からっ風と、繭の郷の子守唄 第51話~55話
チュン、と、天ぷら油がはぜる。
香ばしい漂う香りにつられて、千尋が顔をあげる。
康平が用意した天ぷらの食材は下ごしらえの済んだ、たらの芽とこしあぶら。
つるの部分を丁寧に取り除いたキヌサヤエンドウと、さやえんどう。
冷蔵庫から取り出してきたのは、初夏に旬を迎えるすこし細身の夏ごぼう。
手早く衣とかき混ぜて、高温の油の中へ躊躇なく食材を投入する。
「千尋さん。なにか嫌いなものや、不得手なものがありますか?」
康平の手元を、興味深そうに覗き込んでいる千尋の視線に気づいた康平が、
鍋から振り返りもせず、背中越しに声をかける。
「嫌いなものは、ありません。
作るのは下手ですが、食べることは大好きです。
わたし。大がつくほどの食いしん坊です。
五六さんのお話では、山菜の『こしあぶら』が絶品とうかがいました。
天ぷらにすると、香りと天然のホロ苦みが楽しめる、大人の味だと絶賛です。
それを食べられるのを、楽しみにしています。
それにしても鮮やかな手さばきですねぇ。惚れ惚れといたします」
「はねた油で火傷したくないために、手早く片付けているだけです。
惚れ惚れと見つめているのはどうやら、いま揚げている
天ぷらのようですねぇ。
どうですか、おひとつ。
途中のつまみ食いが、調理中の醍醐味です。
ただし。揚げたてで熱いですから、口の中を火傷しないように気をつけて」
小皿へひとつ。揚げたてのこしあぶらを乗せる。
薄黄金の天ぷら衣のあいだから、こしあぶらの新緑が見事にのぞいている。
「つまみ食いの美味しさは、食べ方にあります。
醤油を垂らしたら、箸は使わず、3本の指でつまんで食べてください。
やみつきになりそうなほど、格別に美味いと思います」
驚ろきっぱなしの千尋が、誘惑にかられて恐る恐る手を伸ばす。
いわれた通り、醤油を数滴垂らした後、3本の指でこしあぶらをつまみ上げる。
康平の目を数秒間見つめたあと、意を決して、口の中へ放り込む。
『ほんと。美味しい・・・格別ですねぇ、うふふ』と、千尋が目を細める。
もったいないですねぇと3本の指先に残った油を、ぺろりと舐める。
「自分の指も美味しいでしょう。そいつが、つまみ食いの醍醐味です。
美味しいものを見ると、誰でも、ちょっとだけ食べてみたくなります。
駄目といわれると、無性に、食べたくなります。
それが本能から生まれてくる、つまみ食いと、盗み食いという行為です。
食は健全な、人間の本能のひとつです。
行儀が悪くても、とりあえず欲望を満たしたいと思う時は、
誰にでもあります。
どうです。もうひとつ」
「ひとつと言わず、いくつでもつまんでみたい気分になってきました!。
あらぁ、いやだ・・・
いつのまにか、すっかり、本来の食いしん坊へ変身しています。
私ったら!」
五六の仲介で始まった『お見合い』は、無事にスタートした。
嬉しそうな千尋をみつめているだけで、なぜか康平の心が和んでくる。
作品名:からっ風と、繭の郷の子守唄 第51話~55話 作家名:落合順平