ノブ・・第2部
「・・・恵子が生きてたら、違うかたちで出会ってたかもな・・」
「そうですね、幼馴染って紹介されたでしょうね、恵ちゃんから・・・」
「・・それでも私・・きっとノブさんの事、好きになってたと思います。」
あはは、それは無いんじゃないか?・・とボクは笑ったが、さゆりさんは真面目な顔で、答えた。
「分かりませんよ、人の気持ちは・・」
「もしかしたら、ノブさんを巡って恵ちゃんと仲違いしてたかも・・」
「そう・・か?」
「嘘ですよ、ノブさん・・・」さゆりさんは、小さく笑った。
「恵ちゃんが生きてたら、ノブさん、きっと私なんか相手にしなかったでしょうから・・・」
ボクは複雑な気持ちだった。
今・・・ここでさゆりさんと一緒に滝を眺めてる・・・それもこれも、恵子が死んでしまったからなんだ、と思って・・・。
そのコトをさゆりさんには、言わなかった。
滝の音に混じって、小さくヒグラシが「カナカナ・・」と鳴いた。
「・・早いな、この辺は・・」
「・・はい?何がです?」
ヒグラシさ・・・とボクは頭上の木々を見上げた。
「東京じゃ・・もう少し後だよ、ヒグラシを聞くのは。」
「・・そうですね・・」さゆりさんも、上を見上げた。
ノブさん・・・さゆりさんがボクに向き直って、言った。
「・・お腹、空きませんか?」
「うん、空いた。」
さて・・・とさゆりさんは勢いよく立ちあがって「お昼、行きましょう?!」とボクの手を引いた。
ボクらは滝に別れを告げ、踏み分け道を下った。
車の所に戻ると、滝からほんの少し下っただけなのに気温は一気に上がった気がした。
「・・・暑くなってきましたね・・」さゆりさんは窓を全て開けて、エンジンをかけた。
「ノブさんって、麺類・・お好きでしょう?!」
「うん、大好きだよ。何で分かった?」
うふふ、エッチな人は麺好きが多いんだそうです・・とさゆりさんは笑いながら車をスタートさせた。
山道を下った車は、田んぼの中を少し走って大きな街道に出た。
上下四車線の、まだアスファルトも黒々とした綺麗な道だった。
「・・このバイパスを行くと、美味しいお蕎麦屋さんがあるんですけど・・」
「お蕎麦で、いいですか?」
「いいも何も・・蕎麦大好き、オレ!」
「良かった、でも・・心配です・・」
「何が?」
「ノブさん、江戸っ子だから、お蕎麦にはうるさいんじゃないかなって・・」
「ううん、親父は山陰の出身だから違うよ・・」
「それに、蕎麦は好きだけど・・うるさくはないな」
ボクは笑った。江戸っ子のイメージなんだろうな・・・。
「そうなんですか?」
うん三代続いて、初めて江戸っ子なんだってさ・・とボクは言った。
「三代、ですか・・」
「そ。だからオレの孫が生まれたら、ソイツが一族で初めての江戸っ子になるんだね」
「・・大変なんですね、江戸っ子になるのも!」
あはは、そうかも・・とボクはさゆりさんの言い方がおかしくて笑った。
ここを曲がって・・と、車はバイパスから右折して細い道に入った。
その道を暫く行って林を抜けた所で、さゆりさんは言った。
「・・ここです。」
さゆりさんがウインカーを左に出して、車を一軒の古民家の庭に入れた。
その古民家の前には、幟が立っていた。
藍色に白抜き文字で、手打ち蕎麦とだけ・・・。
庭の端に車を停めて、ボクらは縁側の前を通って玄関に向かった。
「・・渋いね。」
「最近です、開業したのは・・」
「私、好きなんです、ここのお蕎麦!」
さゆりさんは開けっぱなしの入口を入って、声をかけた。
「・・・やってます〜?」
「・・は〜い、どうぞ!」
奥からおばさんが、ニコニコしながら出て来て言った。
「行きましょ、ノブさん・・」
「うん・・」
ボクらは靴を脱いで、座敷に上がった。
そこには囲炉裏が切ってあり、昔のままの雰囲気だった。
「寒くなったら・・炭、入れるんですって」
ボクらは囲炉裏の横に座った。
「・・メニューは?」
ボクが小声でさゆりさんに聞くと、さゆりさんは「その日に出せるものを言ってくれますから・・」と微笑んだ。
程なくおばさんがきて、お茶を置いて言った。
「天ぷらは、山菜か茸」
「笊か、かけ・・」
「・・う〜ん、かけで茸の天ぷら、大盛りって出来ます?」
「はい」
さゆりさんは、笊に山菜の天ぷらを頼んだ。
蕎麦を待つ間、ボクはしげしげと民家の中を見渡したが、煤けた天井といい、太い柱に梁といい・・最高だった。
「いいな、こんな家に住みたいよ」と言った。
囲炉裏のある部屋の隣にもう一間あって、その向こうに縁側・・・。
そして、明るい庭が見渡せた。
「もう、あんまり残ってないんですってね、昔のままの家って」
「そうだろうね・・オレ、前から縁側がある家って好きなんだよ」
広々してて、庭なんか眺めながら昼寝でもしたら最高だよね・・と。
さゆりさんは、ニコニコしながら言った。
「・・・うち、母屋にありますよ?縁側」
「いいね、羨ましいな!」
「お待ちどう様〜!」お蕎麦が運ばれてきた。
天ぷらは、舞茸と椎茸だった。
蕎麦は、太い田舎蕎麦を想像していたのだが、出てきた蕎麦は細い江戸風だった。
美味しかった、蕎麦も汁も、天ぷらも。
ボクは汗をかきかき、一気に食べてしまった。
「ノブさん、ほんとにお蕎麦好きなんですね」
「あ、ゴメン・・美味しいから、夢中で食べちゃった・・」
「こっちも、食べてみます?」
いいの・・?と言いつつ、ボクは笊も気になっていたから遠慮なく貰った。
笊そばも、美味しかった。腰があって程よく細くて・・・。
「正直言っていい?」
「・・はい、どうかしましたか?」
「・・こんな美味い蕎麦、東京でも滅多に喰えないよ、本当に!」
ありがとう、さゆり・・ご褒美にキスしてあげたい位だ・・とボクは笑って小声で言った。
「はい、後で楽しみにしてますね、ノブさん・・」
さゆりさんも嬉しそうに、蕎麦湯を足した出汁を飲んだ。
「・・ご馳走様でした!」満腹になったボクは、庭に出た途端、眩しくて空を仰いだ。
「・・暑いね」
「はい・・・ノブさん?」
「なに?」
「食後のお昼寝、なさいます?」とさゆりさんが聞いてきた。
「いいな、それ・・」
「ほんとの殿さまみたいだな!」とボクは笑った。
「はい、畏まりました・・」
では、殿、お乗り下さい・・とさゆりさんもおどけて、車のドアを開けた。
車はバイパスを来た方に戻った。
「どこ、行くの?」
「はい、縁側でお昼寝して頂きます」
「え・・縁側って、さゆりさんちの?」
はい・・・とさゆりさんは運転しながら微笑んだ。
十字路
暫くすると車は、街中に戻った。
さゆりさんは「一か所だけ、寄り道します・・」と言ったきり、無言になった。
どうしたのかな・・と思いながらもボクは、その硬い横顔に声をかけられずに黙っていた。
街中の交差点に差しかかり、その十字路の手前でさゆりさんは車を路肩に寄せて、停めた。
「・・・ここです」
「恵ちゃんの事故現場・・」
「え!」
ボクは驚いてさゆりさんを見て、そして・・交差点に目をやった。