ノブ・・第2部
「こう見えて私、恭子と違って結構信用あるからね〜!」
「でも、やってるコトは似たようなもんだけどさ」
話しながら、ケラケラとユミさんは笑った。
「良かった、実はね、京都にしようかなって思ってるんだよ」
「また?なんで?」
「折角だから、他の所に行ってもいいんじゃない?」
「いや、五山の送り火、ほら大文字焼きってあるじゃない?」
「あれをさ、2人で眺めたいな・・なんてね」
大文字焼きか・・・いつなの?とユミさんが聞いてきた。
「うん、来月の16日なんだって」
「ふ〜ん、そうなんだ・・分かった、覚えとくよ」
「有難う、じゃ、仕事の邪魔しちゃ悪いから、そろそろ」
「うん、オガワっちも寂しいからって浮気なんかしちゃ、ダメだからね?!」
「あ、オガワっちは、そんなタイプじゃないか」
「じゃ、帰ったら連絡するから、またね〜!」とユミさんは電話を切った。
ドキっとした。
何気ないユミさんの一言だったけど、一瞬、真由美の顔と胸の感触が蘇ってきて慌ててボクは首を振った。
そうだった・・・ボクは、もう一歩で浮気をしてしまうところだったのだ。
「弱いんだな、オレって」ボクは受話器を置いて、独りごちた。
寝台に横になって天井を見つめながら、ボクは真由美のコトを考えた。
「あれからどうしたんだろう、彼女は」
突然帰ってしまった男、一人部屋に残された女。
男が帰ったのは死んだ彼女のフラッシュバックのせいで、決して今の彼女の存在ではなかった。
「恭子への罪悪感?」それは、正直言って無かった。
ただ恵子を思い出して、悲しくて寂しくて。
「ほんと、ヒドいヤツだな、オレって」
さっきまでの浮かれた気分は、もうどこかに行ってしまっていた。
「・・・・」
暫く天井を見つめたまま、ボクは決意した。
「やっぱり、行かなきゃ」
福島
ボクは着替えをディパックに詰めて、御茶ノ水駅に向かって歩きだした。
そして、駅に着いて福島までの切符を買った。
今更行っても、どうなるものでもないんじゃないか?とは思ったが、ボクはどうしても、今は墓の下で眠る恵子と話したくなった。
「お墓・・・教えてくれるかな、お母さん」
納骨の知らせは受け取ったのに、行くと言ったのに結局は行かなかったボクに。
「随分、冷たいヤツだって思われたんだろうな・・」
上野駅から福島行きの特急に乗った。
ボクは、シートに深く身を沈めて目を閉じた。
恵子と出会ってから、1年が過ぎていた。
「去年の今頃は・・・」
特急の揺れに身を任せながら、思い出すコトは山ほどあった。
出会って、好きになって・・愛し合って。
特急は、宇都宮を過ぎ黒磯を過ぎて、田園風景の中を恵子に向かってひた走った。
福島で乗り換えて恵子の家のある駅に着いた時、改札を出たボクの目に飛び込んできたのは、燃える様な夕焼けに染まった山並みだった。
「すごいな」
ボクは、駅前に貫禄のある旅館を見つけた。
そして今夜はそこに泊るコトにして、明日恵子の家に行くコトにした。
両開きのすりガラスの戸を開けて、声をかけた。
「ごめん下さい」
「は〜い!」
奥から、若い仲居さんが走ってきた。
「すみません、泊めて頂けますか?」
「はい、お一人様ですか?」
「はい・・・」
仲居さんの目が、ボクの頭のてっぺんからつま先まで素早く動いた。
「学生さん?高校生・・?」
「あ、大学生ですけど、何かマズイですか?」
「ううん、珍しいからさ」仲居さんは友達言葉で微笑んでくれた。
「予約・・はしてないよね?」
「はい、今着いたばかりで、ここが目に入ったもんですから」
「あ、お部屋、一杯ですか?」
「ううん、ガラガラ」と笑った。
「じゃ、お部屋にご案内します、どうぞ、お上がり下さい」
友達言葉がまずい・・と思ったのか、仲居さんは、いく分丁寧に言って歩きだした。
玄関のたたきでボクはスニーカーを脱いで、上がった。
旅館の中は思ったよりも広くて、広間には立派な革張りの応接セットが二組据え付けてあった。
でも、良く見ると、そのソファーの下にはクラシックな絨毯、その下は、畳が敷いてあった。
「ここ、昔は、畳の広間だったんですか?」
仲居さんの後をついて歩きながら、ボクは聞いた。
「そうみたい、明治の初めの頃からの旅館だからね」
また、友達言葉になってる。気さくな人なのかな?
良く磨かれているんだろう、黒光りしてる廊下を歩きながら、ボクは分不相応な宿に来てしまったんではないかと思っていた。
一泊、幾らなんだろう・・・と多少ビビりながら。
「あの・・」
「何?お部屋はここ」
通された部屋は、引き戸を開けると板張りの小部屋、その突きあたりの襖を開けると座敷は十二畳位で、正面には縁側があり大きなガラス戸越しに黄昏の庭が見えた。
部屋の右手には、また襖があり、開けると床の間付きの六畳間だった。
「ちょっと、広すぎですよね、ボク一人じゃ」
「いいのよ、このお部屋使って?!」
「でも、お幾らなんですか?」
「素泊まり?二食付き?」
「ご飯も食べたいですけど」
「じゃ、二食付きで1万円・・ううん、8千円でいいわ」
「え?!こんな高級なお部屋で、食事付きで?」
「うん、特別に学割してあげる」
「それでも、高い?」
「いや、とんでもないです!有難いです」
「じゃ、座ってて。宿帳持ってまた来るから」
もう、完全に友達言葉でそう言い残して、仲居さんは出て行った。
あの人は、一体何者なんだろう・・勝手に値引きしちゃっていいもんなんだろうか・・とボクは不思議だったが、取り敢えず座って立派な灰皿で一服した。
一服しているうちにあの仲居さんがまた、「失礼致します・・」と声をかけてから襖を開けて、部屋に入ってきた。
そして、テーブルの上に宿帳を置いて「これ、書いてね!」と言ってお茶を淹れてくれた。
住所、氏名、年齢、前日の宿泊地・・などを記入しながら、ボクは、仲居さんの目が宿帳に注がれているのが気になった。
「やっぱ、あやしいですか?気になります?」
「ボクみたいな若造が・・」
「ううん、じゃなくって」
「住所・・」
「神保町なの?」
「はい、大学の近くなんですけど」
「懐かしいな、私もその辺にいたのよ、去年の秋までね!」
「ね、どこ大?私はS大だったの」
「あ、近いです・・水道橋ですよね、確か」
「うん、そう!だから水道橋から御茶ノ水にかけては詳しいわよ?!」
「そうなんだ・・ボクはJ大の医学部の一年なんです」
「へ〜、医大生なんだ・・やっぱ大変?」
「いや、まだ良く分からないです、大変なのかどうか」
「そうだよね、新入生だもんね」
「はい」
「さてと」仲居さんは宿帳を持って部屋を出て行った。
間際に「あ、ご飯は7時半にお部屋に持って来るからね?!」と言い残して。
「こんなとこで、あの辺に住んでた人に会うなんてな・・」
「世の中、思ったよりも狭いってコトか?」
ま、いいや・・とボクは、ゴロっと座布団を枕に横になって天井を眺めた。
天井は、格子がガッシリと太くて、板も飴色に焼けていい感じだった。