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雪の桜

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 これでやっと元の修一に戻ってくれると思った。今まで修一は追い詰められていただけなのだ。休めば、元の修一に戻る。私は甘い期待を抱いていた。

 修一の状況が落ち着いた一方、私のほうは六月のイベント本番で忙しくなった。ほとんどが立会いで済んでいたが、イベントが大盛況だったためか雑誌の取材やインタビューなど、画廊のオーナーとしての出番が増えてきた。画廊のイメージがあるため、私は服装や髪型、化粧にも気を使って毎日朝から夜まで仕事をこなしていた。
 一方、修一は私の為に家で食事を作り、掃除をし、帰りを待っていてくれる生活になった。疲れた私に気を使い修一は一度自宅マンションに戻ったが、まだ一人では眠れないため暫く私のマンションで一緒に住む事になった。私は修一に出来るだけ薬を飲んで欲しくなかった。柿谷も言っていたように、薬は修一を壊してしまう気がしていた。前の彼女のようになりたくなかった。彼女が乗り越えられなかったことを、私は乗り越えたかった。それだけの愛情を持っていると思っていた。

 そんな生活も当初はお互いに新鮮で楽しかった。修一は家事を楽しんでいた。生活面ではお互いのバランスが取れていたが、修一の私に対する要求は減る事が無かった。常に私に触れ、行動をも束縛するようにもなってきた。一日のスケジュールや誰と合うのかを把握したがり、男性、特に井沼の名前が出ると不機嫌になった。仕事に出かける私の服装や化粧にも注文をつけ始め、他の男に私を見られたくないという無茶な理由で、露出も少なく化粧も地味にするよう要求された。私が要求通りにしていると修一は良い状態になっていった。ところが要求を拒絶すると良い状態になった修一の全てが壊れ、またマイナスからやり直すような日々だった。
 私の帰宅が深夜を過ぎる日があると、修一は
「舞子が居ないと眠れないのに、何故帰ってこないんだ」
 と言って私を責めた。
 修一は壊れると、暗い目をして後で必ずこういった。
「もう別れよう。僕は舞子まで駄目にする」と。
 その度に私はその提案を否定した。

 私の時間は全て修一に拘束されるようになっていった。仕事が終ると真っ直ぐに修一の待つ家に帰り、翌日仕事に行くまでの時間全てを修一に費やした。私はいつしか、画廊に居る時間だけ、自分に戻れるようになっていた。恐ろしい事に、修一の待つ部屋を、地獄のように思うようになっていた。そして今度修一が別れを提案したら、次は否定せずに頷こうと心に決めるようになっていた。
 だが、それは出来なかった。別れに合意したら修一がどのように壊れてしまうのか、自分がどのように壊れてしまうのか、考えるだけで恐ろしかった。修一が壊れるたびに、私はいっそ私を殺して欲しいとまで思うようになった。それほどまでに、この世界から抜け出したくもあり、前の世界にも戻りたくなかったのだ。私は修一を包み込む事も出来ず、離れる事も出来ずに、流されていた。
 そんな日々が五ヶ月続いた。別れ話を繰り返し、お互いからよりを戻し、傷つけあい、愛し合い、私達は疲れ果てていた。この狂った歯車を元に戻したい。どうやったら戻せるのか。相手の気持ちをどうにも出来ず、自分の気持ちですら持て余す日々が続いた。お互いに限界を感じていた。

 ある日、林さんが都内のホテルのグルメショップで売っている、私が好きなキャラメルパウンドケーキを手土産に、画廊に遊びに来た。六月のイベントが終わると林さんに会う機会は減ったものの、メールや電話で定期的に連絡は取っていた。最後に会ったのは九月だった。もう二ヶ月会っていなかったのだ。私は日にちの感覚も薄れ、季節がもう冬になろうとしている事も意識していなかった。
「井沼さんが心配してた」
 画廊の応接スペースでお茶を入れ、パウンドケーキを食べながら、私は林さんが心配して様子を見に来てくれた事を知った。
「舞子さん、ずっと元気が無いって。顔色も悪いみたいだけど、声をかけると元気そうに振舞っているから僕からは深い事は何も聞けないって」
 井沼との接点はイベントが終わった後も多く、よく顔は合わせている。男性なので誤魔化せるだろうと思っていたが、甘かったようだ。
「彼との事でしょ?」
 林さんは単刀直入に聞いてきた。
「そう。仕事は落ち着いたんだけど、まだ元に戻れなくて」
 と私は応えた。林さんには、修一の仕事がうまく行かず、その為関係が少しバランスを崩しているとだけ以前話した事があった。
「そうか。このケーキ、本当に美味しいね。舞子さんの言ってた通り」
 林さんは、私が今抱えている事がさもそこら中に転がっている事象であり、気にかける必要も無いと言うかのように応えてくれる。今の私にはそれが有り難かったようだ。
「でしょ。ここの抹茶クッキーもびっくりするくらい美味しいの。あ、林さんチョコレート好きだったわよね。ここのチョコブラウニーもとても美味しいの。バレンタイン時期に売り出すから、今度のバレンタインの時に買っておくね」
 私はこの数ヶ月、すっかり忘れていた「他愛も無い話」を楽しみ始めた自分に気付いた。
「うん。チョコレート大好き。楽しみ。今回は本命チョコもあるし、私も今からチョコレート研究しようかな」
 林さんは二切れ目のケーキにフォークを入れた。この五、六人分はあると思われるパウンドケーキを二人で全部食べてしまう気らしい。
「え?林さん好きな人出来たの?誰?」
「舞子さんも知ってる人」
「え?…まさか、井沼さん?」
「うん。舞子さんのおかげなのかも。貴方といると、子供に戻れますって言われた」
 いつの間にか、新しい愛がひとつ、この世に芽生えていた。私と修一が壁に突き当たり苦悩している間に、世の中にいくつの愛が芽生え、いくつの愛が消えていったのだろうか。そういえば、叔母と柿谷はどうなったのだろうか。柿谷からは、六月の奥さんとの話し合い結果は「結論は出なかった。長期戦になりそうだ」とだけ報告されていた。叔母とは連絡を取っているが、特に柿谷との話は出ていない。叔母はきっと耐えられなくなったら私に話してくるだろう。
「私もね、彼といると暖かい気持ちになれたの。だからお受けした。お付き合いする事」
「そうだったのね。おめでとう」
 私は嬉しかった。笑っていた。作り笑いではなく、心から笑っていた。数ヶ月ぶりの笑いだった。
「私ね、過去に凄い失恋したの。もうどろどろ。嫉妬の鬼になって、彼を責め立てて、彼をノイローゼにさせて、多分自分もノイローゼになって、終わった。だから、もう恋をしたくなかった。恋って、辛くなって終るものだと思っていたから。そういう恋愛しか出来ないと思ってたの」
 林さんは二杯目の紅茶に口をつけて話を続けた。
「井沼さんもね、離婚がトラウマになってたみたいで、きっとお互いに傷つけあって終る事になると思ってたんですって。だから、私との事もどうせ壊れるなら始めない方が良い。今の良い関係を維持していた方が幸せだと思ってたんだって」
 私は井沼が長い間林さんに想いを寄せながらも、行動に移さなかった理由を初めて知った。
作品名:雪の桜 作家名:蓮杜清