ノブ・・第2部
閉まったカーテンの隙間から、ほんの少しだけ街灯が差し込んでいた。
「座ってて」
「いま、冷たいの持って行くから」
真由美は、台所の冷蔵庫か冷えた缶ビールを持って来た。
「はい」
「有難う」
ビールの缶を開けてボクに渡すと、真由美はベッドの脇の窓に備え付けられたクーラーのスイッチを入れた。
シングルベッド
暫くの間、ボクと真由美はベッドに腰掛けて、黙ってビールを飲んだ。
部屋は段々に涼しくなってきて、真由美が言った。
「ベッド、狭くてごめんね、シングルなの」
「お風呂、入る?」
「うん・・」
「うちね、シャワー無いの。それでもいいかな?」
「うん、オレ熱いのダメだから・・何なら水風呂でもいい位」
「そうはいかないよ、いくらなんでも」
「お湯、溜めてくるね」
真由美は笑いながら立ちあがって、風呂場に行った。
ボクはビールを飲み干して、考えていた。
恵子のコトで苛立って怒って、彼女を泣かせて・・・何て自分勝手なヤツなんだろうか、オレは。
そして、今はその泣かせた彼女のベッドに座ってる。
今夜だけ・・そんな言葉でしか自分の気持ちを表せない真由美が、ボクはいじらしくて悲しくて。
風呂場から帰ってきた真由美に、ボクは言った。
「オレ、真由美さんに失礼な事してるんじゃないのかな」
「なんで、そう思うの?」
「だって」
「いいのよ、それは」
「私の思い出作りって、言ったでしょ?」
だから、もう考えるのは止めて・・ね?と真由美はキスをした。
ボクは真由美のキスを受けて、考えるのを止めた。
結局ボクは、一匹のオスになった。
キスしながら、ボクは真由美の胸をまさぐった。
「・・う」真由美が何か言おうとしたが、ボクは唇を離さずにシャツの下から手を入れて、背中のブラのホックを外した。
「ノブさん・・」
「黙って」
ボクは、締め付けを外されて自由になった彼女の乳房を両手で揉んだ。
汗でしっとりとして、柔らかかった。
「恥ずかしい」
「待って、ね?」
真由美はそう言って拒んだが、ボクがシャツを脱がすとそれ以上は何も言わずに大人しくなった。
ボクは真由美の上半身を裸にして見つめた。
「恥ずかしいよ、ノブさん」
「・・・」
ボクは黙って左右の乳房を揉みながら、乳首を口に含んだ。
乳首は、とうに硬くなっていて、唇と舌で転がすと真由美の口から吐息が漏れた。
「ノブさん・・・お風呂は?」
「後でいい」
ボクは何故か没頭したかった、この時間に。
恭子のコトも恵子のコトも、考えなかった。
今は自分の目の前にいる、こんなボクを好きだと言ってくれてる女性を愛したいと思った。
調子のいい男なのだろう、ボクは。
いくら言い訳しても、彼女である恭子に申し開きなんて出来る訳無いのは分かっていた。
一夜を共にする事を断って、帰る事も出来ただろう。
しかし、結局ボクはしなかった。
ボクらはベッドの上でお互いに向き合って座ったままで、真由美は、上半身裸のまま目を閉じてボクの為すがままに身を任せていた。
真由美の乳房を愛撫しながら、ボクは膝の間からスカートの中へ左手を伸ばした。
真由美は、スカートの上からボクの手を押しとどめて、言った。
「待って・・」
「どうして?」
「やっぱり、お風呂入りたい」
「うん」
真由美が風呂場に消えた後、ボクはベッドに横になった。
カーテンの隙間から差し込む窓越しの街灯が、丁度ボクの顔を横切り部屋を斜めに仕切っていた。
ボクは一服したくなって起き上り、薄暗い部屋の中で灰皿を探した。
灰皿は、部屋の真ん中の小さな四角いテーブルにあった。
ベッドから降りて畳に座り、煙草に火を着けた。
そして何気なく、テーブルに肘をついて一服しながら向かいの壁に目をやると、一枚のポスターが貼ってあった。
それは、こちらを向いて微笑むNSPの面々だった。
「うそ」
ボクは、煙草の灰が落ちるのも気付かず見入ってしまい、頭の中が一瞬でリセットされてしまった。
赤い糸の伝説の、あのリフレインが聞こえてきて、ボクは暫くの間、自分が泣いている事にも気が付かなかった。
部屋の電気が点いた。
「どうしたの?ノブさん・・」
風呂から戻って、髪を拭きながら声をかけた真由美に、ボクはうまく答えられなかった。
「泣いてる・・の?」
「ごめん、オレ・・やっぱダメだ」
ボクは立ちあがって「帰る」とだけ言った。
「うん、分かった」と真由美は言って、抱きついてきた。
「我が儘言っちゃって、ごめんね?!」
「ノブさん、無理して付き合ってくれたんだね、私の部屋まで」
「・・・・」
「いいよ、お休みなさい。」
真由美は、無理して明るい声でボクを送り出してくれた。
「また、気が向いたら・・・レモンでね!」
「お休み・・」
頬に涙の跡を付けたまま、ボクはアパートの階段を駆け下り坂道を下って、自分のアパートに帰ろうとした。
しかし途中で思いなおし、ボクはまた、駅への道を上った。
「恵子・・」
ボクは日大病院の横を右に入り、ニコライ堂の裏をかすめてまた、恵子の会社のビルの前に立った。
「恵子に、怒られたのかな」
ビルは変わらずに佇んだまま、沈黙していた。
ボクは左に坂を上り、聖橋口に出た。
「茶蕃館」
茶蕃館の明かりが、ボクの目に入ってきた。
「こんな時間まで、やってたんだ」
ボクは、店に行った。
カランカラン・・懐かしいカウベルの音と共に「いらっしゃいませ」と、茶蕃館はボクを迎え入れてくれた。
そのままボクは地下に下りて、恵子とよく座った一番奥のテーブルに着いた。
「久しぶりだ」
恵子との最後のお茶以来だったから、半年振りだった。
「ご注文は?」
「アイスコーヒーとホットケーキ・・」
「かしこまりました」
昼も夜も変わらない地下の席の眺めに、ボクは妙な心地良さと不安感の両方を感じて心にさざ波が立ち始めた。
不思議と酔ってはいなかったけど、心の中の時間軸の狂いは自分でも分かった。
「お待たせしました」アイスコーヒーとホットケーキが運ばれてきて、ボクは食べて飲んだ。
まるで、これを注文して待っていれば、もうすぐハンカチを使いながら恵子が現れそうで。
アイスコーヒーもホットケーキも、以前と変わらない味だった。
違っていたのは、恵子はもういくら待って来ない・・という事だった。
「どうしちゃったんだろ、オレ」
他に客がいなかったから、ボクは遠慮なく声を出さずに笑いながら泣けた。
「おかしいよな、来る訳ないのに」
一頻り泣いて、ボクは伝票を掴んで階段を上がった。
「お会計を」
「お久しぶりでしたね」蝶ネクタイのウエイターが、微笑みながら声をかけてきた。
「今夜は・・彼女はご一緒じゃないんですか?」
「振られちゃったんです、オレ」
苦笑いしながら、ボクは言った。
「それはそれは・・・失礼しました」
「雰囲気のいいカップルだったんで、良く覚えてたんですが・・」
「残念ですね」
有難うございます・・・とボクは店を出た。
彷徨
「雰囲気のいいカップルか」