お蔵出し短編集
芸術論的な何か
芸術家を志したところで、それだけで飯が食えるのは極一握りな訳で、当然僕は世界の中のそんな一握の中になんて入れている訳はない。
ただ、だからといって飢える心は何かを求めて僕を動かすのだけど、もっぱらそれは僕の余暇を使ってのことになる。
そう、僕だって仕事をしている。
一応の社会人だ。
『底辺』とか『ブラック』とか言い様は様々でも、辛うじて自分の足で立ち生活をしているのは事実で、『夢ばかり見てはいない』という意味では、それは僕の僅かばかりのプライドでもある。
つまり仕事は仕事、趣味は趣味と弁えられる程度には僕も自分の人生の在り方を心得ているので、だからこそ僕は動きたいときに動き、時に『モノ』を形作る。
僕の『創造』は、『造形』だ。
材料にはもっぱら紙粘土を使用している。
切っ掛けが何であったかは良く覚えていない。
子供の頃に紙粘土という素材を知って、再度それに触れるようになるまでどう言う紆余曲折があったかも良く覚えていない。
そもそもそうした『造形』に僕は深い興味があった訳でもない。
辛うじて覚えていることは、ごく初期に酔った勢いで、昔見たアニメのキャラクタを作ったことがあったと思う。
何でその時、僕の身近に『ビニールに包まれた未開封の煉瓦』みたいな紙粘土があったのか?
よく分からない。
でも、そのできばえには僕は言いしれない不思議な満足を覚えた。
確かその『創りあげた何か』は、僕が思い返しながら『似せようとした何か』とは、結局少しも似なかったような気がする。
しかしそれでも、時間とともに固くなる白い紙粘土に湿らせた指で誤魔化し誤魔化ししながら何かを浮かび上がらせようともがくのは、自分でも驚くようなことだが、
―――実に、楽しかったのだ。
僕はいろいろなモノを作ってきた。
無機物や有機物、実在のブツから完全な空想の産物に至るまで。
気ままに動かす手はいつでも驚くような何かを見せたので、僕はそれに素直に魅せられた。
僕の手は紙粘土とともに何かを組み上げる正体不明の『ブラックボックス』のようで、出来上がる度に僕はある意味感心した。
それはきっと僕の心の形をしているか、少なくとも心の形の一部なのだろうけど、僕には本当にそれがそうなのかと自分でも分からないような気がすることすらあった。
だから、『素直に心の声を聞いてそれを何かしらの形に組み上げている』という意味では、僕が行っていることは日本語で言うところの『芸術』であり、英語で言うならば"art"に属する何かだったのだろう。
だけど、
結局それが何かしらの価値を持ったり、金銭として換価できるかどうかと言うのはまるで別問題なので、僕の芸術は僕だけのモノであるべきだと言うことは、僕自身が一番多分よく分かっていたし、そもそもきっと換価の価値はないと言うことも他ならぬ自分のことなので重々承知できるところだった。
しかし、うらやましくはある。
何がうらやましいのかと言えば、きっとそれは『心の声に耳を傾け、それを現実の何かに投影することで生活が出来る』という究極の『天職』を手に出来た人たちのことが、だ。
でも一方で『身の丈を知ること』の大切さも僕は分かっているつもりだった。
趣味は趣味だから良いこともある。
それに、そこに何かしらの打算が入り込むと、ひとたび手にした”art”は霧散するかも知れないと思う『恐怖』が僕の中にはある。
それはきっと寓話の『金の卵を産む鶏』と同じだ。
与えられたもので満足できている限りには幸せは続くのに、纏まった富を求めた結果、そこに残るのは殺され開かれたただの雌鳥の死肉ばかりと言うことになりそうな気すらが僕にはしたのだ。
と、言う訳で、
僕は今日も今日とて粘土をこねる。
何が出来るかは僕の手だけが知っている。
僕の手が白く粉にまみれながら、プラスチックの土台の上で、何かを形作り始める。
興が乗ってくると僕はテーブルの脇に置かれたステンレスのタンブラーを手にとって、中身を一口煽った。
そこには生のジンがなみなみと注がれている。
最近はモノを作るときには酒が側にあることが多い。
酔いが回るのと併せて何かが創りあげられる。
そこには心の枷を外したすっぴんの僕の何かが表れるような気がして、芸術に没頭するための『スタイル』として気に入っていた。
ごくりと喉を越すと、ジンは歩む道に火を付けながら胃袋へと滴り落ちた。
倣って集中力が増していく。
僕の手は僕の視界から離れ、次第に粘土しか目に入らなくなる。
ふわりと浮く白い粉の一粒すら視認できそうだ。
親指を滑らせて、人差し指で突く。
脇に用意した小皿に小指の先を浸けては、丸くカーブした何かの『頭部』を撫でる。
黙々と僕は作業を続ける。
そして、やがて、『それ』が姿を現した。
そこに立っていたのは、凛々しく和弓のように背筋を伸ばすひとりの女性の姿だった。
右の手首を左手で掴み、伸びをするように真っ直ぐとそれを天に突き上げている。
風が吹いているのだろうか、腰までもありそうな髪の毛はやや乱れ左右に扇のように開いている。
豊かな胸と丸い腰、それに顔の彫りの深さはギリシャ彫刻何かのイメージのようで、しかし服装は半袖のシャツに膝丈のスカートという状態だ。
服装に関しては仕方がない。
何しろ僕はファッション音痴なので、いつだってこういうモノが出来たとき、『彼』や『彼女』が着ているのはとりあえずといった程度の申し訳ない衣服に過ぎない。
僕はそれを見て、完成したような気がしたが、同時に何かがひどく不足しているような気がした。
一体それはなんなのか?
僕はあちこちから創りあげた『彼女』を眺めたが、どうにもそれが何であるのか分からなかった。
気になり始めると、とことん気になってしまう。
だけど、どれだけどんな角度から眺めても僕の『彼女』は答えを与えてはくれなかった。
そんなことはそれまで無かった。
初めての経験に僕は戸惑い、悩み、やがて、
―――考えるのを、止めた。
強い酒を飲み過ぎて、酔いが酷く回ってしまったためとも言えた。
だから僕はその日は彼女をそっと僕の造形を納めている棚の隅に飾って、ベッドに潜り込むと早々に眠りこけてしまった。
次の日もいつものように仕事に出かけ、僕は外回りのために営業所を出たのだが、何とも気が乗らなかった。
それは別に二日酔いだったからとかそんなことばかりが原因なのではない。
その原因と言えば、もっぱら彼女の事だった。
僕の芸術の中に、微妙な不足感をもたらした彼女。
凛々しく背伸びをする、昨日初めて見た彼女。
粗っぽい作りで細かな顔立ちもよく分からないながらも、多分微笑んでいる彼女。
一体彼女は何者で、僕に何を訴えかけようとしているのか?
そんな馬鹿なことを考えていたからなのか、僕は自然といつもは行かないような路地へと足を向けていた。
そこはオフィスビル街からは離れている。
いつもビジネスバッグを片手に回るような界隈からは大きくかけ離れ、もう少し行けばある種のベッドタウン的な雰囲気になりそうな、社会生活と私生活の分かれ目のような何かがそこにあるような、そんな路地で界隈だった。
その結果、僕の眼を引いたモノがあった。