しくクーラーがビンビンに効いてて寝台の上でパンツとシャツで寝ていたボクは、くしゃみを連発した。
「こんなに涼しくなるんだ、コイツでも・・・」
ボクは起きだして、暗くなった部屋を横切って「ご苦労さん」とクーラーのスイッチを切った。
窓の外はもう、とっぷりと暮れていて、時間は8時になるところだった。
部屋の電気を点けたボクは、煙草に火を点けて深く吸った。
「腹減ったな・・」
考えてみれば、今日の食事はさゆりさんの旅館で食べた朝ごはんだけだったから、空腹なのも当然だった。
「悩んでも腹は減る・・」
ボクは自嘲しながら、Tシャツを着替えて短パンをはいて外に出た。
すずらん通りを共立講堂の方に歩いて、ボクは角の中華料理屋に入った。
「いらっしゃいませ〜!」明るい声で迎えてくれた店の中は程々に混んでいたから、ボクはカウンターに座った。
「ご注文は?」
まだ品書きも見てないのに、ボクは苦笑しながら「ちょっと待ってね?!」と伝票を構えて、傍に立ちはだかったショートカットの女の子に言った。
「はい」
女の子は意外にあっさりと引き下がった。
店の壁には、所せましと黄色い品書きの短冊が下がっていて、どれもが安かった。
「へ〜、色々あるんだな」
「決まりました?」
いつの間にかボクの隣には、さっきの子がまた伝票を捧げて立っていた。
どうあっても、早く決めなければいけないらしい・・・。
「うんと・・お勧めはなに?」
「叉焼麺と餃子と炒飯・・」
「・・あと、広東麺も美味しい」
女の子はぶっきら棒に言ったが、正直そうな子だったのでボクは信じる事にした。
「じゃ、叉焼麺と餃子と炒飯と、ビール。」
「瓶?生?」
「んじゃ生で!」
「チャーシューメン、ギョーザ、チャーハン、生一丁〜!」
女の子はありったけの声で厨房に向かって一気に叫んで、ボクの前に水色の伝票を置いて行った。
「元気いいな・・」
ボクが一服しようと煙草を咥えたら、また音も無くさっきの女の子が灰皿を赤いカウンターに置いてくれた。
「有難う・・」