ノブ・・第2部
「ノブさんの心臓、ドキンドキンいってます」
「うん、生きてるから」
「はい、さゆりも・・です」
ボクはさゆりさんを引きよせて、キスをした。
そして頭を抱きしめて言った。
「・・・有難う」
「オレ、一人だったら墓参りの後、どうなってたか」
「あの滝行ってさ、何かキラキラしてて・・何もかも」
「さゆりも、そう・・生き生きしてた」
「ノブさんが、そうしてくれたんですよ、私を」
私も色んな事に煮詰まってたんですね、きっと・・とさゆりさんは言った。
「ノブさんが現れて、解き放ってくれたんだと思います」
さゆりさんは、夏の庭を見ながら続けた。
「中絶の事や親の事、この旅館のこれから・・」
「私、帰って来てからずっと、一杯いっぱいだったのかもしれません」
「結構、大変なんですよ、旅館の経営って・・」
「そうなんだ」
「はい、有名な観光地ならまた、話しは別なんでしょうけど・・」
ボクは正直、経営なんて考えた経験は無かったから、黙るしかなかった。
「ごめんなさいね、こんな事、ノブさんには関係無いですよね」
「ううん、オレ、良く分かんないけど・・さゆりは、どう思ってるの?ここ・・」
「私は、出来る事なら続けていきたい・・とは思ってます、この旅館を。」
「でも私1人じゃ、どう頑張ったって力不足な気がして・・」
「・・母親は実は、父が倒れてから、もう閉めようかしら・・なんて言い出してるんです」
「・・そうなんだ」
「どうしたらいいのかって、この頃、よく考えるんです」
「うん・・」
ボクはこの時、自分がいかにガキなのかを自覚した。
何だかんだ言っても、親がかりで大学に行かせて貰って、おまけに好きな事までさせて貰っている自分と、大学卒業を待たずに退学して家業を継がなければならなかったさゆりさんと・・。
「何か、恥ずかしいよ、オレ・・」
「なんでですか?ノブさん」
「オレ、さゆりの苦労、知りたくてもゴメン、分からないんだ・・」
「結局、まだまだガキなんだね」
「あ、そんな風に思わないで下さい、ノブさん」
「そんな積もりで言ったんじゃないんです、愚痴です、ただの」
さゆりさんは起き上って言った。
「私こそごめんなさい。言わなくてもいい事、言っちゃって」
「私が言いたかったのは・・そんな感じで煮詰まってたのをノブさんが楽にしてくれた・・って事なんですから!」
そうなの?とボクは聞いた。
「そうなんです、女としても・・自信を無くしてたんです、私」
「でも、ノブさん、魅力的って言ってくれて可愛がってくれて・・」
「夕べもさっきも、私・・これが本当の自分なのかもって思えました」
「・・思い出すだけでも、体の芯が・・疼くんです」
「ひと時忘れられましたもん、嫌な事全部!」
心からなのだろうか、さゆりさんは笑顔で言ってくれた。
ボクも少し、救われた気がした。
十六夜
「さ、ノブさん・・そろそろ、私行きますね!」
「ノブさんも、お部屋で待ってて貰えますか?」
「うん、だけど部屋はそのままなの?」
「はい、気に入りませんでしたか?」
「ううん、逆!オレには分不相応だよ、あんな立派なお部屋」
「ノブさん、ここではノブさんは私の恋人・・って事になってるんですから、まさか一間の安いお部屋って訳にもいかないでしょ?!」
「そう・・なの?」
はい、そうなんです・・また、あのお部屋に、お夕食お持ちしますから、それまで休んでて下さいね・・とさゆりさんは笑ってボクの手を引いて起こした。
母屋から旅館までは、思ったよりも広い中庭沿いの廊下をグルっと廻って行く様な造りになっていた。
中庭には池があり、また苔むした灯篭があり・・と、歴史を感じさせる造りだった。
「凄い庭だね・・」
「はい、大昔に小堀遠州のお弟子さん?とか言う人が造ったって言われてます」
「小堀遠州?!凄いじゃん!」
「でも、一節によると、小堀遠州は大名ですから弟子は取らなかったとか、小堀遠州作の偽物も沢山あるらしくて・・」
「本物かどうかって、専門家に調査して貰わないと分からないんですって!」
「それに時代が合わないんですよ・・」
「時代?」
「はい、ここの開業は明治の初めですから・・・どうしたって、江戸時代の小堀遠州のお弟子さんって、ありえませんよね。」
ほんと、いい加減なんだから・・とさゆりさんは笑って言った。
「でも、楽しいじゃん?そういう・・・ほんとなのか嘘なのか?」
「どっちだっていいけど、もしかしたら・・みたいなのってさ」
オレ、好きだな、そういうの・・とボクも笑った。
廊下が一段高くなって、さゆりさんが言った。
「ここから向こうが宿です・・」
ボクの部屋は、角を曲がってすぐだった。
「さ、着きましたよ、お殿様」
「うむ、苦しゅうない!」
ボクらはバカをやりながら、部屋に入った。
さゆりさんは「では、お夕食は7時半でよろしいですか?」
「うん、待ってるよ」
「はい、ではまた、後ほど・・」
あ、ノブさん・・今夜は十六夜ですよ・・と言って、さゆりさんは可愛いキスをして出て行った。
「ん?いざよいって、何だ?」ボクは意味が分からずにポカンとしてしまった。
「いざよい、イザヨイ?何のこっちゃ・・」
「よさこいの親戚か?」
ま、いいや・・とボクはジーンズを脱いでTシャツとトランクスになって、畳にゴロっと横になった。
そして、座布団を枕に天井を見上げた。
窓の外からは、斜めに幾分和らいだ日差しが差し込んでいた。
「昨日も、こうしてたんだな、オレ」
思えばたった一日で、随分色んなコトを知った気がした。
恵子の最期も、さゆりさんの事情も・・・。
「最期に言葉を交わしたんだ、さゆりさん・・・」
そんなコトを考えながら、ボクはウトウトした。
考えてみれば昨夜からの行動で疲れない訳はなかったからね。
明日もう一度墓参りして・・・と考えながら、ボクは眠りに落ちた。
「ノブさん・・」
「んん?」
「風邪、引いちゃいますよ?お腹出してたら」
ボクは寝ぼけ眼で声の主を見た。
そこには、キリっとした・・和服姿も凛々しいさゆりさんがいた。
どうやらボクは、寝ながら暑くてシャツを脱いだらしい。
気付いたらトランクス一丁で、畳の上に寝ていた。
「・・ハ、ハクショ〜ン!」ボクは盛大にくしゃみをして、完全に目が覚めた。
「はい、これを着て下さいね。」
「うん・・・」
さゆりさんが浴衣を着せてくれた。
「今、何時?」
「そろそろ、お食事の時間ですよ。」
ってコトは・・7時を過ぎてるんだ・・・。
「う〜ん、良く寝ちゃったんだな・・オレ」
「じゃノブさん、夕食を準備しますので・・」
「うん、オレ顔洗ってくるわ」
ボクは顔を洗ってサッパリしたところで、さゆりさんに聞いた。
「ね、さゆり」
「はい?」
「イザヨイって、何?」
「ま、ノブさんったら・・十六夜って言ったら・・」
じゅうろくやって書いてイザヨイって読むんです、満月の次の日のお月様の事ですよと教えてくれた。
「そうなんだ、良く知ってるね、さゆりは」
「やだ、普通、知ってますよ、それ位」
「十六夜ってね、ノブさん・・」