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雪の桜

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 と付け加えた。修一は少し間を置いて
「わかった。気をつけて帰るんだよ」
 と優しい声で言った。

 修一が帰ってきたのは明け方だった。修一は酔ってはいなかった。修一は眠れずにベッドに横になっていた私の頭を撫で、横に座った。
「寝れなかったのか」
 私の好きな、修一の優しい声だった。
「うん。うとうとしてた」
「そうか。起こしてごめん」
 修一は寂しそうな笑顔を作り、こういった。勇気を出して声を絞り出すように。
「店、うまく行ってないんだ。柿谷さんに相談してた」
 私はベッドに横になりながら、私の頭から肩に移動していた修一の手をそっと握った。
「ごめんな」
 という修一は、切なそうだった。修一にこんな切ない悲しい顔はさせたくない。
「まだ舞子のご両親を安心させられない」
 と辛そうに言う修一に
「私は、修一と一緒にいられたら、それだけでいいから」
 私は、心から自然に出る言葉を伝えた。本心からそう思っていた。
何も無くても、修一となら一緒にいれさえすれば大丈夫だと信じていた。私達は何も無いところから楽しみを見つけられる。仕事も生活も同じだと思い込んでいた。でも、そう思っていたのは私だけだった。
 修一は
「怖いんだ」
 と私の胸に顔をうずめ、背中に手を回して抱きついて来た。
「何もかも失いそうで怖い。店を失ったら舞子も失う」
 修一は怯えていた。
「僕には何も無いんだ。他の人みたいに色んなものを僕は持っていない。僕には店と舞子しか無い。やっと手に入れたものなんだ。それが無くなったら、僕が生きてきた意味が無くなってしまう」
 昨日柿谷に聞いた過去が、彼をここまで怯えさせるのだろうか。私にはどの要因が彼の怖れの原因なのかわかっていなかった。ひとつひとつの経験が、ひとつひとつの修一の想いが、ひとつひとつの修一の傷が複合的に複雑に折り重なり、その姿を巨大なモンスターのように成長させ、次第に修一を飲み込み、決して取り除くことの出来ない彼の一部になっていることなど、私にわかるはずが無かった。

 私は修一をこれ以上出来ないほど精一杯、優しく抱きしめ愛した。修一の魂も身体も、ほんの少しの愛し忘れも無いように、時間をかけて愛した。その最中、修一は私に懇願した。何度も何度も、子供のように。
「安心させてくれ。不安を消してくれ。頼むから。舞子」
 私は必死に修一に応えようとした。その反応を見ながら、丁寧に、激しく。その夜私たちは何度も交わった。ひとつになりたいのに、どうしてもなれないそのもどかしさを打ち消す為に。愛しくて愛しくて、どうしていいかわからなかった。

 その日から、修一はゆっくりと狂っていった。

 修一は必死で店を建て直そうと、自分の時間を全て注いだ。朝から深夜まで仕事をしていた。帰りは夜中だったが眠れないと言って、柿谷から紹介されたカウンセラーに処方してもらったという睡眠薬を飲んでいた。週末私と一緒に居るときは、まるで死んでしまったかのように眠り続けた。私は修一が睡眠薬を飲み始めた事を、柿谷に知らせた。
「舞子と居ると安心して眠れるみたいだ」
 と言う修一に、私は落ち着くまで平日も私のマンションへ泊り込むことを提案した。洗濯物や食事も私がケアできるし、修一も睡眠薬を飲ますに眠れるかもしれない。幸い画廊の仕事は、六月のイベント本番を控えるのみで私の役目は特に無く、余裕のある時期だった。修一の為に私が出来ることがあるなら何でもしたかった。
 修一は病的なまでに私に触れていることを望んだ。触れていないと安心できないと言い、常に私の肌に触れていた。一緒に居る時間はほとんど抱き合っている状態となった。それは、生活としては不自然なものだった。

 修一の帰りは深夜だったので、私は平日も夜中に一度起きて修一を出迎え、修一が眠りにつくまで抱き合う生活を続けた。
 修一はなかなか眠りに付けず、毎日のように肌を重ね、終わると修一は子供のような顔で私に抱きつきながら眠った。そんな日々が続くと、私も寝不足になり精神的な余裕が徐々に無くなってきた。そして修一も、その表情にも態度にも言葉にも、切実さが増えていった。修一に切実さが増えると同時に、修一の私への要求も比例して増加していった。常に触れ合うことの次は、私の全てを見ることだった。修一は肌を重ねるときに明かりをつけることを望みだした。入浴する姿も見たいと言い出し、一緒に入浴するようになった。私の排泄する姿も見たいという修一に私は恐怖を覚え、断った。すると修一はいずれ寝たきりになった時には世話をしあうのに、何故今見せられないのかと執拗に問いかけてきた。愛しているなら拒む必要は無いと責めてきた。理論攻めは彼の得意技なので、私はそういう時は黙るしかなかった。
 
 次に修一が要求してきたのは、私の全てを知ることだった。私の携帯電話の記録も、PCのメールも、全て見たいと修一は言い出した。その頃の私は修一に隠し立てをする交友関係は無かったため、全てを見せた。これで修一の気が済むなら、それでいいと思った。逆に、私がどのようなものであっても修一の要求を拒むと、修一は私に対して怒りを露にするようになっていた。そういう時の修一は
「何故僕を拒むんだ」
 と、地底から響く声で繰り返した。その目は彼が生まれてから今までに抱いた負の感情全てを込めたかのような力を帯びていた。私はもうそんな修一を見たくないが為に、彼の要求に応えるようになってしまっていた。
 歯車が逆に回転を始めているのは、わかっていた。

 時に不安の波に襲われた修一は、私に抱きしめて不安をなくすように懇願した。
「安心させてくれ。不安を消してくれ。舞子」
 と彼は必死の形相で、地の底から響いてくるような低い静かな声を絞り出して私に抱きついて訴えた。私は必死に彼に応えようとしたが、彼の不安はいつまでも消えず、私はどのように応えたら良いのかわからなくなり、途方にくれることが多くなっていた。
 
 窮地に立たされ攻め立てられ続けると、人は思考回路を止めることがある。
 
 私の思考回路は徐々にその働きを放棄していった。執拗な修一の愛情と、執拗な攻めを交互に受け、私の神経も徐々に侵されていった。気を確かに持ってこの流れを止めなければ、いつかすべてが壊れる。私はそう気付いていたが、今だけだと信じ込もうとしていた。修一の仕事が落ち着けば、元の私たちに戻れるはずだと。何故なら、私たちはやっと生まれ変われたのだから、と思い込んでいたからだった。いや、私自身、そう思い込みたかった。もう二度と、重く暗い暗闇には戻りたくなかったのだ。

 修一の店舗経営は悪化の一途を辿っていた。修一はある日、ひとつの店舗のクローズを決めた。柿谷と相談した結果だったらしい。丸一日眠り続けた修一は
「あと二店舗あるから、そっちを残せるように頑張るよ」
 と、気持ちを切り替えたようだったがこの一月で大分痩せてしまったその顔色は悪く、目に力が無かった。暫くは休み休み、体力を戻しながらやるとのことだった。もともと店舗は店長に任せているから、イレギュラーが無ければ修一は店に出る必要はないのだ。彼の経営者としての主な仕事は、資金作りと集客だった。
作品名:雪の桜 作家名:蓮杜清