ノブ・・第2部
「うん、冷たいの・・」
「はい」
東屋の脇には自動販売機が一台だけあって、さゆりさんはアイスコーヒーを買ってくれた。
有難う・・とボクは受け取って、東屋のベンチに座って、眼下に広がる街を眺めた。
小さな街ですよね・・とさゆりさんが呟いた。
「うん、でも・・・大事な故郷じゃない?」
「・・はい、そうなんですけど」
さゆりさんは、それきり黙った。
ボクは缶コーヒーを飲みながら、お寺を探した。
お寺はこんもりとした緑と大きな甍で、すぐに見つかった。
「あそこだね、お寺」
「・・はい」
ボクは、あの街外れのお寺の、その小さな墓石の下で眠る恵子を想像した。
「死んじゃったんだね」
「・・・・」
「いくら話しかけても・・・何も聞こえなかったよ、オレには」
さゆりさんは、黙っていてくれた。
もっと泣いちゃうかな・・って思ってた・・とボクは言って、煙草を咥えた。
「はい・・」さゆりさんが火を点けてくれた。
「ありがとう」
花ってさ・・・ボクはさゆりさんに向き直って聞いた。
「どの位、もつの?」
「そうですね、この季節だと・・明後日にはしおれちゃいますね」
そうなんだ・・・。
ボクは、黙って煙草を吸った。
そして、煙が屋根を越えて青空に吸い込まれていくのを見ていた。
「さゆり・・」
「はい?」
明日も、お寺まで乗せて行ってくれないかな・・とボクは言った。
「もう一度墓参りしてから帰りたいんだ」
「はい、いいですけど・・」
「今は、何が何だかオレ、神経死んじゃったみたいでさ・・」
何も感じないんだよ・・と自嘲した。
「ノブさん・・・」
「迷惑じゃなかったら、もう一泊してもいい?」
「はい・・」
「じゃ、ノブさん、今日一日・・私にくれますか?」
「うん、そういう事になるね、必然的に」
知らない土地で、おっぽり出されても困っちゃうしさ・・とボクは笑った。
「じゃ、私案内します」
「この辺は有名な観光地なんて無いですけど、私の好きな所で良かったら」
「うん、お願い」
ボクらは車に戻って、来た坂道を下った。
「どこ、連れてってくれるの?」
「う〜ん、滝はいかがですか?」
「いいね、涼しいね、きっと」
はい・・とさゆりさんは言って、車を山に向かって走らせた。
「ノブさん・・」
「うん、何?」
「恵ちゃん、バージンだったでしょ・・」
「・・何で?」
「言ってたんです、私に」
「自分はきっと硬い人間だから、男性と・・・って、想像出来ないって」
「半分、当たり・・でも、半分外れ」
「どういう事ですか?半分って」
ボクは山麓の宿での、恵子との初めてのセックスをさゆりさんに話した。
聞き終わってさゆりさんは「・・良かった」と言った。
「じゃ、ノブさんと出会う前に、一度はそういう相手が出来たって事ですよね?」
「うん、はっきり言ってたもん、前の彼って」
「そうなんだ、恵ちゃん・・恋愛してたんだ」
「でも、完全には無理で、ノブさんと出会って、やっと・・」
さゆりさんは、嬉しそうに言った。
「恵ちゃん、嬉しかったでしょうね、ノブさんと知り合って」
「だから、オレは二番目の男って事だね」
「ノブさん、面白くなかったんじゃないですか?二番目で」
「あはは、そんなコト言う資格無いって、オレなんか」
「どうしてです?男性って普通はそう思うんじゃないですか?」
「だって、オレだって初めてじゃなかったんだから、相手のコト、どうこう言えないじゃん?!」
「それは・・そうですけど」
じゃ、さゆりは?オレは何番目?とボクは意地悪く聞いた。
「・・いじわるですね、ノブさん」
「うそ、いいよ、言わなくて」
「いいです、言います」
「ノブさんは私にとって、三番目の男の人」
「・・でも、一番大切な人です」
「恵ちゃんも、きっと・・そう思ってたでしょうね・・」
「・・・・」
「間際に、ノブさんの事言ってた位ですから・・」
ボクは何も言えずに、黙ってしまった。
「ノブさん・・」
「これからも恵ちゃんの事、忘れないでいてあげて下さいね?!」
「・・うん」
「恵ちゃん、きっと天国からノブさんの事、見守ってると思います」
「でも、まだ入りたてだから・・・うまく伝達出来ないだけじゃないですか?ノブさんに」
「伝達って・・じゃ、天国のベテランになったら、こっちの世界にメッセージ届けられるって事か?」
「・・・はい、だって、良く聞くじゃないですか、あの世からの色々」
まぁ、面白いコトを言う人だな、この人は・・・とボクは笑いながらさゆりさんを見た。
「じゃ、さゆりとオレがヤっちゃったって事も知ってるのかな、もう」
「はい、多分」
「でも平気です。怒って出て来るとしたら私の所でしょうから・・ちゃんと説明しときます」
聞きながらボクは、大笑いしてしまった。
あはは・・面白いな、さゆりは・・・とボクは笑い過ぎで涙目になってしまった。
「でも、何で出て来るとしたら・・さゆりのトコなんだ?」
「それこそ、オレのトコなんじゃない?」
「もう、アンタって人は!ってね」ボクは笑いながら言った。
「ノブさん、意外と分かってないですね・・女ごころ」
「そう?」
「はい」
「・・・いいんです、恵ちゃんが文句言いにくるとしたら、私なんですから」
「そうなんだ、分かった」
「じゃ、さゆり・・・うまく言っといてね!」
はい・・とさゆりさんも笑いながら、車のハンドルを街道から山道に切った。
「もうすぐ・・です」
「うん」
窓から入ってくる空気の、緑の匂いが一層強くなった。
「着きました。ここからは少し歩くんですけど・・」
「うん」
道の脇が少し広くなっていて、さゆりさんはそこに車を停めて、ボクらは下りた。
「こっちです・・」
そこからは、踏み分け道と言ってもいい位の細い道が、くねくねと坂を上っていた。
「大丈夫ですか?ノブさん」
「うん、大丈夫。好きだよ、こういう道・・・」
さゆりさんの後に続いて、ボクは周りを見ながら歩いた。
鬱蒼とした森の中の、一本の踏み分け道・・悪くないな。
「ノブさん、ちょとした山登りでしょ?」
振り返ったさゆりさんは、嬉しそうに言った。
「うん、そうだな・・」
もしかしたら、山好きなボクを喜ばせようと、ここに連れてきてくれたのか?
そんなコトを考えて歩いていたら、道が段々に急になり水の音が聞こえてきた。
音は徐々に大きくなって、ボクらは小さな峠の様な平坦な場所に着いた。
「あれです・・」さゆりさんが指差した。
指差す先には、落差は大した事ないのだが三段に落ちる小さいながらも優雅な滝が、見えた。
「うわ・・いいね」
「私、好きなんです、この滝」
「うん、いい・・」ボクも、一発で気に入ってしまった。
「小さいけど、何か・・冒し難い雰囲気って言うか、佇まいって言うのかな・・」
「かっこいいよ、この滝」
「そうなんです、変な例えかもしれませんけど、スタイルいいんですよね・・」
ボクらは滝壺まで下りた。
試しに、水をすくってみるとやっぱり・・冷たくて気持ち良かった。
ボクはその冷たい水で、顔を洗った。
見上げれば、木漏れ日がキラキラと差し込んで。
「・・はい」