ノブ・・第2部
そこにさゆりさんが帰ってきて、「大学の後輩だけど、私の恋人だから・・」と言い残して、ボクの部屋にまた行ってしまった。
「だって、そうでも言わないとおかしいでしょう?」
「いくらサービスが良い旅館でも、お客様と一緒には・・・ね?!」と笑った。
「じゃ・・」
「宿の人は、ボクをさゆりの大事な人と思ってあんなに丁寧だったの?」
「はい、そう思います。」
「ありゃま・・」
「そうそうさゆり、お金は?」
「・・・お気になさらずに」
そう言ってさゆりさんは、前を向いたまま横顔で微笑んで車を走らせた。
「だって、いいの?」
「・・・」
さゆりさんは、微笑むだけで答えなかった。
ま、後でちゃんと払えばいいか・・。
少し暑かったボクは「窓、開けていい?」と聞いた。
「はい、勿論」
「ノブさん、一服したかったら・・どうぞ?!」とさゆりさんは、灰皿を開けてもくれた。
「うん、今はいいよ」
ボクは、窓を少し開けて風を入れた。
風は乾いてて気持ち良かった。
ボクは窓の外を見やって、これから向かう恵子のお墓に思いを馳せた。
「お寺?」
「はい」さゆりさんも、それは同じだったらしい。
「途中でさ、お花買いたいんだけど」
「お花はお寺の庫裏で売ってます」
そうなんだ・・・ボクらは、いつしか言葉少なになり、さゆりさんは前を、ボクは助手席の窓を眺めた。
車は街の商店街を抜けて、畑の中の道を走った。
「田舎でしょう?」
「うん、でも、いいね・・・」
「退屈なだけですよ、住んでる者にとっては」
「さゆり、そう思ってるの?ほんとに・・」
「はい、退屈は退屈です。でも・・・」
私は、逃げられないから・・・と寂しそうに呟いた。
「一人っ子だから?」
「・・そうですね、宿命って言ったら、ちょっと大げさですけど」
「宿命、か・・」ボクは、その言葉が重く聞こえて、これ以上の詮索は無用だなと思った。
「見えてきましたよ、お寺」
正面の山の麓に、立派な三門が見えた。
「大きいんだね」
「この辺の人は、みんな、ここに来るんです・・」
三門脇の砂利の駐車場に車を停めて、ボクらは門を潜った。
「こちらです・・」
さゆりさんが先に立って、まず庫裏に行った。
「お早うございます」
庫裏の戸を開けて、さゆりさんが声をかけた。
「・・・は〜い!」
薄暗い奥から、若い女性が走り出て来て言った。
「お参りですか?」
「はい、お花を分けていただきたいんですけど・・」
「はい」
その女性は走ってまた奥に行き、花束を持って戻った。
「御苦労さまでございます」
「有難うございます・・」さゆりさんがお金を払って、ボクらは寺内の墓地に向かった。
墓地は、低い土塀の通用門を抜けた先だった。
「・・・ノブさん」
「うん・・」
「・・・・」さゆりさんが何かを言いかけて、止めた。
ボクも、聞き返すコトは無かった。
お寺の中は立派な木が何本もあり、蝉時雨が凄かった。
そして、木漏れ日が墓地に続く石畳に、動く模様を付けていた。
墓地に入ったすぐの所に水道があり、桶が沢山置いてあった。
ボクは桶を1つ取って水を一杯に入れ、柄杓を持った。
「ここです・・・」そこから少し歩いて、恵子の墓の前でさゆりさんは立ち止まった。
黒い御影石の墓石には、「近藤家ノ墓」と刻まれていた。
そして、その墓石の横には、恵子 二十三才と一行。
ボクがその文字に見入っている間に、さゆりさんは花瓶に挿してあった古いお花を抜いて、さっきの花束を生けた。
そして、柄杓で桶から水をすくって、墓石にかけた。
「はい、ノブさんも・・」
「うん・・」ボクも柄杓を受け取って、水をかけた。
ボクは何度もなんども、水をかけた。
桶はすぐに、空になった。
「・・・私、お線香買ってきます」
「うん」
さゆりさんが気を利かせてくれたのが、有難かった。
ボクは墓の前にしゃがみ込んで、心で恵子に話しかけた。
「納骨の時、来なくてゴメンな?!」
「何か、寂しくてさ・・耐えられそうになかったから、来なかったんだよ・・・」
「どう?お墓の中は・・・寂しくない?」
自分でもバカだな・・と思いながら、ボクは恵子に今までの出来事をすっかり打ち明けた。
「でね・・・」
「夕べ、さゆりさんとも、シちゃったんだよ・・」
恵子の幼馴染ともそんな事になって、怒ってる?と。
墓石は何も答えず、水がかかって一層黒く光ってるだけだった。
「恵子、オレ・・」
ふと、ボクのまわりにだけ影が出来た。
さゆりさんが、ボクに日傘を差しかけてくれていた。
「お線香、買ってきました」
「・・有難う」
ボクがライターで火を点けて、2人で分けて線香をあげた。
「・・・話せました?ノブさん」
「うん、全部言っちゃったよ、隠さずにね・・」
「でも恵子には・・・きっと、お見通しだったかな?!」
ボクは、無理やり笑いながら言った。
「・・・・」
さゆりさんは、笑わなかった。
「恵ちゃんのバカ・・」
「恵ちゃん1人で先に死んじゃうから・・ノブさんも私も・・」
そう言って墓石を見つめて、さゆりさんは静かに泣いた。
ボクらは、どの位・・・そうしていたんだろう。
さゆりさんに差しかけて貰った日傘を今度はボクが差して、2人で恵子のお墓の前に立ち尽くしていた・・・。
みんみん蝉と油蝉の大合唱・・お線香の香り、夏の日差しの下の墓石。
「報告したい、言いたい事は全部言ったよ」
「・・・はい」
「ノブさん・・・」
「うん、大丈夫」
ボクらは、墓地を後にした。
「分かってた事だけど・・」
「はい・・・」
恵子はあの下なんだよね・・・とボクは呟いて、振り返った。
恵子のお墓が陽炎に揺らめいた様に、一瞬見えた。
ドライブ
土塀の通用門を潜り、ボクらは車に戻った。
「・・・ノブさん?」
「ん?なに?」
「少し、ドライブしませんか?」
「うん、いいよ」
さゆりさんは窓を全開にして、田んぼの中の田舎道を走った。
ボクは窓から顔を少し出して、青々とした稲穂が風に吹かれて波打つ様を見ながら、小さく歌った。
・・・・・アナタとボクの小指の糸が・・・
「何の歌ですか?」
「NSP、赤い糸の伝説・・」
「・・恵ちゃん、好きだったですよね」
「うん・・」
・・・・遠く離れてしまえば愛も消えてしまうと云う・・・・
「ノブさん・・」
「なに?」
「見晴らしのいい所に行きません?」
うん、任せる・・とボクはまた、窓の外を見やった。
何だろう、この感じは・・。
考えてはいたものの、やはり恵子の名が刻まれた墓標を目にした途端にボクは、心の底が抜けてしまったみたいで、泣く事も嘆く事も出来なかった。
車は暫く田んぼの間を走り、次に坂道を上りだした。
緩やかな坂道は右に左にカーブして、両脇から木々が生い茂って、まるで緑のトンネルの様だった。
「風が、爽やかになってきたね」
「はい、木の匂いがします」
やがて車は、丘の頂上の平らな駐車場に着いた。
他に、一台の車も停まっていなかった。
「あそこが、涼しいです」
駐車場の外れには東屋があり、ボクらはそこに行った。
「何か、飲みますか?」