お蔵出し短編集
―――引剥をする必要はない。
試しに、と私は右手を頬から放した。
歩道の向こうから歩いてきた女が私の頬をちらと見たが、宵闇の中では黒いしみ程度にしか見えなかったのだろう。
すぐに私から視線を放して、女は俯き気味にそのまま歩き続けた。
私が『ここ』にこうして『あり続ける』には、ステロイド剤の塗布が早道で、有効な選択肢だ。
私がどこから来てどこへ行くのかは、この際どうでも良いことなのかも知れない。
ただ、今の私は人の中に溶け込むべく、一時の快不快の螺旋から解放されるべく、求める軟膏を探して歩いているだけだ。
私のことなど誰も知るまいし、識る必要もない。
私の他に私のような存在が在るかどうかについても、誰も知るまいし、識る必要もない。
私は右手をまた自分の右頬に当てて、穴を隠し、近くの『ドラッグストア』を検索しながら歩き続けた。
私の目的と存在理由については、作った者しか識るまいし、識る必要もない。
辺りにはただ濃く昏い闇が夜という形に結実しつつあるだけである。
頬を押さえる私の行方は、『検索エンジン』の他には、きっと、誰も識らない。
<了>
『羅生門』芥川龍之介
から、一部引用をしています。